4月20日 鶏の梅干し煮

 人の少ない山陰では、外でマスクを外すのに何の躊躇も無い。

 私は辺りに知り合いもいないものだから、日焼け止め下地に粉をはたいただけの顔に色付きリップクリームを塗って、スーパーへと自転車を漕ぎだした。

 暑い。まだ四月とは思えない暑さである。島根には珍しく青空が広がり、陽の光が燦々と降り注ぐ。髪を結んでくれば良かったと後悔した、そんな時だった。私の唇に羽虫が突撃してきたのは。

 そうだった、春とはそんな時期だった。年中マスクをしていたせいですっかり忘れていたが、小さな虫がリップクリームやらグロスやらに絡めとられて死ぬ、不愉快な季節である。

 私はその姿を見たくもないので、手の甲で雑に口元を拭い、それを払った。舌打ちでもしたい気分だったが、そこへまた虫が飛び込んできてはたまらないので、抑えた。

 しかし目的地へ辿り着くまでに、別の羽虫が頭頂部をかすめ、更に別の羽虫が眼鏡に衝突してきたものだから、「この、田舎の虫ケラどもが……!」と心の中で呪詛を唱えてしまったのも、致し方ないことだと思う。道を歩く人が少な過ぎて、虫の方も油断しているのだろうか。


 家へ帰ってきて、暑さに耐えきれず髪をポニーテールに結った。四月からこんなに暑くて、夏はどうなってしまうのだろう。

 それから意を決して、冷蔵庫からあるものを取り出した。

 未開封の梅干し、1kg。

 そろそろ流石に使わなければならないことに、薄々気づいていた。二ヶ月ほど前にいただいたものである。和歌山の、恐らく高級な梅干し。しかし残念なことに、私も夫も、あまり梅干しというものが好きではないのだった。

 だがこんなに暑い日には、さっぱりとした梅干しの酸味がちょうど良いのではないだろうか。


 そんなわけで、今夜は鶏の梅干し煮を作った。

 筋切りをした鶏もも肉をフライパンに並べ、酒と醤油と砂糖、種を抜いた梅干しを入れて煮る。途中で上下を返してさらに煮ていき、煮汁が染みるように少し冷ます。鶏肉は先に皿に盛り付けておき、照りが出るまで煮汁を煮詰めてから肉の上にかける。これで完成である。

 弱火でふっくらと煮た鶏もも肉はジューシーで、適度に脂も落ちている。醤油ベースの煮汁はほんのり梅が香り、さっぱりとして、付け合わせのレタスにもよく合う。甘辛く煮た梅干しは酸味が穏やかになり、肉の上で崩しながら食べれば、いっそう豊かな風味が広がる。ごはんが進む味である。

 箸休めにも、梅干しとわさびで和えたきゅうりを添えた。わさびの爽やかな辛味が良い。


 これでようやく、梅干しを五個消費したことになる。こうして食べると美味しいとはいえ、先は長い。今後、梅干しを使った料理の日が増えると思うがご容赦いただきたい。

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