第4話 『青龍』

 鋼の擦れる音が響く。背後より焔を走らせ、退路を塞ぎ、その道に押し込むように。

 しかし、眼前の師はその身を逸らし、刃の方向を逆位置へ。受け流された身を支えた二本の脚は、唐突にバランスを崩して倒れ込み、視界を揺らがせる。耳の位置を掠めるように、地に刺した鋼は、土埃を宙にばら撒いた。

「また私の勝ちだな」

「糞っ……」

 

 ザスディア崩壊の日から二年と少し。シズクの隠れ家、この図書館にて時を過ごした。未だ、路頭に迷っていると言っても過言ではない。

 あの日、カルトレアに伝えた無謀な想いを。彼女はその真意を汲み、今の瞬間まで、師として、毎日のように技術を叩き込んでくれた。武術、体術など、彼女の強さを形造る大部分を学び、少しばかりは野望へ近づけただろうか。

 無論、未だ師に勝てたことなどある訳もないのだが。

「ライア、カル。そろそろ休憩にしたら?」

 声の鳴る方へ、首を傾ける。麻の袋に野菜を詰めた、ココロが佇み問いかけていた。

「そうだな。ライア、続きは飯の後にしよう」

 カルトレアは息を切らしながら、立ち上がりココロの元へ寄る。袋を受け取り、二人は図書館の中へと消えていった。

「あー……全く勝てる気がしねえ」

 大の字で寝転び、天を仰ぐ。青臭い柴の匂いは慣れてしまうほど、毎日のように地に臥している。

 黒い焔を出すやつ、というのは長いので、略して『黒焰こくえん』と呼ぶようにした。カルトレア曰く、戦闘に活かせる魂という事だけで感謝すべきなのだと語る。魂の能力は十人十色、中には役に立たない者、魂自体を持たぬ者も存在するというのだ。そう思えば、『黒焔』はまだ使い勝手の良い方だろう。

 立ち上がり、図書館の方へ。昼の陽が真上に照らす麓で、腹の虫が鳴いていた。

 

 

「あれ、コイツって……」

 厨房でまな板に乗せられた、肉の姿。どこか見覚えがある、というよりも、忘れるはずもなく。あの日の、間抜けな鳥と相違ない。

「なんかね、グリーンフォーゲルが大量発生してるらしくてすごい安かったの。たまにしか食べれないと思って買っちゃった」

 そう言って、鍋をかき回すココロは笑みを見せていた。彼女は、この珍味を口にするのは初めてだそうだ。

「私は幼少の頃一度だけ食べたことがある。値段が張るのも納得の美味さだったぞ」

 カルトレアの語る通り、グリーンフォーゲルは美味い。己と兄の舌に狂いはなかったのだ。たまに、値段は張るものの特に美味くもないものが割と存在するが、この鳥は正真正銘の高級食材だ。

「さ、出来たよ。食べよう」

 ココロは次々と鍋の中身を皿に移し、卓へ運ぶ。全ての準備を終え、その珍味を中心に構えた状態で、三人、掌を合わせる。

 ひとくち、その鳥肉を舌の上へ。とろけるように、肉汁の溢れる絶対的な美の味は、ふとした記憶を蘇らせた。二年と少し前、以来会うことすら出来ず。生きている筈と希望を抱いたまま、姿を見付けることすら出来なかったその姿を。

「ライア……どうしたの?美味しくない?」

 ココロの、問い。そんな筈ないだろう。彼女の作った料理に、不味いものなんて何一つなかった。二年間ずっと食べ続けた、第二の故郷の味だ。

 だが、自身の弱さ、だろうか。二人の、最後の晩餐を思い出している。それだけで、頬は冷たく固まってしまった。

「なんでもない……美味いなって、思って」

 見つめる、不思議そうな二つの顔。それはそうだろう。突然、ただ珍しいものを食べただけで泣き出す奴など、不思議で仕方ないだろう。

 

「悪い、ちょっと昔のこと思い出してた」

「そうか。まぁ、大丈夫なら安心だ」

 ボロボロの剣を手に取り、先程のリベンジと眼前の師に構える。やはり、復讐など良い事では無いと皆語るだろうか。だが、それは師も同じくして感じていた事だろう。

 ザスディアが滅び、受け入れろなどと。当時十七の少女と、十四の自身が大人びた視線で思考などできなかったのだ。ただ、怨みのまま、己を磨き続けてきた。

「怪我しないでねー」

 ココロの言葉に、双方が頷く。深い怪我をしない様にと、カルトレアは組み手に手を抜いているのが段々とわかってきた。それが、とてつもなく悔しく思えている。それが最近の悩みだ。

「よし、行くぞカル‼︎」

 地を踏み締め、飛び出す。未来を見ることができるカルトレアに攻撃が当たるのか、否、二年間続けた鍛錬の末、一度すらもダメージを与えられたことなどない。超えられない壁を見ている様だ。

「止まれライア‼︎」

 突然の言葉、意味も分からぬまま、その脚にブレーキをかける。カルトレアの表情は、いつになく厳しい顔をしていた。

「……どうしたんだ」

「二人とも下がれ。ココロはライアから離れるな」

 そう語ったのち、百八十度向こう側へ向き直る。言われた通りに、図書館の扉辺りで二人肩を並べ、カルトレアの背中を見つめていた。

「……何かあったの?」

「多分、カルは『三分後に何かが起こる未来』を見たんだ」

 起源魂『青龍せいりゅう』の力は、三分後に起こる可能性を幾つか見る能力。カルトレアの見た未来が一体何を意味するのか。だが、良くないことであるのは明白だった。

 

 二分と少し。時間の中に心臓が動きを速め、理解できぬ畏怖がそこらに形を作り始める。見つめる視界の先、唐突に、カルトレアは右へ身体を転がした。

 先程まで構えていた地から、黒く尖った岩の様なものが勢いよく飛び出す。喰らえば、その身が貫かれてしまう鋭利さを秘めていた。

「カル‼︎」

「私に構うな‼︎」

 緊迫する空気の中、周囲の草が揺れる。深緑の先から姿を現したのは、二、三十人と言ったところか。紛れもない『ギガノス』の国旗を衣服の至る所に掲げた男たちが、槍を携え図書館周辺を取り囲んでいる。

「おぉう、この辺で目撃情報があったもんで来てみたらビンゴだ。やっと見つけたぜ、カルトレア=セリオス」

 黄土の長髪を靡かせる、三十代くらいの男が一人。この軍の指揮をまとめる様な、他の雑兵とは違う雰囲気を醸し出している。

「ギガノスの犬か。何の用だ」

 カルトレアは、あの日から変わらぬ藍色の剣を構える。話し合う気は毛頭ないと思いつつも、問いを掛けていた。

「俺らの王はザスディアを滅ぼした気でいた。初めて消したデケェ国だ。でもなぁ、衛兵の中でも馬鹿みたいに強えカルトレア=セリオスが生きてるかもしれねえってんで王はブチギレなんだわ」

「そうか。故に私を殺すため貴様を寄越したと」

「おうよ。ギガノス国王直属の幹部、この俺ブラキュール様がわざわざ来てやったんだ」

 ブラキュールと名乗る男は、白い歯を見せて笑う。奴らの目的は、カルトレアの命らしい。

 そんな事を考えているうちに、眼前よりカルトレアは姿を消す。いや、目で追えぬスピードで、動いているのだろう。

 雑兵が一人、また一人と、全身の四方八方から血を吹き倒れ始める。うめきの絶えぬ惨状が、ひとつの剣によって生み出されていた。

 カルトレアは、組み手の際に手を抜いていた。そう思い込んでいたのだが、どうやら間違いらしい。

 そんなレベルではない。彼女は、自身の攻撃を、蚊を叩く。そんな感覚で、受け流していたのだと。二年間で教わった技術は、カルトレア=セリオスの本気の百分の一にすら満たない。そう、痛感した。

 ブラキュールの鼻の先へ、刃は向けられた。実に五秒も経たない。雑兵どもが、全ての影を消すまでは。

「私も、できれば教え子の前で悪鬼などになりたくはない。塵共を連れて引き取り願おう」

 一瞬。何も考えられぬまま、形勢は逆転した。三十人近くを短時間に切り伏せ、親玉へ刃を向けるその姿。師のあるべき、自身の憧れた姿だった。

「くっふふふ……やっぱりヤメだ‼︎」

「何⁉︎」

 ブラキュールの、不穏な笑いが引き金になる。嫌な予感はしていた。視界の先、ブラキュールの影から、地を這う黒い塊が近付いている。こちらへ向けて。いや、ココロへ向けて、何かを仕掛けていた。

「ライア‼︎ココロを守れ‼︎」

 起源魂『青龍せいりゅう』は、幾つものパターンを見ることができる。だが、それぞれは『あり得た未来のカケラ』でしかない。

 それが実現するかもしれないし、実現する未来を防ぐための行動がまた別の未来を生む。無限に広がる可能性を、三分以内に読み取り、対処すること。それは、どれだけカルトレアが優秀な戦士であろうと、人間の限界故に抗えない。

 敵の不意打ちを完全対処する事は、できないのだ。

「糞っ‼︎」

 地を這う塊は、まるで飛び跳ねる魚の様に。歪な形を作り、ココロの顔面を目掛けて迫る。何を行う攻撃なのか。真意が見えないが、その塊に向けて拳を振り翳した。

 が、それはまるで液体のように。歪な塊は、拳をすり抜け、元の形を作りココロの首へ巻きついた。

「この匂い……奴の魂は『血』か⁉︎」

 触れた拳に付着した、塊の片鱗。紛れもない、血液特有の、鉄の匂いがした。

「ココロ‼︎」

「動くな、カルトレア=セリオス‼︎後ろの男もな‼︎」

 ブラキュールの、気色の悪い笑みがこちらを向く。ココロの首を締め付ける塊を前に、奴の言葉へ耳を傾けた。

「俺は王からこう伝えられている。『目的はカルトレア=セリオスの拘束。その後は俺に任せる』ってな」

 ブラキュールは、刃を地に向けたカルトレアへ歩み寄り、両手で殺意の顔を包み込む。カルトレアは、ココロを人質に取られている以上動く事を許されていない。怪訝な顔を浮かべ、舌打ちをした。

「最初は殺そうと思ってたんだが……俺の部下を一瞬で殺せる強さ、ガキ思いの優しい性格に何より面が良い」

「何が目的だ……?」

「なぁに、簡単だ。すぐに人質も解放してやる」

 ブラキュールの言葉に。何もできない。怒りに満ちたカルトレアの表情も、何もかも。全て手に取るように分かった。

 ブラキュールの、下卑た言葉。自身は、何もできぬまま、それを見て、聞いているだけだった。

「カルトレア=セリオス。お前は俺の嫁にする。そしたらもう、あのガキ二人には何もしねえよ」

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