Fight2:唯一の宝物

 アメリカ、インディアナ州インディアナポリスにある小児病院。その病室の一つにマーカスの姿があった。


「でね! トーマスがあんまりサラに意地悪するから、看護師さんに言いつけてやったの! そしたらトーマスが私の事『チクリ魔』だって言うのよ!? 酷いでしょ、パパ! 悪い事してるのは自分なのに!」


 病室のベッドの上でマーカス相手に元気に喋っているのは、今年で6歳になる娘のニーナであった。先天性の心疾患を患っており、物心付いた時から入退院を繰り返していた。母親からの遺伝であったらしく、母親(マーカスの妻)は2年前にやはり心臓の病気によって他界していた。


 この国の医療は優秀で、幸いな事にニーナは今のところこれ以上の症状の増悪もなく、安定した状態を維持できていた。しかしこの国は外国から揶揄される事も多い高額の医療費が問題であり、ニーナの入院及び治療費を捻出し続けるには、とてもマーカス1人が真っ当に働くだけでは足りなかった。


 頼れる親類縁者もいない彼が選択したのは、自らの培ったキャリア・・・・を活かした金稼ぎであった。非合法な賭け試合ストリートファイトは全国の街で常に行われており、決して『表』に引けを取らない程の巨額の金が動く。


 実力が無ければ1セントも稼げないシビアな世界だが、逆に勝ち上がれる実力さえあれば『表』並みに稼ぐ事も不可能ではない。幸いマーカスの実力は『裏』でも充分通用したらしく、今のところニーナの高額の医療費を支払う事は出来ていた。勿論ニーナにはストリートファイトの事は伝えていない。建設系の肉体労働をしていると言ってあり、試合での怪我などもそれで説明を付けていた。


「そうだぞ、ニーナ。悪いのはトーマスだ。お前は何も恥じることなどない。偉かったぞ、流石パパの娘だ」


 マーカスは微笑んで娘の頭を撫でる。ニーナは気持ち良さそうに撫でられるに任せる。全国に飛んで試合をこなすマーカスだが、試合が終わった後は必ずここに来て娘を見舞っていた。ニーナの元気な姿を見る事でそれが次の試合への活力になっていた。



「最近身体の調子はどうだ? どこか苦しい所はないか?」


「……大丈夫よ、パパ。お医者さんや看護師さんがとても良くしてくれるから、全然苦しい所も痛い所もないわ」


 父親の問いに笑顔で答える娘。普通なら気づかない。だが格闘家として多くの試合を経験してきたマーカスは、相手の一瞬の表情や感情を読む術に長けていた。それは実の娘であっても変わらない。体調の話をした時、ニーナの顔が一瞬微かに曇ったのを彼は見逃さなかった。


「そうか。それなら良かった。パパも安心だ。すぐに良くなるから、ちゃんとお医者さんの言う事を聞くんだぞ?」


 だがそれをこの場で問い直すような事はしない。ニーナが父親に心配を掛けまいとしているのが解ったからだ。


「う、うん! 勿論よ、パパ! ああ、喋ってたらお腹が空いちゃった! 今日は何を持ってきてくれたの?」


 ニーナは父親を騙せたと思ってホッとした様子で、マーカスが持ってきていた紙袋に視線を向ける。あからさまな話題逸らしであったが、マーカスは敢えてそれに乗って笑う。


「おやおや、食いしん坊さんはパパよりお菓子の方に興味があるみたいだな。なら朗報だ。今日は先生から許可が出たからお前の好きなチーズタルトを持ってきたぞ」


「ホント!? やったぁ! パパ、大好き!」


 お菓子を摘みながら親子で他愛のない話をして過ごす。マーカスにとって何物にも代えがたい贅沢な一時であった。だからこそ……



*****



「……手術? それも3ヶ月以内に?」


 ニーナの主治医の診察室。そこでマーカスは主治医からニーナの現状・・について説明を受けていた。主治医のメラニーという女医は神妙な表情で頷いた。


「今まで極力身体を傷つけないように最小限の薬物療法で対処してきましたが、この1ヶ月程でニーナちゃんの容態が急速に悪化し始めているのです。夜中に苦しさからコールを押す頻度も増えてきています」


「……!!」


 マーカスは目を瞠った。ニーナは聡い子だ。それが看護師の迷惑になると分かっていながら夜中にコールを押すとなると、相当に苦しいという事だ。しかもその頻度が増えているという。


「ニーナちゃんの年齢を考慮すると鎮痛剤での処置も限界があります。しかしこのままでは症状は悪化する一方です。そうなると……」


 メラニーは言葉を濁す。その続きは聞かなくても解った。母親と同じ運命・・・・・・・を辿るという事だ。そんな事は断じて認める訳にはいかなかった。


「……手術をすれば娘は助かるんですか?」


「はい。といっても私の手には余りますので、ニューヨークの病院にいる『心臓外科の神』と呼ばれる外科医に手術を依頼します。彼が執刀してくれれば手術の成功率はほぼ100%です。そして手術に成功すれば予後は非常に良いはずです。ニーナちゃんは定期検診と服薬以外にはほぼ健常児と同じ生活を送れるようになります。ただ……」


 メラニーは再び言い淀む。今度も彼女が何を言いたいのか、そして何が問題なのかの見当はついた。


「……費用・・ですね? 概算でいいので正直に教えてください。娘の命に掛かる金額を」


 そしてメラニーから告げられた金額は、マーカスが後100回試合をしても足りない額であった。この金額を聞いた時点で彼の心は決まっていた。マーカスは頷いた。


「金は必ず工面します。手術の手配を進めて下さい」


 これでも今まで欠かさず、決して安くはないニーナの治療費を払い続けてきた実績があるので、手術の予約は受けてもらう事が出来た。後は期日までに何としても手術費を工面するだけだ。


 それだけの金額となると『定職に就いていない』扱いであるマーカスでは社会的な信用が足りず、まずそんな大金を貸してくれるような金融業者はいない。ならば当て・・は一つしか無い。




 主治医との面談を終えたマーカスは、駐車場に出ると携帯電話を取り出し、以前にドミニクから(無理矢理)登録させられた番号に掛ける。意固地になって削除しないでおいて良かったと彼は今になって思った。後は前回の拒絶でドミニクが彼の勧誘を完全に諦めていない事を祈るばかりだ。


『もしもし、マーカス!? あなたですか!?』


 発信して僅か3秒足らずでドミニクの息せき切った声が聞こえてきた。どうやら振られる・・・・心配はしなくて良さそうだ。こんな場合ながら彼は思わず苦笑してしまった。


「ああ、俺だ。認めるよ、あんたの勝ちだ。『大会』にエントリーさせてくれ」


『……っ! 勿論です! でも……何故急に?』


「ニーナに手術が必要になった。想像が付くと思うが、目の玉が飛び出るような金額でな。『優勝賞金』は本当に出るんだろうな?」


 既にニーナの病気の事を知っているドミニクに隠しても無意味だ。今まで手酷く拒絶しておきながら最終的に彼女を頼った負い目もあるので、マーカスは正直に打ち明けた。


『……! 勿論です。それはお約束致します。ただし当然優勝・・して頂かなくてはなりませんが……』  


「それはそうだろうな。出場さえさせてくれれば後は自分で面倒を見るさ」


 基本は格闘大会のようなので、後は自分の実力と強固な信念次第だ。そして絶対に優勝するという信念では誰にも負けない自信がマーカスにはあった。



 こうしてマーカスはドミニクの『ボス』が主催する大会へと出場する事が決まった。そこで彼を待つものはまだ見ぬ強敵か、新たな出会いか、それとも……

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