第33話 重荷

昼過ぎの食堂は人がまばらで、ユリアたちはなるべく人目につかない隅の、柱の陰の席に腰を下ろし、目立たぬよう食事していた。

堅いパンをスライスして、その中に焼いたベーコンや野菜を挟んだサンドイッチと、豆のスープという軽食だ。

 

カイが来るのを待とうとも思ったのだが、腹の虫が騒ぎ立てるので、やむなく食事にしたのだ。フードを被ったまま、木の匙でスープを掬い、一口すする。

クリーム色の豆のポタージュスープで、緑のハーブが散って彩りがきれいだ。


「カイ君、戻って来るのかな?」

 

ライナルトはサンドイッチを咀嚼しながら、外へと続く扉に視線を向けている。

けれど、食事を終えるまでに、その扉のベルが鳴ることはなく、カイのことを気に留めながらも、二人は部屋へ引き取った。


何となくひとりになるのが嫌で、ユリアはライナルトの部屋に居座っていた。

開け放たれた真四角の窓から、心地良い風が吹き込んでくる。

ユリアは部屋にある唯一の椅子を窓辺に移動させ、入って来る風に銀色の髪を弄ばれるままにしていた。

十文字槍の点検を終えたライナルトは、槍を部屋の隅に置いてから、ユリアの背後に立つ。


「ユリアちゃん、その……大丈夫?」

 

頭上に振って来た声に、ユリアは座ったまま上を向く。

逆さまになったライナルトの顔が見えた。


「何が?」


「えっと……」

 

口ごもるライナルトに、ユリアは眉を寄せたあと、突然ぱっとひらめいて、ユリアは勢いよく顔を戻すと、上半身を捻るようにして、振り仰いだ。


「そういえば、ライナルトってどこで槍を習ったの? あとあと、イーリア語はいつどこで勉強したの?」

 

昨夜、落ち着いたら聞いてみようと思っていたことだ。

ライナルトは面食らったように目を瞬かせ、そのあと視線を泳がせた。それから寝台に移動して、その縁にどかっと腰を下ろす。


「それ、気になる?」


「すっごく、気になる」

 

ライナルトは小さく息を吐くと、困ったように笑った。


「じゃあ、話さないと、か」

 

ライナルトは、両手を頭の後ろで組むと、そのまま寝台に倒れ込んだ。

そして、天井に視線を投げながら、少し言いづらそうに口を開く。


「槍は……エターニア騎士団の騎士見習いたちに混じって覚えた。エターニア騎士団は、聖女様専属の騎士団だよ。神官とは距離が近いからね。何かと一緒に仕事をするし。俺の力は最初から不安定で、長くはもたないだろうって思ってたんだ。神官の仕事についてから、やっぱりその兆しが表れて。それで、神官としての力がないなら、せめて騎士団に転向できるようにと、空き時間に鍛錬した。個人的に、剣より槍に惹かれたから、槍にしたんだ。腕前はそれなりのつもりだよ? これでも騎士団長に見込まれてたんだから。でも、暴力は好きじゃない。おかしいだろ? それなら何で騎士団に転向しようなんて考えたのかって」

 

ライナルトは頭の後ろに置いていた手を前に回し、両手で顔を覆った。

小刻みにその手が震えている。

ユリアは首を捻りながらも、ライナルトの言葉を待った。


「俺の居場所は聖女様の傍なんだ……それが、それこそが、両親に望まれたこと。だから、俺は聖女様の傍に居られる方法を模索して、槍を覚えることにした」

 

しばらくの間、ライナルトは口を開かなかった。

あまりに静かだったので、ユリアは寝てしまったのかと思い、ゆっくり近づいて、ライナルトの両手で覆われた顔に、腰を曲げて、自分の顔をぐいっと近づける。

 

すると、ライナルトは両手を下ろし、まっすぐユリアを見つめた。

間近で目が合い、ユリアは驚いて飛びのこうとするも、その前にライナルトの腕がユリアの手首を掴んだ。ライナルトの手はひどく冷たかった。


「イーリア語はね。幼い頃から勉強してたんだ。うちは貿易で生計を立てていたから。エンガリアでも西にあるセルンは、イーリアと一番近い。主な取引相手は、イーリア人になる。だから、兄弟三人、揃ってイーリア語を勉強した。おかげで、イーリアに来ても難なく意思疎通が図れるし、こうしてユリアちゃんとも話すことができる。つらい勉強も無駄ではなかったね」

 

そう言って笑うライナルトは、どこか無理しているように見えた。灰緑色の瞳の奥に、暗い影が見えたのだ。およそへらへらしているライナルトらしくない、この影を、前にも見たことがあるとユリアは思った。

 

ライナルトの冷えた手が力を弛めたので、ユリアは腕から逃れると、仰向けになるライナルトの横に腰を下ろした。


「ねぇ、ライナルト。あなたって、神官になりたかったの?」

 

ユリアは足をぶらつかせながら、ライナルトの顔を見ないように、壁に掛かった花の絵画に目を向けながら、不自然にならないよう尋ねた。


「え?」


「自分の意志でなったのかと聞いてるの」


「え……あ、いや……そう、だね。望んでなった、んだと思う」

 

歯切れの悪い台詞に、ユリアは怒ったように眉を寄せる。自分がはっきりものを言う質なので、曖昧な言い方には腹が立つのだ。


「違うよ、ライナルト。あなたはさっき、両親に望まれたって言ってた。だから、ライナルトは、父様と母様の期待を裏切りたくなくて、神官になったんだ。でも、神官の力が失われるって焦って、それでも親の期待を裏切りたくなくて、聖なる者に携わらなきゃいけなくて、槍の練習をしたんだ。ね? そうじゃない?」

 

ユリアはライナルトの顔を見た。

ライナルトは目を見開き、口を開きかけたが、すぐに閉じてしまう。それから目を伏せて、力なく、口の端を上げた。


「何で? 何でそう思う?」

 

震える声で問われ、ユリアもこてんと後ろに転がり、ライナルトの隣に並ぶ。


「何となく。ソヴィデ村での最初の夜のこと覚えてる? ライナルト、自分の事情を言いたがらなかった。話してくれた後も元気なくて。事情はわからないけど、何かあるんだって思った。でも、それは、神官になったのに、力が失われていくことへの恐怖とか、悲しみだと思ったの。だけど、今の話を聞いて、違うんだってわかった」

 

ライナルトは先を促すように、ユリアの横顔を見た。


「ライナルトは、父様と母様を喜ばせるために神官になったんだよ。だから、神官をやめるってことは、父様たちを悲しませることになる。それで、ライナルトはつらいんだ」

 

ユリアは断定的に言い切って、体をころりと転がして、ライナルトに向き合うような格好になる。


「でも、もういいじゃない。一度は喜ばせたんだし、これからは好きな道を行って良いと思うな。もう親のために頑張らなくていいよ。あなたはあなたであって、親の所有物じゃない。もう、あなたは自由! 好きなように生きなさい、ね?」


ユリアはライナルトを元気づけたかった。

当たり前のように、行きずりのユリアを守ってくれる、お人好しで、お節介なライナルト。

悩み事なんてないかのように、いつもにこにこしているように見えた。

 

けれど、本当はそれなりの葛藤を抱えている、ごく普通の人間なのだ。

そう思うと、ライナルトがいじらしくて、いとおしく感じた。

少しでも心の重荷を減らしてあげたい。

守ってもらったお返しにとか、一方的にお世話になっていて心苦しいから、少しでも役に立ちたいとか、最初はそう思っていたのに、数日を共に過ごしているうちに、ユリアは純粋に、ライナルトの心に巣食う影を一掃してあげたいと思った。

 

そうして、心から笑ってほしいと。

突然、ライナルトの手がユリアの頬に伸びた。触れた指先が先程と違い、生暖かくなっていた。ライナルトもユリアと同じように転がり、向き合う。

すぐ近くにある灰緑色の双眸がかすかに揺らいでいる。

ライナルトの手のひらがユリアの頬を包むように触れた。


「不思議だ……」


ライナルトの囁いた声は、ひどく掠れていたが、そこには高揚感が滲んでいた。


「俺もそうかなって、思ってた。だけど、認めるのが嫌だった……俺さ、やめたその日にイーリアへ向かったんだ。だから、まだ家に帰ってない。両親の顔が見たくなくて。父も母も、俺に力があるとわかった時、すごく喜んでくれて。彼らは信仰熱心な人たちで、女神セングレーネ様のお役に立てる人間になりなさいってのが家訓になってるくらいで。だから、俺も嬉しかったんだ。父と母が喜んでくれたことが。優秀な兄たちには、どうあっても敵いそうもなかったけど、女神さまの力は、努力したって手に入れられるものじゃない。俺は特別だって。そう思った。エターニア大聖堂に行ってからも、頻繁に手紙を送った。こんなことを勉強してますとか、聖女様は素晴らしいですとか。両親の喜びそうなことを書いて。両親の方も、セングレーネ様の為に頑張るんですよって書いてよこすんだ。それが日常だった。だから、神官でいることが難しいとなったとき、俺は焦ったよ。自分の存在価値が失われようとしてたんだから。だから、無理に頼み込んで、騎士見習いに混じることを許可された。仕事の合間だったけどね。必死に槍を突いてるときは、いろんなことを忘れられたよ。でも、両親からの手紙が来る度、それを読むのが怖かった。でもね、ユリアちゃん。神官を辞めたその日、俺は何かから解放されたような清々しい気持ちだったんだ。今ならどこへでも行ける。そう思った。それで、こうしてイーリアに来た」


そう言って、微笑んだライナルトはユリアの額に自分の額を当てた。

 

あまりの近さに、目を白黒させていると、


「ありがとう。君に会えてよかった」

 

優しい囁き声が聞こえ、ユリアはぼっと顔を赤くした。

窓から入って来た穏やかな風が、カーテンを揺らしてから、寝台で向かい合うふたりの髪を撫でるように走り抜けていった。

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