黄昏れた神話と溢れた一雫

みゆki

#1 眠いわー

 一面見渡す限り、白銀の世界。

「寒い~。歩きにくい~。頭痛い~。息苦し~。目チカチカする~。風きついー。疲れた~。寒い~。歩きにくい~。頭痛い~。息苦し~。目チカチカする~。風きついー。疲れた~。寒い~。歩きにくい~。頭痛い~。息苦し~。目チカチカする~。風きついー。疲れた~。寒い~。歩きにくい~。頭痛い~。………」


 深く積もった雪の斜面を、ブツブツと一連の同じ台詞、と言うよりも、最早ぼやきを繰り返しつつ歩き続ける人影が一つ。


 此所は、ロイスト帝国領にそびえる、標高五千メートルの峰が、東西二百キロにわたって続くバール連峰、その最高峰アルシオニク山の山頂付近。標高は、既に六千メートルを超えている。


 雲一つない正午近くの天空には、地上で見る其れよりも、一際活動的に見える太陽が強い日差しを投げかけてくる。当たりは一面の真っ白な雪原。反射し、照りつける太陽の光は、大変に目にも、肌にも優しくない。


 そして、高所であるが故の低酸素と極低温。酸素不足は言うに及ばず、濡れたタオルを二、三回振り回せば、立派な鈍器が出来上がる極寒地だ。加えて、希薄な大気にも関わらず風もそこそこに強く、体感温度を実際の気温から更に低く感じさせている。今吹き付けている其れは、積もった雪を高く舞い上げるほどでは無いものの、遮る樹木など育たない高山であり、しかも一際突出した最高峰。周りには、岩場すら見当たらない以上視界を遮られずに済んでいる現状に、寧ろ感謝する方が正しいのかもしれない。


 そんな、旅をするにしてもよほどの事情があろうと避けるべき過酷な環境下を歩き続ける人物。鼻から下をマフラーで覆い、臙脂色の厚手のローブを纏ってローブに付属のフードを深く被っている。荷物は、手にした大ぶりの杖以外、目立った物は持っていない。

 身長は、百六十センチほど。髪や目の色は、ローブのフードに隠されて今は見えない。呪詛の様に吐き出され続ける独り言の声質は、聞き取りやすく、耳に優しい女性の其れ。

 ローブの裾から見え隠れする足元は、薄手の革製パンツに、平地であれば歩きやすそうな膝下までのブーツ。

 有り体に言って、高山を移動出来る装備などでは有り得ない。と断言出来る軽装だ。


 しかし、かの人物が、単独でここまで歩いてきた事を裏付けるかのように、その背後には視界の届く限り一直線に続く階段が続いている上に、辺り一面見回そうとも、小動物の足跡一つ見当たらない。

 そう。続いているのは、足跡ではない。


 氷で出来た階段だった。


 吹きすさぶ強風によって、時折巻き上げられる雪に埋もれる事もなく、存在している。


 彼女の前方にもその階段が続いているのであれば、積もった雪を払いのけて歩いて来たと、無理矢理にでも納得も出来るのであろう。しかし、彼女の前方にあるのは、只の雪原。

 よく観察してみれば、数歩、その歩みを進める度に、深く積もった雪をブロック状に圧縮し、新たな一段の階段が出来上がっては又数歩。歩みを続ける度に次々と、氷の階段が増設されている。


 魔法による物だった。術式に名称はない。ただただ、少しでも歩きやすくする為に、そして、万が一の帰還を考慮して、進んできた道を維持し続ける為に、と組み上げられた、雪原に歩道を作るためだけの魔法式。雪を押し固め、平地では歩道を、斜面であれば階段を、その術者が進むに合わせて作り上げる。解呪する、若しくは、供給される術者の魔力が途絶えるまで維持し続ける、只その為だけの魔法。一般に使用されている物ではない。確かに、便利な代物ではあるが、このような魔法を使用してまでして、極寒の雪原を移動しようという者が、そもそも存在しない世界である。彼女の様な物好きでも無い限り。


 そんな物好きに分類されるのであろう彼女は、その魔法力を持って、無理矢理自らの行動を補助し、雪深い高山へと登頂中であると言う、現実離れも甚だしいその行為や、見た目である装備の特徴から判断するに、魔術師と呼ばれる職業に就いていると思われる。


 身に纏う、地面に届く長さで臙脂色の、全身を包み込めるフード付きローブは、身を守るための防具であるものの、軽量である事を重視していて、物理的な防御力に乏しさがあり、それは直接的な戦闘を主としない後衛職の装備と言える。

 また、手にする大ぶりの杖は二メートル近い長さがあり、上部には精緻な彫り物の装飾と、その中心に埋め込まれた、魔力を通しやすく魔法などを補助するための術式回路が書き込まれた、直径大凡五センチメートルほどの宝玉が見て取れる。魔術師や僧侶、神官と言った魔法、魔術、法術などの職に就く者が使用する装備だ。因みに、魔法と魔術の違いだが、一般的に攻撃性の高い物を魔術、それ以外を魔法と呼んでいる様である。但し、例外も存在する模様。


 そして、色付きローブと杖の組み合わせと言えば、一般的には魔術師の標準的な装備となる。

 そんな彼女が、半ば無意識の儘山頂を目指し、歩き続ける事更に五時間。

 夕暮れも迫る時刻、あと数百メートルほどの高度を踏破すれば、山頂に到達する。と言う位置で、唐突にその歩みが止まった。


 そして二歩ほど後戻りして、又立ち止まった位置まで戻る。と言う行為を五回ほど繰り返す。そして…

 「み ・ つ ・ け ・ たーーっ!!」

 両腕を頭上に掲げ、両足を左右に開き、天を振り仰ぎながら叫びを上げた彼女の視界に映る物。

 山の天辺部分を、高さ数百メートルの位置で切り取って出来上がった真っ平らな広場と、一面に拡がる花畑。その中心に存在するのは、かなり小ぶりな神殿のような建物で有った。


 どうやら、足を踏み入れる事でのみ、その風景に至る事が出来る結界が施されているようで、一歩後戻りすれば、再び目の前にはそびえ立つ山頂部分が存在するだけとなるらしい。

 そして、その結界内部は、外側とは懸け離れた別天地。常春の、此までの行程を思えば丸で極楽の様な場所で有る。

 だが、結界を設置したと思しき人物が、見当たらない。当然、山頂を削り落とし、此の楽園を造ったと思われる者も、住人と呼べる、一切の人影が、嫌、動物や昆虫に至る生命体が存在していなかった。気配察知や索敵の魔術を行使してみたが、神殿と思しき建物の中にも、気配一つとして感じ取れないのだった。


 一面の花畑と、その中を縫うような小径、平地の中央には神殿のような小さな建物、そして、井戸らしき施設。

 一面の花畑には、色とりどりの花と、突然の侵入者がいるのにもかかわらず、彼女の存在を一切無視してその花々を行き交う光の球。おそらくは、現在ではお伽噺の中だけの存在となっている精霊達。


 そして、小道や広場は地面がむき出しなのでは無く、色取り取り、大小様々な石を引き詰めて、舗装されている。それ以外の部分は、樹木が育っているか、芝生が覆っている。一体誰が管理を行っているのか、ましてや、綺麗に咲きそろう花々が、一体どうやって世代を繋ぎ続けているのかすら、全くもって謎である。

 如何様にして、此の広大な土地の気温や気圧他を維持し、高度な結界を保ち続けているのかも、一切不明だ。中央の神殿のような建造物を調べれば、或いは、手掛かりやその方法が見つけられる可能性は高い。寧ろ、神殿こそが、この環境を維持するための魔術、若しくは魔法による管理装置そのものなのではあるまいか。


 しかし。

「眠いわー」

 と、一言残したまま、彼女はその場に崩れ落ちるように倒れ込み、芝の上に丸くなると、其の儘安らかな寝息を立て爆睡を始めた。精霊と思われる光球以外、動く物の気配すら感じられない現状、抗えぬ睡魔に身を任せても問題ないとの判断を下したと思われる。度胸があるのか、経験による判断かは不明だ。通常、野営などの際に周囲に展開する、障壁魔法などの発動を行った様子も無かったのだが。大胆な事である。


 同時に、彼女が歩いてきた階段は、魔力供給が途絶えた為も有ってか、急速に崩れ始め、僅か数分で、存在した事実すら無かったかの様に消え去っていった。


  *********************************


新しく始めました。

更新の頻度は週一回いければ良いかな? 位になりそうですが、お付き合いいただければ、幸いです

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