ようこそ異世界旅館『えるぷりや』へ! ~人生に迷った僕が辿り着いたのはムフフが溢れる温泉宿でした~ 

ひなうさ

第1話 偶然辿り着いたのは奇妙な宿でした

 唐突だが、僕は今迷っている。

 悩みだとか路頭にだとかそんなんじゃなく、物理的に。

 うっかり樹海のような所に迷い込んでしまって、居場所がわからなくなったのだ。


 いわゆる、遭難というやつである。


 ――僕の趣味は旅行、そして温泉。

 電車に乗り、目的地まで歩き、疲れた体を温泉で癒し、翌日に帰る。

 そしてその時の一期一会の出会いや情景を堪能するのがたまらなく好きなんだ。


 それで今日も温泉宿へ旅立った訳だけど、どうやら途中で道を間違えてしまったらしい。

 もう夕暮れで先も見通せないし、朝から何も食べてないしでもうヘトヘトだ。

 スマートフォンを覗いてみたけど、山奥だからか電波は届かないし。

 おまけにサバイバル的な知識は無いからどうしたらいいかもわからない。


 ああ、僕はこのままこの樹海で死んでしまうのだろうか?


 そんな悲観的な思考さえ脳裏によぎる。

 そう思うと「一度くらいは女の子を抱いてみたかったなぁ」なんて安易な事さえ連想してしまって。


「でも、どうせ誰もいやしないんだ。だったら別に何言ったってかまいやしないさ。あーあ、こんな事なら女の子と遊べる旅館でも楽しんでおくべきだったなぁ~!」


 遂にはこう自暴自棄となり、溜息と共に肩を落とす。

 直後にのしかかった極重の恥と後悔で押し潰されるかのように。


 それでも、僕は歩き続けた。

 これ以上の恥を重ねないようにと、すぐにでも押し黙って。

 たとえ諦め半分でも、もうそれしかできる事が無かったから。


 けど、そんな時だった。


「……えっ?」


 気付けば、いつの間にか目の前に建物があったのだ。

 それも、今までどうして気付かなかったのか不思議なくらいに大きなお屋敷が。


 一見は古風な和式建屋。

 でもしっかり掃除が行き届いていて、まるで建てたばかりの様相だ。

 赤塗りの壁と黒い瓦に、引き戸式の扉、窓は障子張り。

 扉の上に大きな横看板が立てかけてあるから、何かのお店なのだろうか。


 ただ、書いてある文字は筆書きだけどどうにも日本語には見えないし、何かのアートなのかな?

 という事もあって、なんだか入るのもはばかれる雰囲気の建物だ。


 ……とはいえ、背に腹は代えられない。

 当然ながら僕はこのまま樹海をさまよって野垂れ死ぬよりも、恥を忍んで生き延びる事を選びたいんだ。


 だから僕は意を決しておもむろに引き戸を開いた。

 

「いらっしゃいませ。『旅館えるぷりや』へようこそおいでくださいましたぁ!」


 すると、まるで僕を待ち構えていたかのように女性の声が。

 そして彼女はにっこりとした微笑みを向けて目の前に立っていた。


 なんてきれいな女性なのだろうか。

 輝くように淡いブロンドの髪。

 宝石みたいに澄んだ桃色の瞳

 そして真珠のように白く深みのある肌。

 それでいて僕とおなじ二〇代――いや一〇代かと思えるくらいに若々しい。


 ハーフか、あるいは帰国子女か。

 北欧の白人女性を彷彿とさせるその美しさに、目が離せない。

 そんな女性が錦織の着物を纏い、丁寧にお辞儀をして迎えてくれたんだ。

 おかげで思わず見惚れ、ポカンとしてしまった。


 ――い、いや待つんだ、今だけは彼女の事は置いておこう。

 それよりも先に確認しなければならない事がある。


 今の彼女の言った事が僕の聞き違いではないのだと。


「えっと、ここ、旅館なんです……?」

「はい、さようでございます。当旅館ではお客様をもてなす事を第一と――」

「な、なら泊まれる部屋はありますか!?」

「えぇ、もちろんございますっ!」

「や、やった、助かったあ……っ!」


 そしてどうやら幻聴でもなんでもなかったらしい。

 なので嬉しさのあまり、思わず「よおしっ」と拳を熱く握り込んでしまった。


 にしても、まさかこんな所に旅館があるとは。まさに九死に一生だ。

 諦めずに歩き続けて本当に良かったと思う。


「本日はお泊まりになられますか?」

「ぜ、ぜひお願いしますっ!」

「ありがとうございますっ! 一名様ご案内~!」


 という訳で僕は迷いなくこの旅館へ泊まる事に決めた。


 ただ、ここは普通の旅館とは少し違うらしい。

 ホテルのチェックインの書類を書くような事はせず、その女性はもう自ら僕を屋内へと誘ってくれていて。


「わたくしは当旅館の女将にございます。気軽にエルプリヤとお呼びくださいませ」

「旅館の名前と同じなんですね」

「えぇ、この名は代々女将が受け継がれるものでして。ですので遠慮せずその名で何なりとお申し付けください」

「あ、僕の名前は秋月あきつき夢路ゆめじって言います」

「夢路様ですね。ではこちらへ」

「最初の手続きとかはしなくても良いんです?」

「はい、細かいお話はまずお部屋へとお通ししてからと決まっておりまして」


 どうやらここは顧客第一の旅館なようだ。

 もてなす事を優先し、料金などの野暮な話は口に出そうともしない。

 今まで体験した事無い感じの旅館だけど、雰囲気は嫌いじゃないかな。

 まぁぼったくられるかもしれないから少し怖いけれども。


 とはいえ救われたのは事実で、もうお金に糸目を付けるつもりは無い。

 だから僕は素直にエルプリヤさんへと頷きで返した。


 それで僕はさっそく靴を脱いで上がり、誘われるままに屋内へ。

 すり足で進むエルプリヤさんの後に付き、古い木目床が続く通路を進む。


 この独特の雰囲気は老舗感があってなかなかいい。

 今までにも奮発してお高めの旅館に泊まった事はあるけど、そこに匹敵――いやそれ以上の高級感で溢れているように思える。


 だったら、ここには今までになかったような出会いがあるかも?


「おや、エルプリヤさんじゃあないか」

「あら、ゼーナルフ様」

「今日も精が出るねぇ。そして一段と美しい」


 ――だなんて思っていた矢先、さっそくの出会いが。


 だけどその瞬間、僕は堪らず驚愕してしまった。

 なにせ十字路の角から現れたのはなんと、「大トカゲ」だったのだから。

 

 厳密に言えば人型のトカゲ。

 背は僕より頭一つ分大きく、見える節々が赤い鱗に覆われている。

 しかし浴衣を羽織っていて、エルプリヤさんとも仲良く話をしている辺りはなんだか人が良さそう。


 でもなんでトカゲ姿なのだろうか?

 もしかしてここはコスプレができる旅館だとか?


「今夜一杯どう?」

「ふふっ、もし予定が合いましたらぜひとも」

「ははっ、そうかぁ今日もダメかぁ~」

「それと今はお客様をご案内しておりますので」

「おや? 後ろの方は見ない顔だね。もしかして新規のお客さんかい?」

「えぇ、久方ぶりの新しい来訪者様なんです!」


 するとそんな人の視線が今度は僕の方へ。

 まさにトカゲらしい鋭い眼がちょっと怖くて、思わず身を引かせてしまった。


「あ、え? ぼ、僕ですか?」

「おう、ようこそ『旅館えるぷりや』へ。俺はただの客のゼーナルフだ、よろしくな!」


 でもゼーナルフさんの腕は長く、身を引かせた僕にも届くほど。

 なので差し出された手を前に、苦笑しながらも握り返して応える。


「ぼ、僕は秋月夢路って言いまして――」

「おう夢路君か。ハッハー、この旅館はいいぞぉ! ぜひとも思う存分に堪能していってくれたまえ!」


 そんなゼーナルフさんは、今度は僕の肩を嬉しそうにタシタシと叩いてくれて。

 

 叩き方にとても思いやりを感じる。

 爪は鋭かったけど刺さらないように配慮していたし、掌は外観と違ったプニプニした触感が逆に心地よかったし。

 その精工な出来栄えに思わず顔がほころんでしまうくらいだ。


 おかげでその後も普通の笑顔で見送る事ができた。 

 だからか去り際のゼーナルフさんも元気よく手を掲げて応えてくれたし、きっと見た目通り気のいい人に間違いない。


 それでエルプリヤさんが引き続き僕を奥へ案内してくれたのだけど。


 僕はここでやっと理解する事となる。

 ゼーナルフさんは決してコスプレなどしていなかったんだって。


 なにせ奥の通路には明らかに人間じゃない人達が他にもいたのだから。

 それも大小・多種多様な生物が当たり前のように通路を往来している。


 獣のような毛むくじゃらの人。

 人型だけど、全身が銀色で頭が大きい人。

 丸い球にふんどしを付けたような人。

 そもそもが人じゃない、タコみたいな生物。

 頭がウサギなのに体がヒヨコなあべこべな存在。


 その常軌を逸した光景を前に、僕はただただ唖然とするしかなかったんだ。

 確かに一期一会を望んではいたけど、まさかこんな不思議な出会いが待っているなんてね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る