第38話 王都アクエティナス①

眩しいくらいの光に、ユリアは目を細めた。

馬車の窓から降り注ぐ朝日は、夜が明けたことを嫌でも知らしめる。

夜の間走り続けた馬車は、ついに目的地に近づいてきているらしい。


——兄アヒムが何者かに捕まった。


それは取り乱すのに、十分すぎる理由ではあるし、本来ならば、そうであってしかるべきなのに、なぜかユリアは落ち着いていた。それは、あまりに突飛な事件に、感情が上手くついて行かず、まったく現実味を感じないからかもしれなかった。

もしくは、「死」というものに対して、どこか無頓着な性質ゆえなのか。


〈レガ教団〉には、広く信仰されているバサエル神やシュヴァリエ神への信仰と、解釈がずれた教義があった。

 

その中に、本来、人間の魂が存在すべき場所、帰るべき場所は天界であり、この地上は、魂の修行場にすぎないという考え方がある。


 物心つく前から、その教えの中に浸って生きて来たユリアにとって、〈レガ教団〉を否定している今も、根底ではこの教義が土壌であり、その上に作物を作り続けている。

 

生き物の死に対する、どこか冷めた態度。

目の前で傷ついている動物がいれば、もちろん心配するし、痛いだろう、つらいだろうと共感できる。けれど、その者の命の灯が消えかけたとき、ついには消えてしまったとき。

 

ユリアは思うのだ。

もとあるべき世界に帰ったのだと。

だから、人の死は悲しむべきものではないと。

むしろ、笑って送り出してあげるべきなのだと。

でも、それを否定する自分もいる。

なぜ、人並みに「人の死」と悼めないのだろう。

悲しいと悲嘆にくれていられないのだろうと。

そう思えない自分は、まるで血の通わぬ人間だ。

ひどく、冷酷で残酷な、人ならざる者だ。


目の前にいるカトリナにしてもそうだ。

夜道で会ったときは、多少なりとも焦りのようなものが見え隠れしていたのに、今では窓の外など眺めながら、馬車の旅を楽しんでいるような雰囲気すらある。

恋人が得体の知れぬ者たちに捕まったとあれば、呆然としたり、泣き叫ぶかしそうなものなのに。

 

でも、ユリア自身、冷静なのだから、もしかしたらカトリナも同じなのかもしれない。

ユリアはそう考え、妙な違和感を飲み下した。



「もうすぐよ」


カトリナはにっこり微笑み、隣に乾燥させる目的で置いていたユリアの服を鞄に仕舞い込む。

馬車に乗り込んですぐのこと、カトリナがおもむろに鞄から衣服を取り出し、ユリアに渡したのだ。それは純白の詰襟のワンピースで、袖口や裾がドレープ状になっており、ゆったりした装いだった。以前、どこかで見た絵画の中の天使のような穢れを知らない服だった。

カトリナの所有物であろうし、こんな素敵な衣服を借りて良いものかと自問したものの、濡れた状態では、衣服が肌にひっついて気持ち悪いし、それに最悪体調を崩す可能性がある。

 

そうなってはかえって迷惑をかけてしまう。

というわけで、ユリアは今、水気のない純白の衣服に身を包み、外を眺めていた。

被り物がないのは心許ないが、贅沢は言っていられない。

実は、長靴ブーツの中もびしょ濡れなのだが、それも仕方ない。


「ねえ、良かったらこれは履く?」


突き出されたのは可愛らしい、これまた白い靴だった。

心を読まれたのかとユリアは驚いて、カトリナを見ると、カトリナは軽く笑って、その靴をユリアの足元に置いた。ユリアは足元に目を落とす。

 

王族や貴族が舞踏会で履くような踵の高い靴だ。爪先は少し丸みを帯びていて、赤、青、黄、緑の四色の小さな造花が飾られた、お洒落な靴。


「サイズ、合うといいんだけど」


 悪いと思いながらも、ユリアはわくわくする胸を押さえ、濡れた長靴ブーツを脱ぎ、真新しい白い靴に足を入れた。履いてから、足をぶらぶら動かしてみる。


「ぴったりです」


「よかったわ」


微笑むカトリナに、笑い返し、ふとカトリナの靴に目を止め、小首を傾げる。

カトリナが履いているのは短めの長靴だ。そのサイズは、ユリアのものより明らかに小さい。だのに、今貸してもらった靴は、ユリアにぴったりだ。それが何とも不思議だった。

衣服に関しても同じことが言える。明らかにユリアより小柄なカトリナの持っている服が、なぜユリアに丁度良いのだろう。


「そろそろ城門よ。ほら、窓の外を見て。街が見えるでしょう?」


けれど、カトリナの言葉に、頭に浮かんだ疑念は霧散してしまった。

ユリアは窓硝子に張り付くように外の様子を見た。


「王都、アクエティナス……」


一度も来たことのないユリアでさえも、その景色がどこのものなのかわかった。

その美しい街並みに、思わずため息が漏れた。

王都アクエティナス。

イーリアが誇るべき水の都。

白い城壁に囲まれた広大な王都は、美しき白と青の街。

遠い昔、水の妖精たちと交流を持っていたという初代の王が、彼らの都を模して建造したといわれる幻想的な都だ。

全ての建物の壁は白で統一され、その屋根の色は青が使われる。ただ、その青色には指定がなく、澄み切った空の色もあれば、深い海の色、道端に咲く小さな花の薄い青など、様々だ。


「きれい……」


「そうよね、隠れ里とは大違い」

 

その皮肉気な物言いに、ユリアはカトリナを見た。

微笑みを浮かべてはいるものの、その口元はかすかに歪んでいた。

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