ライジング・フィスト ~肉弾凶器

ビジョン

Fight1:無頼のファイター

 アメリカ西部のネバダ州リノ。同州内にある有名なラスベガスに次ぐカジノ産業で潤う街だが、この街で行われている賭け事ギャンブル合法的・・・なものに限った事ではなかった。


 街の中心部であるダウンタウンは大手のカジノが軒を連ね、夜が更けても眠る事を知らず不夜城の如き様相を呈していたが、一歩中心部から外れればそこは他の街と大差ない現地の住民が住まう住宅街や、その他の産業が日中に操業するための工場地帯などが広がっていた。


 それらの地域は当然深夜ともなれば行き交う人通りもほぼ無くなり寝静まり返る。……通常・・であれば。


 多数の工場が並ぶ工業地区。その中でも奥まった工場の一つに、この深夜にも関わらず照明が点いていて多くの人々が押しかけて熱気に溢れている工場があった。集まった人々はこの工場の従業員でも何でも無い。


 謎の人々が集まる中央部は直径が5メートルほどの円形のスペースが出来上がっていた。人々の熱視線はそのスペース内に注がれており、彼等はそのスペース内で向き合う2人の男・・・・に対して盛んに野次や歓声、怒号などを飛ばしていた。



 2人の男はどちらも周囲の反応など構わず互いの姿だけを見据えて、拳を構えていた。男達はここで殴り合い……つまりストリートファイト・・・・・・・・・・の真っ最中であった。



 男達はどちらも体格のいい白人で、裸の上半身はまるで鎧のような引き絞られた筋肉を誇示していた。一人は金褐色の髪をバックにしており、もう一人は禿頭だ。禿頭の男の方がやや体格が大きく体重も重いようだった。だが……


「はぁぁ……はぁぁぁ……!!」


 激しく息を切らせているのは禿頭の男の方だった。よく見ると禿頭の男はあちこち殴打による傷跡を作って出血していた。対して短髪の男の方は一発だけもらった傷で額が切れて軽く出血していたものの、それ以外には目立った傷もなく息も乱れてはいなかった。


「どうしたぁ、ヴィクター! 『壊し屋』の異名はハッタリかぁ!?」

「情けねぇぞ! 前に出ろ!」

「俺はお前に1000ドル賭けてんだぞ! 死んでも勝ちやがれっ!」


 周囲のギャラリー・・・・・達が無責任に禿頭の男……ヴィクターを野次ってけしかける。


「あのマーカスって余所モン、相当な強さだぜ!」

「大穴狙いでアイツに賭けて正解だったぜ!」

「いいぞ、マーカス! ぶっ殺せぇ!」


 一方で短髪の男……マーカスに賭けていた少数のギャラリーは、意外なほどの強さを見せる彼に喝采を送る。



「うぅぅ……! 殺す! 殺してやる!」


 野次に煽られたヴィクターが獣のような唸り声を上げて再び打ちかかってきた。なお2人の拳にはグローブの類いは付いていなかった。ただテーピングによるバンテージが巻かれているだけだ。『表』の試合ではあり得ない条件。だが『裏』では当たり前の事であった。


「弱い犬ほどよく吠えるな!」


 マーカスは打ちかかってくるヴィクターの拳を半歩下がるようにして躱す。ヴィクターが追撃しようとしてくるが、その動きは最初の頃に比べて精彩を欠いている。マーカスは冷静に姿勢を低くして、ヴィクターの踏み込んできた脚の脛目掛けて強烈なローを繰り出す。


「……っ!」


 痛みでヴィクターが怯んで動きを止める。当然その隙を逃す事はしない。


「ふっ!」


 マーカスは鋭い呼気と共にストレートを撃ち込む。バンテージのみに覆われた素手の拳がヴィクターの鼻面にめり込む。奴が盛大に鼻血を噴いてよろめく。そろそろ決め時だ。


「シッ!!」


 マーカスは今度は強烈なミドルをヴィクターの脇腹に蹴り込む。鼻血で怯んでいた奴は回避や防御が間に合わずにまともに喰らった。ヴィクターの身体が前のめりに折れ曲がる。マーカスは突き出された奴の顔面目掛けて下からアッパーカットを叩き上げた。


「――――っ!!!」


 気持ちいいくらいクリーンヒットしたアッパーがヴィクターの巨体を打ち上げ、奴はもんどり打って倒れ込んだ。完全に白目を剥いて痙攣している。どう贔屓目に見てもKOだ。周囲のギャラリー達から悲鳴と歓声が同時に上がった。


「そこまで!! 勝者、マーカス・テイラー・ハンター!」


 司会進行役の男が声を張り上げる。ヴィクターに賭けていた者達の怒号やブーイングが工場内に響き渡る。





「試合お疲れ様でした。相手はこの地域では有名なファイターでしたが、全く危なげない勝利。流石の強さですね」


 試合を終えて約束のファイトマネーを受け取ってこの場を後にしようとしていたマーカスに、このむくつけき場には相応しくない女性・・の声が掛かる。マーカスは溜息を付いた。これまでにも何度か聞いている声だったからだ。


「……またアンタか。何度来ても俺の返事は変わらん。他を当たってくれ」


 振り向いた先には彼の予想通りの姿。赤みがかった長髪に黒いスカートスーツ姿の若い女性であった。細い眼鏡を掛けていて、どこか大企業のキャリアウーマンといった雰囲気で、このような場末の拳闘賭博会場には甚だ似つかわしくなかった。


「他に適任がいるならそうしています。あなたでなければ駄目なんです。ボス・・のお眼鏡に適う強さを持った格闘家は限られています故」


 赤毛の女性は真剣な表情でマーカスを見据える。それを受けてマーカスは皮肉げに口の端を歪めた。


「正確には『お眼鏡に適う強さを持った非合法な・・・・格闘家』だろ?」


「……否定はしません。ボスの主催するイベントは、表の有名選手が出場できる類いのものではないので」



 この赤毛の女性(ドミニクと名乗った)が最初にマーカスの元を訪れたのは、今より二ヶ月近く前の事だ。彼女はマーカスの強さを見込んで、彼をとある大会・・・・・へ出場させるべくスカウトに来たらしかった。


 大会の詳細はスカウトを受けたら話すとの事で、しかもマーカスのような『表』から追放・・されて『裏』でしか活動できないような非合法の格闘家を招聘しようという時点でまともな大会でない事は想像が付いた。


 大会の優勝者には多額の賞金が出るとのことで、その額だけを聞いたマーカスも正直心が動かない事もなかったが、報酬が大きいという事はそれだけ危険度・・・も高いイベントであるという事だ。だからこそ彼等のような非合法の格闘家にオファーが来ているのだ。


 全米の各地で行われる非合法の賭け試合を渡り歩き荒稼ぎするマーカスだが、それは理由・・があっての事で、自分から進んで危険と分かっている場所に身を投じる趣味はなかった。



「……娘さん・・・の事は知っています。この大会で優勝すれば当面治療費・・・で困る心配は――」


 ――ドミニクの言葉が止まった。マーカスが彼女の喉を掴んでいたのだ。一瞬の出来事であった。余りの速さにドミニクは反応さえ出来なかった。


「――俺は女は殴らん。だが……ニーナに何かしたら貴様らを殺す。例え地の果てまでも追い詰めてな」


「……っ!! か……は……!」


 ドミニクは目を剥いて必死で『待て』のジェスチャーを繰り返す。喉を万力のような力で締め付けられている為、喋る事が出来ないのだ。尤もマーカスはこれでもまだ手加減していたが。女に暴力を振るう趣味がないというのは本当だ。でなければ彼の握力でドミニクの首の骨はとっくに折れていただろう。


 警告は充分だろう。彼は手を離した。首を圧迫していた握力から解放されたドミニクは首を押さえて何歩かよろめき、近くの壁に身を預けて激しく喘いだ。


「な……何も、しません。ただの、ご提案です。彼女の病気・・は先天性のもので、治療には莫大な費用が掛かっているはず、です。各地で危険なストリートファイトを繰り返しているのも、それが理由でしょう? 大会に出場するだけでも、今の試合数回分の契約金が、支払われます。ましてや『優勝』すれば……」


 『優勝賞金』については以前にも聞かされている。確かに額だけ聞けば魅力的だ。だがそれに伴うリスクが大きすぎる。娘の……ニーナの為にも、彼はそこまでのリスクを負う気はなかった。


「生憎今の稼ぎでもニーナの治療費は払えてるんでな。危険を冒してそんな怪しげなイベントに出る気はない。やはり他を当たってくれ」


 マーカスは一方的にそれだけ告げると、まだ少し喘いでいるドミニクを残してさっさとこの場から立ち去っていった。

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