第13話 白の一族③


 あまりに興奮しすぎたせいで、何を言ったのか半分近く忘れてしまったが、嘘や偽りは一つも言っていない。ただ、いつものごとく言いすぎた感覚はあった。

 絶句している母と、徐々に顔色を曇らせていく父。はらはらする姉。

 今はその光景すら思い出すのがつらい。


「えっと……どこまで話したっけ。ああ、あのね。話はもっとややこしくなるの。両親に教団との決別宣言をした私は家を出ることにした。でも、私が行ける場所なんて限られていて。里の端の方に緑の深い森と、山があるの。そこに、ゲレオンっていうおじいちゃんが住んでいて。その人、私の魔法の師匠なの。粗末な山小屋なんだけど、師匠とフェリクスっていう兄弟子が二人暮らししていてね。そこに逃げ込むはずだったんだけど、その途中、兄の恋人であるカトリナが現れて。兄がね、〈翠玉姫〉を探すために夜中、人知れず里を出たっていうのよ。兄は、アヒムっていうんだけど。兄アヒムと、姉アグネス、そして私は、〈レガ教団〉を心から信じていたわけではなかったと思う。そういう意味で、私たち三人はわかりあえる仲間っていうか、家族の中でも意識が近かったっていうか……そのアヒムが、最近怪しい人たちとつるんでいるって噂があって」

 

 最初聞いたときは耳を疑った。

 兄弟子のフェリクスと、姉のアグネス、それぞれからアヒムが最近〈銀海の風〉という若者集団と付き合いがあるらしいと聞いたのだ。


 ——アヒムは悪い連中に捕まったようだぞ。


 山小屋の暖炉前の敷物の上に陣取ってお茶を啜っているときに、薪割から戻って来たフェリクスに言われた。フェリクスは腰まである銀色の髪を紐で結わき直しながら、青い瞳に不穏な色を纏わせた。


 ——ユリア、アヒムが最近妙な人たちと関わり合っているようなの。

 

 フェリクスから聞かされた数日後、ユリアが自室で秘密裏に魔法の特訓をしようとしいていると、姉のアグネスが突然訪ねてきて、声を潜めてそう言ったのだ。


「〈銀海の風〉ってどんな人たちなの?」

 

 しばし、ユリアが当時に心を飛ばしていたため、ライナルトが話を促す。


「私もよく知らないんだけど、どうやら〈レガ教団〉の過激派みたいな感じなの」

 

 レガ教団は、〈翠玉姫〉の出現を心待ちにし、ゆくゆくは白の一族の復権を願っている。だが実際は復権ではなく、世界統一だ。白の一族による統治。白の一族こそ世界を支配するにふさわしい、選ばれた民だという、選民思想によるものだ。

 

 とはいっても、レガ教団は暴力を好まない。それに、どちらかというと受け身的な体質で、ただひたすらに、〈翠玉姫〉が現れるのを待つという、消極的な態度である。

 

 だが、教団内にいる若者の中にはそれが歯がゆくて仕方のなかったものも多かったようで、自らを予言者と名乗るゴッドフリートが「白の一族こそが世界の支配者。どんな手段を使ってもいい、世界統一をなすべきだ。それが神の御意思だ」と声高に叫ぶと、それに賛同する者たちが後を絶たなかった。それは、レガ教団の外にも波及し、一般的な白の一族であった若者たちが幾人も、ゴットフリートを支持した。

 

 そうして彼らは〈銀海の風〉と名乗るようになったそうだ。

 

 ゴッドフリートは確かに白の一族であるらしいが、生まれは里でなかったようで、いつの間にかふらりと里に入り込み、居ついてしまったらしい。


 隠れ里は、白の一族の者にならばいつでも開かれており、出入りは自由なので問題はないのだが、その出生があまりに謎なので、どうもうさん臭さが漂っていた。

 

 だが、その謎めいた空気が、賛同する若者たちをさらに熱狂させたのは確かだった。


「アヒムさんは、いつの間にか〈銀海の風〉に入って、昨夜〈翠玉姫〉探しの指令を受けて、里を飛び出したってことか」

 

 ライナルトは額に手を当て、唸るように呟いた。


「そう。それと……あと、これは私個人のことなんだけど。白の一族が四大魔法を操っていたのはずっと昔のことで、今はふたつ使えたら奇跡って感じなんだけど……」

 

 ユリアは本当に言ってしまっても良いものだろうかと、一度踏み留まったものの、それでも言い掛けたのだから最後まで言ってしまおうと口を開く。


「実は私〈先祖返り〉って言われてるの。これは家族と、ごく一部の人しか知らないんだけど」


「先祖返り?」

 

 目をぱちくりとさせたライナルトにユリアは頷いて見せる。


「要するに、四大魔法の全てが使えるの。今のところ、里の中で私ひとりだけ」


「ええ⁉」

 

 ライナルトは思わずというように立ち上がり、両手で頭を抱えると、またすとんと腰を下ろす。


「四大魔法を……ユリアちゃんが」

 

 半ば放心したように反芻するライナルトに、ユリアは苦笑した。

 

 一般人の反応としてはこれが正解だろう。


「父様や母様には他言するなと言われていて。この力はいつか〈レガ教団〉の為に使う時が来るから、悪用されたらいけないって。もちろん、使うことも許されなかった。でもね、魔法の勉強もせず、練習も何もさせてもらえないで、そのいざってときに使えると思う? 私は自分の持つ力を知りたかった。魔法を使う感覚を味わいたいと思ったし、自分の中に眠る力を見てみたかったの。それで、密かに魔法を試したくて、人の近づかない森に入って……そこで野犬に襲われて……師匠たちに助けられたの。師匠がね、身を守るために魔法を覚えるべきだと言ってくれた。それで、時々師匠のところへ行って、魔法を教わることになったの。これは家族には秘密だったんだけど」

 


 小さなユリアの前に現れた灰色の野犬。ユリアの数倍の大きさで、目は血走り、剥きだした牙は黄色く、その間から洩れる息は生臭かった。

 枯葉の散った地面の上に尻もちをつき、ユリアは野犬から目を離せないまま、どうにか後退しようとした。

 けれど、逃がすまいと野犬は血を凍らせるような唸り声を発し、ぎらつく瞳でユリアを睨みつけていた。


 ——ここで死ぬんだわ!

 

 歯の根が合わないほど、がたがたと震えた。

 野犬が頭を低くし、飛び掛かるような態勢をとった。


 ——神様‼

 

 刹那、野犬の鼻先に一本の矢が横切った。

 とたんに野犬は怯んだように飛びのき、そのまま尻尾を巻いて逃げだした。


 ——おい、大丈夫か? 師匠、無事みたいだ。

 

 そこで出会ったのが、素早くユリアの前に駆け付けた、脇に弓を挟んだ格好で屈みこむ、銀色の髪を一つに結わいて背中に垂らし、切れ長の目が印象的なフェリクスと、その背後から悠然と姿を現した、逞しい山男を思わせる顎髭を蓄えた五〇がらみの師匠だったのだ。

 

 それからというもの、師匠とフェリクスのいる山小屋は、ユリアの第二の家となった。

 しばらくして弟弟子もでき、ユリアにとって師匠、兄弟子、弟弟子の三人は、家族以上に気心の知れる相手といってよかった。〈レガ教団〉のことや〈先祖返り〉のことを受け入れてくれる、唯一の他人だったからだ。


「もし、見当違いのことを言っていたらごめん。君を襲ってきた彼、やっぱり銀色の髪に青い目だったよね。ということは、白の一族ってことになる。ユリアちゃんを追ってきているのは、〈レガ教団〉か〈銀海の風〉ってことになるの? それとも全く別の勢力?」

 

 首をひねるライナルトに、ユリアは首を振った。

 ユリア自身わからないのだ。

 検討をつけようにも、情報が少なすぎる。


 ——ユリア・クレフ・シュバルヒ。一緒に来い。君には大いなる使命が与えられている。


 ——何も怖がることはない。君は選ばれし者。あのお方が君の力を必要としている。とても名誉なことなんだ。


 あのアヒムが話していた集団にいた青年。

 ユリアを襲って来た四人のリーダー格である、青年の言葉を思い返してみる。


(大いなる使命、選ばれし者、あのお方……)


 だが、やはりわかりそうもない。


(使命って何? あのお方って誰?)

 

 四大魔法を使えることを言っているのだろうかとか、あの方というのはシュヴァリア神か〈レガ教団〉教祖であるスヴェンか、もしくは〈銀海の風〉の若き総帥ゴットフリートかとか、あらゆる可能性を考慮に入れてみるが、答えは出ない。

 

 考え込むユリアを見、ライナルトはおもむろに長い腕を伸ばして、ユリアの頭に置くと、くしゃくしゃと髪を乱す。ぐるぐるする思考から一気に引き戻されたユリアは、びっくりしてライナルトを仰ぐ。


「とにかく、何者かはわからない相手だけど、ユリアちゃんを守り通せばいいんだよね」

 

 にっこりと微笑むライナルトの顔が、とても優しくて、温かくて、それでいて綺麗で、ユリアは鼻の奥がつんとするのを感じ、さっと顔を背けた。

 

 その後も、頭に鳥の巣を構築し続けるライナルトに、ユリアは急に気恥ずかしさと、反抗心が首をもたげてきて、飛び交う羽虫を捕まえるが如く、両手を頭上に持ち上げ、ばちんと太い腕を挟み込む。無事捕らえられた手は止まり、所在なさげに宙を彷徨う。


「じゃあ、今度はライナルト。あなたの生い立ちを聞かせてもらえる? あなたが信用に足る人間かどうか判断したいの」

 

 挑むようにライナルトを見上げ、口の端をわずかに上げる。

 頭を撫でられていたゆえの、照れ隠し半分、本音半分だ。

 でもやはり言い過ぎたと、胸の奥が少しひりついた。

 ライナルトは片眉を上げてから、ユリアの顔をまじましと見つめ、その後、ふっと頬を緩めた。


「了解。今度は俺の番だね」

 

 ライナルトは弛んだユリアの手から逃れた腕を膝の上に戻し、ふう吐息を吐いた。

 そして、ユリアを通り越して、隙間風で揺れるカーテンの方に目を向けた。

 その瞳はわずかに陰り、切なげな色を浮かべていた。

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