9月17日
今回最後の、見舞いへ行った。
母はリハビリの一環で車椅子に乗せられており、寝ているよりは少し表情が見やすい。またハンドクリームを塗る。段々と見慣れた手の形に戻ってきて、少し安堵する。この三日、少なくとも悪くはなっていない。私の目には、僅かずつでも良くなっているように見える。けれど結局、母の声を聞くことはできなかった。無理だとはわかっていたものの、それが辛い。
母は気管を切開する予定である。それはつまり、これまで通りの声はもう聞くことができないということである。予後によっては別の方法で喋ることも不可能ではないらしいが。今はまだしっかりと覚えているけれど、いずれ私は、あんなにもお喋りだった母の声を忘れてしまうのではないかと思う。後悔先に立たずとはよく言ったものである。
次は一般病棟で会えると良いねと伝えて、病室を後にした。
父に最寄り駅まで見送ってもらった。また家に一人になるが、父には本当に、元気でいてもらわなくてはならない。実家は覚悟していたほど荒れてはいなかったが、追いついていない部分も色々とありそうだった。そばにいられないのが心苦しい。私ができることなど本当に少ないのだけれど。
帰路は飛行機にしたのだが、その出発時間までを主に東京駅で過ごした。離れている間に、施設が増えたり店が入れ替わったりしていると聞いていたので、土産などを買うついでに見て回った。
東京はカンカン照り。連休の真っ最中ということもあって、結構な人出があった。山陰に来る前は中央線沿線に住んでいたので、車窓の景色も懐かしい。目当てのカフェは行列で諦めたが、目当てのカレーは食べられた。夫の職場や自宅用の土産も買い、概ね満足である。
母の状態がもっと良ければ、東京の友人に会うのも有りだったのだが、まだとてもそんな気分にはなれなかった。ただ人で賑わう東京は束の間味わえたと思う。
飛行機は遅れたのだが、その分を空港のラウンジで過ごした。その間にこの日記を途中まで書いていたのだが、親の前で我慢していた涙が零れてきて困った。東京ではきっと、周りは私のことなど気にしていないのだろうが。
この三日間、日記を書くときに改めて涙腺が緩んでしまうので危なかった。元々、すぐに涙が出る方ではある。こうして書き記すことが今の自分に良いことなのかはわからないが、残すことにはきっと意味がある。折角ここまで、続けてきたのだし。
読んでくださっている方々にとっては期待しているものではないだろうし、ご心配をおかけしてしまうだけかもしれず、申し訳無い。
山陰に戻ってからは、私は私で日常をやるしかないので、これまで通りに何か食べてはぶつくさとぼやく日記に戻ると思う。
真っ暗な山道を走るバスに乗りながら記す。
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