第3話
店の中を軽く見渡すと、ちょうどカフェタイムとディナータイムの狭間ということでお客さんは少な目だった。
料理もこだわっているらしく混んでいる時間が多いため、なかなかゆっくりと過ごせないこともあるが、黒を基調とした落ち着いた雰囲気の店内は、俺もすごく気に入っているのだ。
ダンジョン帰りに一度立ち寄ってみた後、俺はこの店の常連となり、毎日のように通っているうちにマスターと自然と話すようになった。
「俺から誘ったんだ。まぁゆっくりとしていってくれ。」
まずマスターがカウンターに座る俺に差し出してくれたのは、すでにミルクが入ったコーヒーだ。
ブラックが飲めずいつもミルクを入れて飲む俺には、いつからか最初からミルクが入った状態で出されるようになった。
子ども扱いされているようで最初は断っていたが、見栄を張るのもばかばかしくなり諦めたのだ。
「ありがとうございます。」
マスターのコーヒーは豆へのこだわりが感じられるものだ。
シーズンごとに豆の出来を確かめた上でセレクトし、焙煎度合いなどを自分で研究した上で提供しているらしい。
もっともミルクを多めで入れてもらっている俺は味の違いをあまり感じることができないのだが、それでもスッキリとした味わいの中にしっかりとした苦味を感じられるような気がする。
コーヒーを語れるほどたくさん飲んできたわけではないため、あくまでも気がする程度だが。
続いてセットのケーキが目の前に置かれる。
今日は珍しく売り切れていなかったモンブランを注文した。
他のいくつかの種類のケーキも美味しいのだが、モンブランはケーキ屋にも負けない絶品のものだ。
いかにもコーヒー一筋のマスターは、前に聞いた話だとスイーツ作りは得意ではないため知り合いに作ってもらっているとのことだった。
そのためどのケーキも数量限定であり、特に土日はモンブラン中心に売り切れていることが多かった。
「今日の稼ぎはどうだった?」
「まぁまぁでしたね。ゴブリンがいつもよりも多かったので少し厄介でしたけど。」
俺の微妙な表情といつもより時間が早いことから察したのだろう。
受付のセイラさんと同じように事情を知るマスターが苦笑いを浮かべる。
「あまり無理をし過ぎないようにな。」
マスターの言葉に対し俺は曖昧に頷く。マスターもそれ以上突っ込んでくることはないが、複雑な事情とソロ攻略という現状が相まった俺を強く心配してくれていることが強く伝わってくる。
しばらく無言が続き、ふと道の反対側の建物を見ると、次々と人がダンジョンに入っていくのが見える。
「すごい勘だよなぁ、あのゲーム会社。」
「それをマスターが言うんですか?」
俺が先ほどまで居た攻略拠点を運営しているのは、あるゲーム会社である。
ダンジョンの入口と攻略拠点の管理者を分類すると大きく分けて3つだ。
政府組織であるダンジョン協会、企業、そして個人。
国が当初計画したのは、国が土地を買い上げるという形でダンジョン入口を全て管理するというものだった。
ただ程なくしてすぐにその計画は頓挫し、買収費や維持費などの様々な費用を考えると、全てのダンジョン入口を国が管理するということは不可能という結論に至る。
そしてここでも法整備がなされ、結果的に今のような企業所有、個人所有という形で管理、運営が始まっていったのだ。
どういう原理かは分かっていないが、ダンジョン限りの装備と違って、一部の素材や資源は持ち出すことができる。
それに加えて、ダンジョン内での装備の取引や攻略に必要なものを売買することで結構な利益が出るらしく、運よく自分の土地にダンジョン入口が現れた人は今ではそれなりの金持ちになっていたりするらしい。
そして先ほどの攻略拠点を運営する企業であるゲーム会社も、ダンジョン攻略が盛んになりRPGゲームなどをプレイしていた層がそちらに流れることを見抜いて、いち早く参入し、好立地の複数のダンジョン入口の買収を行った。
それが今となっては、VR技術を使ったダンジョンの講習会や攻略本などの分野でトップを走る企業である。
参入の時期が遅れて、辺鄙な土地のダンジョンしか購入できなかった他のゲーム会社とは天と地の差だ。
かくいうマスターもダンジョン産業が活発化することを見抜き、ゲーム会社がダンジョンを買収するよりも前に目の前の建物の一角を借りて喫茶店をオープンしたらしい。
「そうだ、陽向君。今度の土曜日は空いてないか?久しぶりに俺もダンジョン攻略に行きたい気分なんだ。」
「土曜日ですか?俺は特に予定はないですけど、普通に営業日じゃなかったですっけ?」
「良いんだよ。俺がオーナーなんだから。働きたいときに働いて、休みたいときに休むんだ。」
その辺のサラリーマンに聞かれたら怒鳴られそうな言葉を吐いてドヤ顔をするマスターを眺める。
これが強面なマスターが親しみやすい理由の一つであるが、店内の客にはくたびれたスーツを着たサラリーマンもいるため内心はひやひやだ。
「分かりました。何時ごろにしますか?」
「14時ごろかな?ここに集合ということで。」
その後しばらくの間、マスターと他愛もない話を続け、次第に客が増えてきた頃に、会計を済ませ、忙しそうなマスターにお辞儀をしてから店を去る。
店を出た俺は当初の目的であったスーパーに行って数日分の食材を買い込み、自分の住むアパートへと戻る。
セキュリティー面は多少不安だが、築10年以内の2DKで月10万ちょっとという良物件だ。
2DKにしている理由は部屋の一つは妹の雪の部屋で、同居人として家賃を折半しているためだ。
ま、任務のために家を空けることが多く、ほとんど居ないのだが。
妹は去年の4月までは母親と一緒に妹が所属するダンジョン協会の本部がある、ここ東京に母親と二人で住んでいた。
そして俺が上京するのと入れ替わりで、母親は地元九州へと戻り、妹は俺が新たに借りたアパートへと引っ越したという経緯がある。
周りで聞くようなこともなく、俺たち兄妹は変わらず仲良くやれていて、同居生活も問題なく過ごせている。
勝手に俺がそう思っているだけ、ではなかったらの話だが。
一息ついて自室の椅子に腰かけスマホを見ると、その妹からメッセージアプリでメッセージが届いていた。
雪[明日、家に戻るから。よろしくね!]
陽向[明日?急だね。]
雪[任務が早く終わったの。週末は休みももらえたから、久しぶりにダンジョンに行こうよ!]
学業に任務、ダンジョン攻略をこなす雪には基本、休みがない。
その休みも自分のことに使うのではなく、ダンジョン攻略が中心で、趣味がダンジョン攻略といった感じだ。
とはいえ、このことは珍しいことではなく、高校生や大学生の多くが放課後や休日をダンジョン攻略に費やしているのが現状だ。
しかし少し前に聞いた言葉である。
(マスターと約束しちゃったよ……)
陽向[日曜日は問題ないけど、土曜日は前行った喫茶店のマスターとダンジョンに行く予定なんだが。]
雪[じゃあ、土曜は私も参加ということで!日曜は2人ね!]
俺の週末の予定が埋まった瞬間だった。
ダンジョン攻略は俺も趣味だから嫌ではないが、週末に備えて明日からはダンジョンに行くのを控えることにしようと決意する。
普通のソロ攻略と比べて強敵に挑戦することの多い雪との攻略は結構な体力を使うのだ。
(それにしても明日、雪が帰ってくるのか!)
特に時間は伝えられていないが、雪の言う明日というのは曖昧で、0時になった瞬間帰ってくることもあり得る。
食材を一人分しか用意していない俺は、シャワーを浴びたい欲を我慢して、大慌てで再びスーパーへと向かう準備をする。
(……片付けもしないと、だな。)
嬉しさだけではない。
俺は共有スペースを見渡して、時間をかけて掃除しなければと心に誓ったのだった。
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