Fight24 真夜中の潜入
ステージ3が終わった日の深夜。夜の帳が下りて寝静まり返った『サン・ブレスト号』の暗い通路を、1人の女性が静かに進んでいた。リディアだ。深夜だというのに着替えておらず、ゲーム時の衣装のままであった。
ステージを終えて船に戻ってきたマーカスとリディアだが、既に戻っていたムビンガから話を聞いてみると、彼等のコースはただ待ち構えている『敵』をなぎ倒して進むだけの単純な物だったらしい。勿論他の選手達に遭遇する事など無かったとも。他のペアも似たりよったりで、誰も脱落の危険など感じる事もなくあっさりステージ3をクリアしていたらしい。
つまりあのギミックの数々や待ち構えていた他の参加選手という要素は、全てリディア達のコースのみで起こった事であったのだ。ルーカノスやドミニクの警告が当たっていた形だ。それを確信した時点で、リディアは今夜の
(……グラシアンの仕事部屋に侵入する。そこで奴が
リディアの兄であるヘンリーは、英国の国家犯罪対策庁(NCA)に所属する捜査官であった。彼は『アザトース』と呼称される国際的な闇のネットワークを追っていた。その過程で謎の不審死を遂げたのだ。
NCAには事故死として処理された兄だったが、彼は死ぬ前に自身の調査状況などをデータとして残しており、それが彼の死後になってリディアの元に送られてきたのだ。恐らく兄はNCAすら上層部に『アザトース』と繋がりがあり信用できないと考えていたのだ。それでこのような保険を残していた。
兄の死後にそれを見たリディアは、兄が『アザトース』という存在、そしてその一員であるグラシアンを追っていて、その過程でグラシアンによって亡き者にされた事を確信したのであった。
怒りに燃えたリディアは兄の仇を討ってその無念を晴らす事を決意。独自に調査を続け、遂にこの『ライジング・フィスト』まで辿り着いたのだった。この非合法の大会に参加するために、それまで所属していた海兵隊も除隊していた。
そしてやっとここまで来た。あともう少しなのだ。グラシアンの犯罪の証拠を手に入れ、それを白日の下に晒す。そして奴が(『アザトース』と関わりのない)司法に逮捕された時、初めてリディアの復讐は果たされ兄の無念を晴らせるのだ。
「…………」
夜中の『サン・ブレスト号』は静まり返っており、船の警備も最小限になっている事は確認済みだ。それでも多少のリスクはあるが、今夜をおいて他に機会はなかった。
暗く静まり返った通路を慎重に進むリディア。時折巡回している警備員はいたものの数は少なく、隠れてやり過ごす事はそれほど難しくなかった。そんな隠密を繰り返しながら最上階フロアを目指す。しかし最上階へ通じる階段の前に警備員が1人、見張りで陣取っていた。リディアは舌打ちした。あれはしばらく動きそうにない。
(……やるしかないわね)
悠長にしている時間はない。幸いというか周囲に他に巡回はいない。1人なら不意を突けば排除できるはずだ。リディアは意を決すると、隠れている場所でわざと足音を立てた。
「……!」
当然不審に思った見張りが近づいてくる。充分に引き寄せた所でリディアは角から飛び出した。
「……!?」
「ふっ!」
警備員が驚いて目を瞠っている隙にリディアはその鳩尾辺りに肘撃を突き入れる。男が息を吐いて身体を折り曲げた。前かがみになった男の顔面目掛けて下から膝蹴りを叩き込んだ。マーカスの得意コンボを真似させてもらった。リディアの露出した生脚による膝蹴りで鼻面を潰された男はもんどり打って倒れ込んだ。
あとはこの男を目立たない場所に引きずって押し込めておこうと近づくリディアだが……
「こ、この、アマ……!」
「……っ!」
男は気絶してはいなかった。鼻面を潰されて大量の鼻血を噴きながらも、懐から
「ふざけやがって……! 動くなよ。何のつもりか徹底的に取り調べてやる」
「く……!」
男が銃を向けたまま立ち上がってくる。リディアは歯噛みした。銃口を向けられているので迂闊に動けない。男がなにか無線のようなものを取り出して発信しようとする。仲間に報されたら終わりだ。リディアは絶望に呻くが……
「――っ!?」
無線を掛けようとした男の身体が激しく痙攣して、そのまま再び倒れ込んだ。今度は白目を剥いており完全に気絶しているようだ。
「……全く世話が焼けますね。考えなしに行動するからこのような事になるのです」
「……! あ、あなた……ドミニク!? な、なぜ……」
倒れた男を見下ろすように佇むのは黒いスーツ姿に眼鏡が特徴的な女性ドミニクであった。その手にはスタンガンのようなものが握られている。あれで男を気絶させたらしい。
リディアは訳が分からない状況に混乱した。ドミニクはマーカスをスカウトしてきたグラシアンの部下であり、リディアを助ける理由が一切ない。本来なら逆に彼女のことをグラシアンに報告する立場のはずだ。
「あなたの目的には気づいていました。しかしグラシアンには知らせていません。彼は明日に備えて既に就寝しています。今ならロイヤルスイートに忍び込めるでしょう。あなたの求める『証拠』はそこにあります」
「……!!」
ドミニクは言いながら倒れた男の懐をまさぐってカードキーを取り出すと、リディアに手渡す。恐らくロイヤルスイートのキーなのだろう。増々訳が分からなかった。
「早く行きなさい。時間がないのでしょう? 私もグラシアンに
「……! あ、ありがとう」
確かに時間が惜しいのは事実だ。どのみちあのままでは失敗していたのだ。ドミニクの真意は分からないが、とりあえず受けておくしかないだろう。リディアは短く礼を言うと、ロイヤルスイートへ続く階段を駆け上がっていった。
「……馬鹿な女」
それを見送ったドミニクは、憐憫とも苦悩とも付かない複雑な表情を浮かべるのだった……
ロイヤルスイートのドアにカードキーを差し込むと、ドアは抵抗なく開いた。廊下に人影はない。リディアは素早く部屋に忍び込んでドアを閉めた。
「…………」
照明の落ちた部屋の中を見渡すと、豪華なリビングを中心としていくつかの部屋に繋がっており、寝室と思しき扉は閉まっていた。恐らくグラシアンが眠っているのだろう。流石に寝室で仕事をしているという事はないはずだ。他の部屋を見渡すと、いくつものラップトップやコンソールのような物が置かれた部屋が目に入った。
(ここね……!)
リディアはメインで使われてると思われるラップトップに、持参したSDカードを差し込む。これは海兵隊時代の伝手で手に入れたもので、差し込んだハードのパスワードやその他セキュリティを強制的に解除して、中のデータを閲覧できる優れものだ。セキュリティの解読、解除に多少の時間は掛かるが、その間にも解読したデータは閲覧できる。勿論抽出したデータを保存する事も可能だ。
読み込み時間のバーが表示され、セキュリティの解除、データの解読が始まる。解読し終わったデータが次々と画面上に表示される。リディアは素早く目を通していく。どれもグラシアンの
リディアは興奮を隠せなかった。これだけでも奴を刑務所送りにするには充分な証拠だ。だがまだ肝心のデータが見つかっていない。即ちリディアの兄ヘンリーの殺害にグラシアンが関わっていたという証拠だ。
「……!!」
そう思った傍から『ヘンリー・クルーガー』の名前を発見した。幼い頃に両親が離婚して、兄は母親に引き取られた為に姓が違っていた。そのお陰で偽名を使うこともなく、怪しまれずに大会に参加する事が出来たのだ。
やはりグラシアンは兄の死に関わっていた。自らの存在に迫る兄を邪魔者として消したのだ。
これで必要なデータは全て抽出できた。SDカードを抜き取ると、何事もなかったようにラップトップの電源を落とす。そして気づかれる前にロイヤルスイートから出ようと急ぐが……
「どこへ行こうというのかね、ブレイズ君?」
「……っ!!」
ロイヤルスイートの照明が一斉に点灯した。リディアは突然の明るさに手を翳す。しかしすぐにその視界に映り込んだ光景に驚愕して硬直する。
リビングの真ん中にグラシアンが立っていた。その後ろには銃を持ったボディガード達が何人も控えていた。そのうちの1人は出入り口を固めており、ここから出られそうにない。どのみち何丁も銃を突きつけられていてはどうにもならなかったが。
この周到さ。これはリディアの潜入に気づいたグラシアンが急遽護衛をかき集めたという感じではなさそうだ。事前に知っていて待ち構えていたように思えた。
「不思議かね? なぜ君の潜入がバレていたのか」
こちらの動揺を読んだグラシアンが嗤う。
「答えは単純だ。
「……!」
グラシアンが合図すると、男達の後ろから誰かが進み出てきた。それは……スーツ姿の眼鏡の女性ドミニクであった。リディアは目を瞠った。
「あ、あなた……何故!? 私を助けてくれたでしょう!?」
「あなたを油断させて泳がせる為に決まっているでしょう。警備員に暴力を振るっただけではスパイの証拠としては弱いです。もっと
「……っ!」
リディアは絶句した。そう言われれば返す言葉もない。彼女はまんまとドミニクに騙され罠に嵌まったのだ。
「流石はドミニクだ。お前の事を少しでも疑った私を許してくれ。お前の忠心は本物だった」
「ご理解頂きありがとうございます、グラシアン様」
グラシアンの賛辞に頭を下げるドミニク。自分はあの女のゴマすりに利用されたという事か。その事実にリディアは猛烈な怒りを覚えた。
「この……売女!!」
反射的に殴りかかろうとするが、周囲にいるボディガード達に取り押さえられてしまう。複数の屈強な男達に押さえられては到底振りほどけなかった。
「くっ……!」
「ふふ、活きの良い女だ。それに……『アザトース』の会員達が
グラシアンはリディアの美貌や、タンクトップやショートパンツから露出した素肌を舐めるように眺め回す。リディアは怖気から全身に震えが走った。グラシアンはそんな彼女の顎を掴んで強制的に自分の方を向かせる。
「……っ」
「お前はあくまで
グラシアンの顔が嗜虐的な笑みに歪む。
「
(マ、マーカス……)
何を思いついたのか厭らしい笑いを浮かべるグラシアンの姿に、リディアはただ
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