僕の小さな魔女。

木、ネズミ、猫の霊、少年

　その昔。

　世界中に、『魔法使い』と呼ばれる者達がいた。

　彼らは、勇敢にその力を使い、人間達を守り、時にはそれで自身の欲を叶えた。

　しかし、いつの日か、多くの国々で異端者を生かしてはならないという法令がつくられた。

　取調官に見つかれば、男女問わず処刑される。

　熱くなった釘を刺され、指を締め上げられる。

　人間たちはこう言った。

　魔法使いたちは恐怖の存在であると。

　魔法使いたちはこう言った。

　人間たちは殺人鬼であると。

　みんな、魔法など存在するはずがない、魔法使いなど存在してはならないと言う。

　でも、本当にいるのかもしれない。

「お腹……空いた」

　そう、今木のそばで、空腹で泣いている、この少女のように。

◇■◇■◇

「お腹……空いた」

　そう彼女の口から聞いたのは、何度目だろうか。

　いつも目から水を垂らしていることが、どういうことなのか、僕には、初めわからなかった。

　しかし、日を重ねるごとに、薄々理解ができた。

このようなことを、人間達の間では『泣く』と言うらしいが、それならば僕が知らなくて当然だと思った。

だから、可哀想だと、何かしてあげられないかと、考えたこともあった。

　でも僕は、声を出せない。

　慰めの言葉をかけることもできない。

――だって口がないから（・・・・・・・・・）。

　いつもお腹を空かせてやって来る彼女を、僕は決まったように黙って見ていることしかできない。

「お母さん……」

　彼女もいつも、決まったように同じことを言う。

　多分、他の何かを言う気力さえもないのだ。

　雨の日も、冬の寒い時も、春の綺麗な花が咲く瞬間も、彼女はお腹が空いたと言ってここへ来ては、同じことを言う。

　でも、この子が、いったいどれだけ悲しい人生を送っているのか、僕に知ることはできない。

　なんせ、僕は人間じゃないから。

　僕は何十年、何百年と生きるだけの、しがない木なんだから。

　ただそこにいる事しかできない、誰かの人生の脇役にもなれないほど、無力な木だ。

　でも、それでも、こんな何もできない木にもできることがあればいいと思う。

　雨の日に、僕で雨宿りをして、夏の暑い日に、僕の下で涼み、悲しい日は、僕の下で涙を流せる。

　そんな時が、くればいいと思う。

◇■◇■◇

「……ただいま」

『おかえりさん！』

　そう言って、バッタの幼虫を渡そうとするが、この子は「…いつもありがとう。でも、大丈夫だから、これはリズが食べて」っと、あっさりと断った。

　リズはアタシの名前だ。

　本来、ネズミに名前なんてない。

　これはこの子がつけてくれた名前だ。

…この子がつけてくれた。

…アタシの大事なこの子が。

『そうかい。じゃあお前さんは何を食べるんだ？』

「……何も…食べない。」

『……そうかい』

　何を言っても、こうやって弱々しく呟くだけだ。

　私が勧めても、この子は毎日こんな具合で、何も食べずに寝ようとする。

　どれだけお腹が空いても、この調子でかわしてしまう。

　何故、そんな風にかわしてしまうんだい？

　もし、アタシが人間なら、おまえの支えに慣れたのだろうか？

「…私、もう二階で寝るね…」

『ああ。おやすみ』

　アタシは、ゆっくりと階段を上がって行く、小さくて重い荷を抱えた背中を見る。

　この子が、そのままいつものように、寂しくて縮こまって寝るんだろうと思うと、それ以上声が出ない。

　不甲斐ない養母で悪いね、エイラ、アタシの子。

　アタシは、いつまでもおまえの側で、おまえの幸せを願っていたいよ。

　でもね、アタシはそろそろ歳だ。

　最近は、走ることさえもできなくなっちまった。

　そのうちアタシも、アタシの両親や爺ちゃん、婆ちゃんのように、土の中に埋められる時が来る。

　そうなる前に、お前さんはお前さんを愛して、守ってくれるやつを、

　見つけておくれ。

◇■◇■◇

『おっ、帰ってきたか！』

「うん…」

　小さい声が、かすかに聞こえる。

『ん？　その顔、さては今日も飯を食わなかったんじゃないのか？』

　少女はいつものように俯き、さっきまではあった瞳の光が、一瞬にして消え失せる。

「……え、と…うん……」

『……』

　そうか、とでも言うべきだったか。

　それとも――、人間の姿で抱きしめるべきだったか。

『もう寝るのか？』

「…うん、おやすみ……」

　少女はベッドの方へ行き、深く、かけ布団をかぶった。

　俺がエイラと出会ったのは、一年ほど前。

　悲しそうに俯く後ろ姿が見えて、仕方なく、少しずつ近づいて行ったのを覚えている。

『おやすみ』

　その子は俺の気配に気づいたのか、勢いよく振り向いた。

　まだ十にも満たないであろう少女は、もう茶色になった血のシミがついた、元は白だったと思われるワンピースを着て、爪先から膝まで傷だらけになっていた。

　この辺りは森が広がっていて、草花は尖っているのだから、無理もない。

　目は腫れ、頬には涙の痕。唇は酷く乾燥して、小麦粉でもふりかけたのかと思うほど、真っ白になっていた。

　実に、哀れな姿だった。

　いったい、何日食事をとっていないんだと、推測もできないほどだった。

︎　俺は、目の前の状況を受け入れられなかった。

　そして、その子はおかしなことを言った。

　何も、謝ることなどないのに、「…ごめんなさい…」、と、またも俯いた。

　やっぱり、目の前の事を受け入れられなかった。

　なんで俺よりも小さな子が、こんな状況に陥っているんだ。

　この子は何か罪を犯したのか？

　生まれてきてはならない――、存在だったのか？

　そんなわけないだろう。

　それから、俺は急いで人間形態になり、彼女を抱き上げた。

　俺は泣いた。大声で泣いた。

　ボロボロの服に、俺の涙がポタポタと落ちるのを、彼女はただ、驚いた顔で見ていた。

　ただ、ただ悲しくて、涙を流した。

　もう、俺の全てを、この子にあげてもいい気がした。

『…頼むから、無理はしないでくれ。』

　俺は、か細い声で呟いた。

「…ありがとう…、レイデン……」

　聞こえていたのか、それともただの寝言なのか、エイラは返事をする。

――おまえは馬鹿か。

　ありがとうと言うのなら、しっかりと飯を食え。

　俺の名を呼ぶのなら、この猫の死霊の心臓に悪いことは、

――二度とするな。

◇■◇■◇

　エイラは僕の友達。

　エイラにお母さんはいない。

　お母さんは遠くへ行ってしまったと、ずっと前に言っていた気がするけど、詳しいことは教えてくれない。

　でも、僕はそれでいいと思っている。

　話したくない、辛いことなら、無理に言わなくていいし、言いたいことなら言ってくれればいい。

　みんなも同じことを言ってた。エイラの|ホゴシャ《・・・・》達。

　エイラには三人の――いや、二匹と一人のホゴシャ（・・・・）がいる。

　僕はエイラのホゴシャ（・・・・）の中の一人。

　あとは、ネズミのリズ、幽霊のレイデン。

　みんな、エイラのことをすごく心配している。

　みんな、エイラのことが大好きだ。

　みんな、エイラを守りたいと思っている。

　でも、僕は他のネズミのリズ、幽霊のレイデンとは違って、エイラと同い年。

　エイラを守りたくても、同い年では、チエ（・・）も身分も持っていない。

　リズやレイデンのような、不思議な力も持っていない。

　エイラを――、守れない。

「おーいユーリ！ぼーっとつっ立ってないで、仕事しろ‼︎」

　でも、そんな僕にも、もっと成長してからなら、できることはあると思う。

　僕には夢がある。

『はーい！すぐに行きます‼︎』

　お金を稼いで、エイラに裕福な生活をさせてあげることだ。

『いたっ…』

　顔に手を近づけると、指から血が滴る。

　手を置いていたところに、日光で残酷にピカッと光る物が見えた。

　僕は絶対に夢を諦めない。

『…あー。またか……』

　たとえ、職場で虐められ、心が折れそうになっても。