第22話 母の中へおかえり

 場所こそ違うけれど、案内される部屋の内装はいつも同じ。

 それが今では逆に安心感を呼び込んでくれるかのようだ。

「居場所に帰ってきた」って気がして。


 なのでひとまず鞄を降ろしてスーツの上着を脱ぐ。

 それで旅館の空気を楽しむためにと立ったまま深呼吸。

 ……うん、やっぱり旅館の空気はとても澄んでて心地いい。無理して泊まった甲斐があったってものだ。


 ちなみにメーリェさんは案内してくれた後、何も聞かないまま「お夕飯をお持ちしますねぇ~」と言い残して別れた。


 実はこの旅館、朝昼夜のタイミングが僕の住む地球といつも違う。

 なんでも一日の時間がそれなりにズレているらしい。

 なのに何も聞かず「夕食」を用意してくれるというのだから、彼女の洞察力はとても優れているのだろう。


「はぁい、お夕飯をお持ちしましたぁ~」

「はやっ!?」


 おまけに言うとその対応も早かった。

 持ってきたのもいつも通りの豪華な和膳だし。

 出来合いなのか料理人の腕がいいのかはわからないけども。


 けど今はそんな料理より彼女の胸に惹かれてならない。


 なにせ部屋に入った途端そのたゆんたゆんさが露骨となったもので。

 なんだか彼女の胸だけ引力の作用が半減しているかのようだ。

 多分原因はすり足を止めたからなんだろうけど、変わり過ぎじゃない?


 しかしそんな視線には目もくれず、料理を机の上へ。

 すると何を思ったのか、今度はいきなり着物を脱ぎ始めた!?


「え、ちょっと!? 何してるんですかメーリェさん!?」

「うん? お着物を脱ぎ脱ぎしているんですよぅ~邪魔ですからぁ~」

「それはわかりますけど、邪魔ってどういう事!?」


 それであっという間にほぼ裸みたいな状態に。

 纏うのは体格にピッタリな際どいタンクトップとハーフパンツといった感じ。

 隠している所は隠しているけど、ボディラインが強調されてより一層肢体の破壊力を増している。というかもう破壊力しかない。


 あまりの絶景に、思わず生唾を飲み込んでしまうほどだ。


 だが彼女の暴挙はそこで終わらなかった。

 今度は座椅子を退け、料理の前に正座して艶めかしい眼で僕を見上げる。


 そして自身の膝をてちてちと叩き、こう言うのだ。


「さぁどうぞぉ、こちらへお座りくださいませぇ~」

「待って!? いくらなんでも露骨過ぎじゃない!?」


 とても大人しそうな人なのにやる事が大胆過ぎる。

 ピーニャさんやロドンゲさんも大概だっただけど、この人のサービスはもはや次元を超えているじゃないか!?

 これじゃあ本当にいかがわしいお店となんら変わらないよ!?


「大丈夫ですよぉ~。これはぁ、夢路様が必要とされている事ですからぁ~」

「僕が、必要としている事……?」


 けどメーリェさんのこの一言が僕を思わずドキリとさせる。

 まるで僕が女性に飢えていると言いたそうな一言で、図星でもあったから。


 ただ、その言葉にやましい気配は一切無かった。

 本当に慈しみだけが溢れていて、恥ずかしさを感じさせないほどに。

 まるですべてを見通している――そんな雰囲気が彼女にはあったんだ。


 だからまたメーリェさんが手を差し伸べ、僕が手を取る。

 それで優しく誘われるがまま、僕は彼女の太ももへと腰を下ろした。


 するとその途端――


「あっ、こ、これえっ……!?」


 僕の体が、沈んでいく。

 メーリェさんの中に、際限なく。


 ……そんな錯覚を覚えるくらい、彼女の太ももは柔らかかったのだ。

 まるで僕の腰を包んでいるかのような感覚さえもたらして。

 しかもその感覚を与えるだけではまだ終わらない。


「どうぞぉ、お体の方もわたくしにお預けくださいませぇ~」

「い、いいの?」

「はぁい~」


 なんたって僕の背中にはあの巨大な双丘が控えている。

 というかもう既に先が当たっているし、なんならそれだけでもう満足なくらいだ。


 だけどもしその中に体を埋めたら、一体どうなってしまうのだろう……?


 そんな好奇心が僕の背中を降ろさせる。

 双丘の間へと、後頭部からそっと挟まれるようにして。

 

 すると腰同様、僕の頭が彼女の胸間に沈んでいく。

 続いて体も、肩も。


 それは全身が肉に包まれているかのような感覚だった。

 言うなれば低反発クッション――そんな柔らかさの肉が、体の隅々まで隙間なく埋めていく。

 しかも温かくて、触れ心地もよくて、甘い香りさえ漂ってくるんだ。


 そして遂には、彼女の鼓動までが聞こえてきた。

 とくん、とくん……声色と同じ、安らかで落ち着きのあるリズムの囁きが。


 まるで僕がメーリェさんと一つになったかのよう。

 彼女という宇宙に僕の意識だけが漂うような。

 体の感覚が、彼女に飲み込まれて、自由さえ、効かない。


 もうこれは駄肉なんかじゃあない、人を心まで取り込み溶かす……堕肉。


「いっぱい、いっぱい大変だったのねぇ、

「あ、なんでその呼び名……」

「うふふふっ、はねぇ、夢くんの事、なぁんでも知っているのよぉ~」

「お母、さん……?」

 

 その中でメーリェさんがゆったりと囁く。

 耳も埋まっているはずなのに、聞こえて来るんだ。

 まるで脳髄にまで届くほどに、それでいて優しく。


 本当にお母さんが語り掛けている、そう思えてしまうくらいに。


「それじゃあ、おごはんを一緒に食べましょうねぇ~」

「うん……僕、たべるよ」


 声は出るけど、体は不思議と動かない。

 目は見えるけど、本当にされるがまま。

 思考はこうして働くのに、出る声は彼女に従ってしまう。


 なんだか、僕が二人いるみたいだ。

 この幸せを享受するだけの今の僕と、メーリェさんが操る僕。


 けど嫌な気は一切しない。

 優しみが溢れすぎて、このままでいたいと思えてしまって。


「おいしい?」

「うん、おいしい……」

「ふふっ、よかったぁ。夢くんのために頑張って作った甲斐があったなぁ」


 メーリェさんの手つきもとても慣れたものだった。

 まるで僕の口がどこにあるのかわかっているかのように、食事を箸で的確に運んでくれる。

 二人羽織のような状態で顔も見えないはずなのに。


 でもなんだか、とても懐かしいんだ。

 本当にお母さんが帰ってきてくれたような気がして。

 メーリェさんのこの言葉だって、まるでお母さんが語ってるようにさえ思えてくる。


 ――僕のお母さんは中一の時、お父さんと一緒に事故で亡くなった。


 それからは五つ離れた姉さんがずっと支えてくれていた。

 遺産はある程度あったけど、家のローンとかもあるから無駄遣いはいけないって。

 その為に夜のお仕事とかまでこなして、本当に頑張ってくれていたよ。


 だから僕は高校を卒業した後、就職する事を選んだんだ。

 せめて妹だけでも大学に行かせたかったし、姉さんに頼ってばかりもいられないから。


 それからずっと、僕は働き続けた。

 お母さんの事も忘れ、甘える事も忘れ、家族のために必死で。

 そしてもうすぐ妹も大学を卒業するから、重荷ももうすぐ取れる事だろう。


 そう思っていたのに、僕は――


「あ、ああ……」

「大変だったね、辛かったね、でもお母さんはいつも、夢くんの事を見ているよ?」

「お母さん……ううっ、お母さん、お母さぁん……っ!」


 もしかしたら余計な重荷まで背負っていたのかもしれない。

 社会のしがらみとか、欲求への戒めとか。


 けどその重荷が余りに重すぎて、僕の心はもう潰されかけていた。

 それできっと、僕は潜在的に旅館えるぷりやを頼っていたんだ。

 ここなら僕の重荷を軽くしてくれるんじゃないかって。


 そう気付かされた。

 だから今、僕は思わず涙を流していたんだ。

 僕の心が、衝動が、解放されたような気がしてならなかったから。


「あらぁ、ごはん落ちちゃった」

「あ、ごめんね、お母さん」

「ううん、いいのよぉ~」


 そんな時、僕の口から米粒の塊がポロリとこぼれ、の膝へとくっつく。

 するとそれをお母さんが左手で摘まみ、僕の口へと直接寄せてきた。


「はぁい、どうぞぉ~」

「ん、あむ……」


 しかも彼女は惜しげもなく、しなやかな指を米ごと僕の口の中へと挿し込んだ。

 それも直接乗せるかのように、二指を舌へと絡ませていて。


 その指の動きもまた艶めかしい。

 もう米粒なんて残っていないのに、なお舌や歯をなぞって心地良さを与え続けてくれる。

 ねちり、ねちりと唾液をいやらしく絡ませながら。


 ああ、なんて愛おしいんだ。

 この指が、動きが、堪らなく僕の心を、欲求を、退化させていく……。


 何度も出ては入って、時には僕の唇をつまんで引っぱって。

 唾液にまみれようとも、いやらしい音を立てて求めるように滑り挿入はいってくる。

 それが不思議と、僕の方が求めているかのように錯覚させていた。


 心が求めて求めてもう、止まりそうにない。

 それはまさしくおしゃぶりを求める赤ん坊のごとく。


はねぇ、ずぅ~っと傍にいるからねぇ?」

「マ、マ……?」

「うん、いいのよぉ、ママって、呼んで?」

「あ、ああ、マ、ママ……ママァァァ~~~~~~っ!」


 そして気付けば、僕はママを求めていた。

 その豊満な肢体に、触り心地と慈しみと、思い出の中に消えた記憶を探るかのように。


 もう赤ん坊の頃なんて覚えていないはずだった。

 なのに今、僕ははっきりと思い出す事ができていたんだ。


 赤ん坊としてお母さんに甘えていた時の記憶を。

 今のように抱かれて、ご飯を口に運んでもらう――なんて事のない思い出を。


 僕の心がどんどんと退行し、若く小さくなっていくかのようだ。

 そうなればこの先、僕は一体どうなってしまうのだろう?

 胎児となってママの子宮へ還るのだろうか?


 でもそんな事はもうどうでも良かったのかもしれない。

 気付けば、そのママへの欲求さえ溶けて消えていたのだから。

 姉さんや妹の事も、旅館えるぷりやでの思い出も、何もかも。


 この柔らかな堕肉宇宙の中に、僕の意識と体と共に、すべて――

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