第23話 大人気バイノーラルママさん
「あらぁ、目が覚めましたかぁ?」
気付けば朝だった。
なぜか朝チュンが聞こえるし、障子から暗めの朝日も差し込んでいる。
どうやら僕は食事中に眠ってしまったらしく、今は布団の中。
それでメーリェさんは僕の隣で添い寝してくれていた。
机にまだ食器が残っている辺り、ずっと傍にいてくれたのだろう。
「あ、僕、寝ちゃってた……?」
「はぁい、それはもうぐっすりとぉ~。ふわぁあ~」
「な、なんかごめんなさい! 世話の掛かる客で……」
「いえいえ~これもしてあげたいと思ってやった事ですからぁ、お気にせずぅ」
そのメーリェさんはどこかまだ眠たそう。
もしかしたら遅くまで僕の事をあやしていてくれたのかもしれない。
ふとスマートフォンを見れば朝五時と、あまり眠れてはいなさそう。
……それにしても、昨晩の事を思い出すとなんだか妙な気分だ。
恥ずかしい事でもあるけど、色んな思い出が帰ってきたような気がして。
今ならすべてを思い出せそう。
走馬灯のごとく、それもはっきりとね。
でも不思議と心が軽いんだ。
まるで色んな重荷がすっかり消えてなくなってしまったかのように。
もちろんそれでも募った想いは変わらない。
姉や妹への想いも、エルプリヤさん達への感情も。
ただそれでいてスッキリしているというか。
そう、例えばぐちゃぐちゃに絡んでいた糸が一本にピーンと張られた、みたいな。
おかげでなんだか体を動かしたい気分だ。
今すぐにでも、思い切って全力で。
それでふと立ち上がろうとしたのだけど、そんな僕の袖をメーリェさんが引いた。
「ではぁ、これからは大人の癒し、いきますかぁ?」
「……へ?」
「ご出勤までは、まだお時間もあるのでしょぉ~? うっふふふ……」
また艶やかな笑顔が僕を上目遣いで覗き込む。
まるで今度は彼女が求めるように、甘えるように舌なめずりまでして。
蕩けてとろんとした口元が、目元が、僕の心を掴んで離さない。
……だけど、僕は。
「ご、ごめんなさい、今はそれはやめておきましょう」
「え、ええっ……?」
「だってせっかくグチャグチャになっていた心を解いてくれて、色んな依存を断ち切ってくれたのに……そんな事してしまったら、今度はメーリェさんに依存しちゃいそうですから」
今だけはこのままでいたい。
仕事もあるし、迷惑をかけたお客さんに誠意も示したいから。
依存するのは、僕がもう少し心に余裕を持たせられるようになってからでいいんだ。
だから僕は理性に従って誘いを断った。
今ならその理性もしっかりと働いてくれるみたいだからね。
「あっはぁ~! んもぉ~夢路さまぁ! 生殺しぃ~~~!」
「ご、ごめんね、してもらってばっかりで!」
「ぷぅ~~~!」
そのせいで今度はどうやらメーリェさんの想いが絡んでしまったらしい。
途端に僕の枕を奪っては顔をうずめ、両足をパタパタし始めてしまった。
ううーん、この悶える姿がなんとも可愛らしい……。
この破壊力だけならエルプリヤさん以上かも。
「でもぉ、
「そうだね、いつかこのお礼はしたいかな」
「じゃあ~、待ってまぁす」
そんな足もぱたりと布団に沈み、体がうつ伏せのままぐでんと動かなくなった。
このままでいいのかなってちょっと不安になりそうな姿勢だ。
だけど直後には手だけ振ってくれていて。
「それじゃあ僕、ちょっと浴場に行ってきますね」
「いってらっしゃいませぇ~」
大丈夫そうだから、僕はこう返して部屋を去る事にした。
でもふと扉の前で振り返ってみたら彼女がなんかカクカク動いてたけども。
……ま、まぁきっと平気だよね。
それで僕は浴場へとやってきた。
目的は温泉――ではなく、併設されたフィットネスルームだ。
全力で走ってみたいっていう欲求を果たすためにと。
実はここの旅館、設備もやたら地球文化に近い環境を誇っている。
電子マネー機器のみならず、フィットネスの機械まで取り揃えてあるのだ。
ただし機器は無駄にファンタジーっぽい造りだけど。
そんなルームへと足を踏み入れてみる。
すると視界に見知った背中が見えた。
赤い鱗と反り上がった背筋に、白の半袖短パンというミスマッチ。
あのゼーナルフさんがランニングマシンを使って走っていたんだ。
「お久しぶりです、ゼーナルフさん!」
「おぉ~夢路君じゃないか!」
なので僕も隣の機器へと立ち、機械を動かしてみる。
すると光のベルトが動き出し、僕を容赦なく走らせ始めた。
でもまだまだ激しく走れそうだから、調子に乗って速度を上げてみたり。
本来はあんまり運動しない方なんだけども。
「もうすっかり常連だな! どうだい、ここはやっぱりいい所だったろう!?」
「ええもう最高です! 今日も存分に癒されましたし!」
「ほぉ!? 担当ともなかなか交流できてるじゃないかぁ!」
するとゼーナルフさんも負けじと加速する。
僕より走っているはずなのに。相変わらずすごいや。
「で、今日は誰が付いたんだい!?」
「メーリェさんです!」
「な、に……!?」
だけど僕がこう答えた瞬間、ゼーナルフさんがマシンから弾き出された。
なんだか今、動揺していたように見えたんだけど?
「……夢路君、君は本当に運がいい。まさかあの夢見嬢に当たるなんてな」
「夢見嬢……?」
「そうだ。彼女は言うなればこの旅館のトップクラス。彼女の慈しみはありとあらゆる男の苦しみを解放してくれる……そう言いきれるほど卓越した方なのだよ」
それで遂には機械の横にきては取っ手で頬杖を突く。
そんな語る顔はどこか懐かしみと惚けを交えたもので。
「実はメーリェはな、精神感応を行える世界出身なんだ。つまり誰とでも心を通わせられるし、覗き込む事もできる」
「あぁ、それでああなるんだ……」
「夢路君がどうされたかまでは知らんが、彼女に付いてもらった者は皆その力を使って悩みを溶かしてもらえる。心にも入れるからな、直接黒い部分をごっそりとぬぐい取ってくれるのさ」
「確かに、僕ももう悩みが残っていませんからね。あの肉の感触もすごかったし」
「肉? ……まぁいい。ともかくメーリェは引っ張りだこの人気担当だと思って間違い無い。それを当てられた君は本当に幸運だったという訳だ」
「なるほどぅ」
ここまで詳しいという事はゼーナルフさんも経験があるのかもね。
あの堕肉に包まれる感触は本当に心地よかったから。
きっと皆あの感覚が忘れられないのかもしれない。
「だが惜しむらくは、あの体に似つかわしくなくガードが堅い事か。彼女を求めて来る男は数知れず。しかし一人も落とせた者はいないという」
「え、そうなんですか?」
「体に触れるくらいは許されるんだがなぁ。それ以上はさすがに怒られる」
「おかしいな、僕、結構ズブズブに入りましたけど」
「入った!? どういう事それ!?」
「男性経験も多そうな雰囲気だったし、さっきも誘われましたし」
「誘われ……んなにぃ!? それ、ちょっと詳しく教えろォ!」
だけどなんか反応が想像と違う。
というかなんだろう、僕とゼーナルフさんの知るメーリェさんがまるで別人であるかのようだ。
なので前日の事だけをちょっと詳しく話してみた。
すると直後には床に沈むゼーナルフさんの姿が
感情のあまり震え、なんか涙まで流しているし。
「チキショオオオーーーーーー!!!!! 俺もォ! あの肉に埋もれたぁーーーい!!!!!」
「あからさますぎません!?」
「そりゃそうだよ!? だって男だもぉん!?」
「思ってたよりずっと性に忠実だった!」
この旅館に来る人は皆、性に振り回されない高次元の人達なのかと思っていた。
けどそれはどうやら幻想だったらしい。
少なくともゼーナルフさんは僕と同じくらいの欲求を持っていたようだ。
まぁおかげで親近感はより強くなったけどね。
あと、少しだけ優越感も生まれたのでした。
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