第7話
予定通り急いで準備した俺たちは、一日で一番暑い時間であるにも関わらず少し肌寒くなった東京の街を歩き、目的地であるマスターの喫茶店へと着いた。
扉には臨時休業の看板が掲げられており、俺は扉を3回強く叩く。
「陽向君、雪お嬢ちゃん、いらっしゃい。そんなに強く叩くなら着いたと連絡してくれればいいのに。」
「何回も連絡したんですけどマスターからの反応がなかったんですよ。」
強く叩かれた扉を気にしながら苦笑するマスターにそう返す。
実際出発時、到着5分前、到着時と連絡をしたのだが、全く反応がなかったのは事実である。
「そうだったか。さぁ、入って。時間までもう少しあるし軽食も作ってあるよ。」
「お邪魔します。」
こういうシチュエーションも初めてではないが、お客さんが誰もいない休日の喫茶店に入るというのは、どこか不思議な気分だ。
俺と雪は奥のカウンター席に座り、マスターは軽食と飲み物の準備を始めてくれる。
「雪お嬢ちゃんは随分久しぶりだね。会うのは2度目かな?」
「そうですね。お久しぶりです、ミツハルさん。」
前回はまだ暑くなり始めの頃だったが、今日と同じようにもともと約束していたマスターとのダンジョン攻略に雪が飛び入り参加するという形で初対面を果たした二人。
そのお陰もあってか、会うのは2度目だが二人の会話にぎこちなさはないように思える。
「雪お嬢ちゃんは相変わらずアグレッシブだね。午前中は他のダンジョンに行ってきたんだって?」
「そうなんです。ダンジョン攻略は私の趣味でもあるので。」
「本業の方は最近どうなのかな?」
「順調です。ミツハルさんこそ、本業はどうですか?」
「待った待った。何ですか、その探り合う感じ!」
つい二人の会話をさえぎってしまう。
話している内容は普通に見えるが、会話のテンポが異常に遅い。
やっぱり、ついさっきぎこちなさがないと言ったのは取り消したいと思う。
「話を変えますが、せっかくなので今のうちに作戦を確認しておきましょう。」
「俺のスタイルは変わらないが、雪お嬢ちゃんはともかく、陽向君とも久しぶりだからな。」
マスターはスキルで風属性の魔法を3つ獲得しており、その中でも『風剣』という風を剣にまとわせて戦う、言うなれば魔法剣士。
もし喫茶店のマスターをせず、本格的にダンジョン攻略に乗り出したなら、前線組に加わることも難しくないだろうと思える実力者だ。
実際その人柄と周りを安心させるような後ろ姿から、リーダの座を受け渡してでも加わってほしいと言っているパーティーを見かけたことがあるほどである。
「俺もスタイルに変更はありませんね。未だにスキルは獲得していませんけど、前一緒に攻略した時より少しは強くなっていると思います。」
「スキルを獲得していないのに、そこまで強いのは反則だよな。雪お嬢ちゃんは?」
「どこに行くか次第ですが、私はお兄ちゃんとミツハルさんに合わせますよ。」
雪が全力を出したら俺とマスターの実力相応の魔物など一瞬で倒してしまうのだろうが、雪は自分の魔法を相手や状況によって加減する技量を持ち合わせている。
「そうだな、確かにどこに行くのかは重要だな。近中遠距離が一人ずつだからスピードのある魔物は構成的に俺たちに向いていない。それ以外ならどんなタイプの魔物でもいいのだが、2人は午前もダンジョンに行って準備運動は済ませているんだろう。いきなり話題の遺跡に向かっても良いかもしれないな。陽向君はどう思う?」
マスターの言う遺跡というのは最近解放されたエリアで見つかったダンジョン内ダンジョン、通称遺跡型ダンジョンである。
地上から洞窟をくぐり抜けた先のダンジョンで更にダンジョンが見つかるという何とも不思議な話だが、世界に3ヶ所あるフィールド型ダンジョンではとりわけ珍しいものではない。
「マスターさえ良いのなら、俺はそれでも。……体力は、大丈夫ですか?」
「陽向君も言うようになったな。老けて見えるかもしれないが、これでも俺は30代前半だ。まだ心配する必要はないさ。」
老けて見えるというより、渋い、ダンディーといった見た目のマスター。
つい冗談を言った俺だが、マスターの提案した遺跡の攻略というのは、俺も適切だと思う。
最近攻略拠点から数キロ離れた場所で見つかった遺跡型ダンジョンは小規模ではあるが、日本だと九州に存在する通称ボスラッシュ型ダンジョンに似たものらしい。
ボスラッシュ型ダンジョンは、フィールド型ダンジョンと並ぶ3つのダンジョンタイプのうちの一つであり、その名の通り上位個体や上位種がボスとして現れる階層をクリアしていくという形のダンジョンだ。
一つの階層に登場する魔物は一体ないしは少数だが、当然ボスと名付けられる通り、強い魔物が連続して現れるため初心者お断りの厄介なダンジョンである。
だがその分、宝箱から貴重な装備が出やすかったり現れる魔物がある程度決まっているため対策がとりやすかったりするので、攻略者の一部からは根強い人気がある。
簡単に言うとハイリスク・ハイリターンといったところだ。
そうこうしているうちに、俺と雪の前にはマスターお手製のサンドイッチとコーヒーが出される。
「おいしい!」
さっそく食べ始めた雪が、笑顔でそう声を上げる。
いただきます、と小声で唱え俺もサンドイッチを右手に取って食べ始める。
ただのサンドイッチと侮るなかれ。
具材も良いものを使っているらしいのだが、特筆すべきは具材に満遍なくかけられたマスターの特製ソース。
雑談の傍ら、特製ソースの材料と作り方を聞く客が後を絶たないほどの美味しさだ。
夢中で食べたため、ものの数分で腹ごしらえを終えた俺たち2人は、時間になるまで作戦と連携の確認を続けた。
当初の予定だった14時になったところで、さっそく向かいのダンジョンビルへと出発する。
出発とは言っても店の前の横断歩道を渡るだけなのだが。
建物の中に入ると、今は休日のお昼過ぎということで先日来ていた時に比べても人の数が多く、建物内部の飲食店もピークの時間帯はすぎているのだろうが、それでもほぼ満席だ。
「相変わらず、ここは人が多いね。」
「まぁね。都内では一番人気の攻略拠点だから仕方ない。なるべく離れないようにして動こうか。」
「……別に襲撃されても、倒れているのは相手側だと思うけど。」
メディア露出が多く有名人である雪は、騒ぎにならないためにマスターの勧めで、帽子を深くかぶり、マスクをするという、簡易的ではあるが一目ではばれることのないような変装姿で歩いている。
どうやら雪はそれが不満なようだが、マスターも前回の苦い記憶が思い起こされたのだろう。
ダンジョンに入ってしまえば問題ないのだが、入り口に辿り着くまでに建物内部を数分歩かないといけないため、前回はその間に雪を見つけた人たちによって握手やサインを求める人だかりができてしまったのだ。
結局その時は俺たちだけでは事態を収拾できず、マスターに警備員や職員を呼んできてもらって何とかその場を離れ、ダンジョンの入り口まで辿り着くことに成功したのだった。
「雪お嬢ちゃんはオーラがあるからね。」
不満げな表情の雪にフォローを入れるマスターだが、そのマスターも視線を集める要因になっていることを本人は気付いていないことが、雪の不満の原因の一つでもあるのだろう。
ダンジョン前の人気の喫茶店のオーナー兼マスターだし、ダンジョンに姿を見せることが少ないため、身長が高くてガタイの良いマスターは挨拶程度ではあるが、たまに声をかけられている。
そんな感じではあったが、マスターの存在感のおかげなのか、肝心の雪の存在は勘付かれることなく、無事に入り口付近に辿り着くことができた。
午前中の攻略拠点と違い、機械化が進むここではダンジョンに入る際の手続きを全て機械が行っている。
『いらっしゃいませ。』
そう機械音声が聞こえた後で、自分のカードを機械に通す。
『承認致しました。行ってらっしゃいませ。』
これだけで手続きは完了だ。これだけ?と思うのだが、今までこのカードを使った不正の話を聞いたことはないので大丈夫なのだろう。
どうやらカードにはダンジョンの資材や技術が使われているらしく、素人に複製できるものではないらしい。
(お金があるよなぁ……)
この機械のライセンスもこの攻略拠点を運営するゲーム会社が持っており、この頃は他のダンジョンや攻略拠点でも見かけることが多くなっている。
どうやら政府組織であるダンジョン協会には、今のところ機械を買うための予算がまわってきていないようだが。
両隣を見ると、俺と同じようにして雪とマスターが手続きを終わらせていた。
1分もかからず手続きが完了した俺たちは、さっそくダンジョンの入り口に向かう。
(内部もやっぱり混んでるな。)
洞窟をくぐり抜けると、例のごとく光に包まれて装備への着替えが完了する。
薄暗い洞窟から一気に明るく開けたダンジョン内への移動だ。
洞窟目の前の取引所前の通りでは俺たちと同様に装備で身を整えた多くの攻略者が行き交っているのが見える。
普段よりも明らかに人が多いのは今日が休日だからだろう。
平日は仕事で忙しくダンジョンに来たくても来れない人にとっても仕事や学校終わりにダンジョンに訪れている人にとっても、まとまって時間の取れる休日というのはダンジョン攻略にうってつけの時間だ。
「ちょっと取引所に寄ってかない?」
「良いけど何か用事があるのか?」
俺の質問には答えずに笑みを浮かべて上機嫌ですぐそこの取引所へと向かう雪。
周りの攻略者も雪の存在に気付いていたようで、たくさんの人で混み合っていた道がサササッと一気に開ける。
俺とマスターは観衆の不思議そうな視線を浴びながら、慌てて雪の後に続いた。
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