第5話 奪還作戦

「……気は確かか?」

「勿論だ。お前、見れば見るほどいい顔してやがる」

 黙って奴の言葉を飲み、従う事でカルトレアの身に起こる事柄は彼女も理解しているだろう。だが、ココロの命を握られている以上、彼女はきっと、自己犠牲の道を選ぶ。

 からぁん、と、金属の空虚な音が鳴った。カルトレアは両手を上げ、白旗をあげている。卑劣な策略に、目線は揺らぐばかりだった。

「ライア、ココロ。安寧まで導けずに申し訳ない」

 振り返り、精一杯笑い飛ばす。そんなカルトレアの顔に、一切の逡巡などない。ただ、我々を心配するような、そんな雰囲気だけを溢していた。

「私は貴様に従う、だが、万が一にもこれ以上ココロに手を出した場合は如何なる理由であろうと貴様を殺す」

「安心しろ、ガキにゃ興味ねえ」

 不服の顔を一文字に決め込むカルトレアを抱え、元来た道を戻り始めるブラキュール。その背を、ただ見つめることしかできず。ココロの首を締め付ける血の塊は段々と形を消し、地の草原にべっとりとこびりついて動かなくなっていた。

「大丈夫か、ココロ」

「やっ……いや……行かないで……カルぅ……」

 荒い息のまま、膝をつき手を伸ばす。ココロの中に渦巻く憎悪はまた、己の責任と自らを苦しめるばかりだろう。

 

 

 

「糞っ……‼︎」

 何もできぬまま、とは何度目だろうか。無力故に、力不足故に、甘さ故に。最早家族のような、追い続けていた師の姿をただ見つめることしかできなかった無能に。そう、あまりにも無能、己自身に。腑が煮え繰り返るばかり、語彙力のない怒りだ。

 図書館のど真ん中に設置された、食卓に使っているテーブルへ。深刻な顔を並べ、歯を軋ませることしか出来なかった。

 ふと、外から騒がしい音がする。たまに訪れる、家主の騒音だ。

 扉を開け、一週間と少し振りの顔を見つける。紅い翼竜にまたがる、シズクの姿が降り立った。

「やあ、ライアにココロ。ちょっといいか」

「はい……?」

 翼竜から降り、一冊の本を開く。途端に、翼竜は本の中の一ページに記された絵に吸い込まれた。

「ここにくる途中、カルを乗せた馬車を見た。何かあったのか」

 真剣な眼差しをレンズの向こうに覗かせるシズクの言葉は、今まさに、我々を悩ませるすべての根幹と言っても過言ではない。

「ギガノスの幹部に連れ去られたの。私が人質にされて、だからカルは何も出来なくて……」

 ココロの、重い一言が響く。カルトレアの言葉を遂行できず、ココロを人質に取られたのは自身のミス。だが、恐らくココロは、己の抱えるものと比にならない責任を抱えているのだろう。

「……そうか。お前らは怪我してないな?」

 シズクの言葉に、二人並んで首を縦に振る。毎日ではないにせよ、顔を合わせる者同士。シズクにとってカルトレアは、数少ない同胞の生き残りである。故に、彼女にも感情的になるなとは難しい話だろう。

 シズクは先ほどの本の、また違うページを巡る。竜種の図鑑のようで、至る所にその姿が写されていた。ページの右下、黒い翼竜に触れる。その指先から光を放ち、構えた。

「さぁ、出番だ。イドゥラ」

 先程まで聳えていた紅竜の位置に、黒竜が姿を現す。シズクの魂『創世司書ライブラリア』は、手に取った本に描かれたものを現実に生み出す能力。生み出された物は三十分の間形を保ち続ける。一定のダメージによる消滅、複数生成に伴う精製物の寿命減少などのデメリットはあるものの、こちらもまたカルトレアの『青龍せいりゅう』のように、出鱈目な力の持ち主である。

 イドゥラと名付けられた黒竜に跨り、スキンシップを図るシズク。彼女の考えていることは、手に取るように分かった。

「シズク……俺も連れて行ってくれ」

「私も……足手纏いじゃなければ、だけど」

 腹の中は決まっていた。というよりも、彼女の行動を待っていたのかもしれない。不甲斐ない自身が一人で刃向かおうと、未だ何もできぬと謙遜の意をどこかに隠し持っていたのだろう。

「二人にとって、カルはお姉ちゃんだもんな。そういうと思ってた」

 イドゥラの上から、差し伸べられた手を。しっかりと掴み、前脚を駆け上がる。同じように、ココロへ手を差し伸べた。

 しかし、地の方では、謎の光景が広がる。イドゥラが何かを探し求めるように、ココロの顔をべろべろと舐め回している。くすぐられるように、ココロは泣きっ面に更なる涙を溢している。

「どうしたイドゥラ、何か気になるのか?」

「ギュゥス‼︎」

 不思議そうな顔をして、シズクはイドゥラから飛び降りる。イドゥラを宥め、疑惑の根本であるココロの顔を探索し始めた。

「ん?これは……」

 ココロの顎の裏に手を伸ばしていたシズクの指先には、何か、米粒のようなものが付いていた。

 

 

 

 遥か上空。ギガノスに支配され、倉庫のように雑な扱いを受ける元ザスディア国土を見下ろして、我々の目的を今一度共有していた。

「今私たちの兵力でギガノスとの全面戦争なんて出来るわけない。カル奪還後、すぐに逃げるぞ」

「で、でも逃げるって何処へ……」

「その手配はすでに用意してある。心配するな。さぁ、降りるぞ‼︎」

 シズクの言葉の先、我々の目的地。ザスディアが滅んだ日、一夜を明かしたあの塔が姿を見せた。建造物の中で唯一あまり崩れていない元ザスディアの中心は、そのままギガノスの中枢を担う建造物へと再利用されてしまったらしい。シズクの目撃情報通りなら、この城にブラキュールとカルトレア、加えて雑兵、最悪の場合、他の幹部が居る可能性がある。

「捕まれ‼︎」

 突如、シズクの声が響く。イドゥラが身を翻し、滑空する真上を、電撃が一直線に走っていた。

「気付かれた⁉︎」

「この距離で狙ってきたって事は……幹部、いるかもな」

 シズクは、不穏な言葉を吐く。真横でイドゥラにしがみつくので精一杯のココロは、すでに満身創痍だった。

「敵さんまだ許してくれないみたいだ。振り落とされるなよ‼︎」

 その後はもう、何が何だか分からない。全力でイドゥラの鱗の隙間に指をかけ、宙を舞う翼に身を任せることしか出来なかった。

 ふと、一度だけ。電撃が、イドゥラの羽根を掠めた。

「やられた……‼︎着陸するぞ、衝撃に備えろ‼︎」

 そのまま、地を目指し一直線に滑空する。感じる風圧の毛色が変わり、至る所がむず痒くなっていた。

「いやぁぁぁぁ‼︎」

 

 

 

「雑兵は俺がやる。シズクはココロを頼む」

「了解。カルに鍛えてもらってたんだろ、期待してる」

 役目を終えたイドゥラは本の中へ戻し、休息を与える。一度本に戻して仕舞えば、少しの傷程度なら一定の時間で完治するそうだ。イドゥラの代わりとして呼び出されたのは、二本足で駆動する竜。シズクは、ハスターと呼んでいるらしい。

「行くぞ」

 見慣れた国のシンボルは面影もなく、ただ崩れた別物がそこに聳えるようだ。一歩足を踏み入れる音に、勘付いた兵士がこちらを取り囲んでいた。

「侵入者か⁉︎」

「応援を呼べ‼︎」

 眼前に映る雑兵はざっと七人。大将が居ないにしても、入り口の警備としては手薄な方だ。

 応援を呼ぶ一人の男の進む道へ、焔を走らせる。カルトレアの助言から得た、攻撃以外の技術。広がる道は、焔の壁に遮られる。

 もう一歩、踏み込むように、飛び出して懐へ。真正面の雑な防具の隙間を狙い、三撃の刃を打ち込む。

 続けて、左右から迫る兵。倒れ込む正面の雑兵を受け止めて右側へ、雑兵の向ける槍は一人目の体を貫き、血を浴びている。左側には適当に、足払いをすると、重い装備に抗えず倒れ込む。その姿を真上から捉え、刃を差し込み絶叫を響かせていた。

 同じように、残り四人。恐らく、戦闘に向かない魂又は未所持故にこの様な雑な装備を与えられているのだろう。もし何かを持っていたとしても、使う隙を与えるな。カルトレアからの受け売りだ。そんな事を思い出しながら、己の焔に照らされた七つの残骸を完成させた。

「あいつ覚悟決まりすぎじゃん」

「ライアはずっとカルと一緒だったんだもん。多分、今一番怒ってるよ」

 背景の二人は、こちらへ向けて頷く。カルトレア奪還作戦は、未だ計画段階の序章にも満たない。

 

 

 

 

「さぁ、次はこれを着てくれマイハニー。俺たちに相応しい盛大な式にしよう‼︎」

 一室にて。阿呆のような言葉の羅列を並べる男、ブラキュールは可憐なドレスを両手に満面の笑みを浮かべている。

「く……」

「おいおい、嫌そうな顔するなよ。何も全裸になってあれやこれやさせてるわけじゃねえんだ」

 ひらひらと、趣味に合わない純白に身を包むカルトレア。怪訝な顔は今一度失われるはずもなく、眼前の男に玩具のように扱われる様に、眉間が疼くばかりだった。

「ココロの命が守られるのならば私は公衆の面前で乳房を晒すことすら厭わん。だが、これは屈辱だ。貴様の欲を満たす玩具になった覚えはないぞ」

 カルトレア自身も、己の常識がズレてしまっていることには理解が行き届いている。だが、今更それを自ら咎めようとも思わなかった。故に、今まで感じたことのない恥。これが、大きな屈辱となっている。

「……お前、なんか勘違いしてるな」

「なんだと……?」

 ブラキュールは、備え付けのツインベッドから腰を上げてカルトレアに詰め寄る。カルトレアは何もできないまま、その圧力に押され後退するしか出来なかった。

「あの時飛ばした血はカケラになってまだあのガキに付着してる。お前が少しでも俺の気に触る事をしたら、いまここでだって殺せるんだ。今後言葉に気をつけろよ」

 完全に、退路が塞がれてしまったような気がした。ブラキュールの目を盗み抜け出し、なんとかしてココロを守れば良いなどと考えていたが、あまりにも無謀。

 逃げ出し、見つけ、守る。この過程を、数秒程度の猶予で行えるはずもなかった。

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