第一章 ザスディア編

第2話 魂の世界

 都市国家『ザスディア』に住まう、一つの平民夫妻が住まう家に生まれた。それはもう十四年も前の話になるのだが、当時は色々と思い他悩むことが多かったのだ。

 何故なのか。恐らく、というか、確実に。明確な理由を持って、幼少を悩ませていた。

 あのとき。沈みゆく身体は止まることを知らず、底の見えぬ深淵へと落ちていった。そんな最中、ナラクの一つの声はしっかりと届いていたのだ。

 故に、一、二歳でホームシックを味わった。あんなに崩れた家庭であっても、馴染み深く、なによりも、弟の翔吾に会いたくて仕方がなかった。あの閻魔大王の娘が、しっかりと記憶を消してくれればどれだけ楽だったろうか。

 とまあこんな感じで、ふざけたしょーもないミスにより。転生後の世界で、しっかりと前世の記憶を保っていた。

 そんなこんなで、ライア=モルガナイト、という名を新たな父と母から貰った。母は厳しくも子を思う慈愛に満ちており、父も人格者として多数に一目を置かれる人だった。本当に、前世の父親とは大違いである。

 

 加えてどうやら、この世界には『ソウル』というものがあるらしい。生まれた瞬間からその身に宿る、能力の類だそうだ。ひとまず、これの正体を知って元生きていた世界とは全く別の世界に転生したという事だけは理解した。

 自身に宿る魂は、赤黒い焔を操れるもの。なんとまぁスタンダードなのだろうか。特殊能力と言われて、一番最初に出てくるレベルの単純さだ。更に、十四年程度で同じような魂を持つ人間を既に何十人と見てきた、とんでもないコモン能力である。あまりこういう内部事情は詳しくはないが、エクストラステージとか言ってたし、てっきりヤバ目の能力が貰えるのかと思っていた。

 

 

 ※

 

「ライア、火を付けてくれ」

 名を呼ぶ。この家に住まうもう一人の住人、兄のアストラル=モルガナイトが声をあげていた。薪を組み、また今日の生活の為に分担された仕事をこなしていく。元の暮らしていた世界と何もかもが違い、最初は口に合わなかった食べ物も、慣れて仕舞えば珍味と同じように舌を唸らせる。世界が違うのだから文化の違いは明白だったが、十四年も過ごせばどうということはない。

 片手間の小遣い稼ぎ程度に、狩猟を始めて数年。郊外の山へ罠を仕掛け、捕まえた動物を色々な店で買い取ってもらう。そんな生活を続け、のんびりと第二の人生を謳歌しているのだ。

 かつて暮らした日本とは違い、義務教育などない。気ままに、日常を繰り返していくだけだ。

 今日は、珍しい鳥が掛かった。なかなか手に入るものではないことに加え、過食部分は少ない。これなら、自分たちの胃袋に収めてしまおうと、兄との意見が一致した。

 焚べた薪に火を灯し、燃え上がる。羽をもぎ、肉の形を露わにした姿をそのまま炙り始めた。

「運がいいな、グリーンフォーゲルが掛かるなんて」

 近辺の生息数は少なく、非常に知性の高い鳥。遊び程度の罠に引っかかることは普段無いのだが、相当阿呆な奴が居たようで、見事なまでの囚われっぷりを見せていた。

「俺、グリーンフォーゲル食べるの始めてだ」

「俺は一回だけ食ったことある。めちゃくちゃ美味いぞ」

 過去、既に実食済みの兄曰く、格別な美味さを誇るという。やはり美味いものほどレアになるのは、どこの世界でも共通なのだろう。

 

 やはり二人で分け合うと、量はそんなに無い。あっという間に平らげ、骨を焔の中に落としていた。

「だいぶ暗くなったな」

「もうちょっとゆっくりしてから帰るか」

「父さんが怒るぞ」

 父は、ザスディアの政治に関わる仕事をしている。故に、ふとした事に小言を挟むことも多く、やはり反抗期には少しうるさく思えてしまうのだろう。まぁ、引き継いだ記憶を合わせれば反抗期などとうに過去の話なのだが。

「……なぁ、ライア」

「どした、兄貴」

 唐突な声に、どこか神妙な雰囲気を感じた。いつも冷静な兄と、似て非なる顔だ。

「俺、親父の背中追えって言われてんだけどさ」

 淡々と語る。十七になる兄は、これから進む道を確実にしていかなければならないと。国を背負う、大きな仕事を本当に生業にするつもりなのだろうか。

「そうなったら勉強しなくちゃならねえ。しばらく、ライアとこうして遊んでも居られなくなるな」

 それは、仕方のない事だろう。だが、並ぶ複数の道から己の進むべきを探すのは、兄自身である。なにか、助言などできるまい。

「俺は別に構わねえよ。兄貴がしたいようにすればいいだろ」

 焚き火が、消え掛かっていた。

「……でもまだ迷ってんだ。俺が親父の跡なんか——」

 

 刹那に、轟音が鼓膜を貫いた。街と高低差のある山から、一望するいつもの景色が変わり始める。

 都市の中心に君臨する、政府の馬鹿みたいな大きさの建造物。まるで外側から砲撃を受けたように、黒煙を立ち上らせて、塔の一角の姿が消えていた。

 続けざまに、あちこちから火の手が登るのを確認した。夢ではなく、間違いのない現実。自宅の辺りまで、しっかりと焔は包み込んだ。

「なにが起こって……⁉︎」

「兄貴‼︎父さんと母さんが家に……‼︎」

 ゆらゆらと靡く焚き火の焔が、跡形もなく消えたというのに。その何十倍も大きな、大きな焔が、こちらを照らしていた。

 

 

 

「どういう事だ畜生……‼︎」

 都市の入り口、要塞のように取り囲んでいた大きな門は崩れ去り、ただ、残骸だけが燃えている。至る所より響く悲鳴に呼応するように、獣の声が響いていた。

 オーク、ゴブリン、ウルフ、コボルト……と。

 この世界、国の外に出て仕舞えば、このようなモンスターが巣食う野蛮な世界となっている。相応の技術を持ってして挑まなければならないと、一種の災害のように叩き込まれている。そんな怪物共が、何故都市の中にまで。

「糞がっ‼︎」

 無我夢中に、走り出す。こちらに気付いた蛮族になど、目も向けずに。ただ、一心不乱に、我が家の戸を目指した。

 もう、失いたくない。前世で母が死んだとき、どれだけ泣いたかも覚えていられないほど泣いていた。だからこそ、もう一度なんて。耐えられるはずが——

 自宅、らしい。眼前の、木片の塊が。

 一歩寄れば、少しずつ見えてくる。埋もれた、その掌を。間違いなく、いつも見ていた父と母の指輪をした手。瓦礫の下に埋もれてしまったのだろう。すぐに助け出さなければ。血が流れ、怪我をしているらしい。一刻も早く、一刻も早く。

 二つの手を掴み、引っ張る。かなりの力を要すると思っていたものの、案外すっぽりと。拍子抜けのような音を出して、すぐに二人は飛び出してきた。

 いや、違ったか。

 『二人の残骸』が、飛び出してきた。

 母の腕は、肩まで。父の腕は、肘まで。

 そこから先に、見慣れた顔など。一切のカケラすら存在していない。

 何度、奪うつもりだ。どれだけ、奪えば気が済むのか。怒りが欲しいのだが、悲しみ、つらさ、そんなものしか出てこなかった。しゃがみ込んで動けない。焔に照らされた自身と両親の残骸を光から遮るように、その巨体が影を落とす。

 見下ろすオークの、下卑た笑みがとても気持ち悪い。適当な知性を持ち、絶望に満ちた顔を見て喜んでいるのだろう。

 その顔は何故か。前世の父と、そっくりだった。

 振り下ろされる、殺意の手。絵物語でしか見たことのないような、怪物の一撃など。喰らってどうこうよりも先に、まず避けることが出来ない。

「ライアぁ‼︎」

 兄、アストラルの声。視界にわって入り、オークの拳を受け止めている。アストラルの魂は、雷を生み出すもの。それがこの怪物へどれだけのダメージとなるか、考えたくもない。

「兄貴っ……何やってんだよ‼︎」

「うるせえ逃げろ馬鹿お前……‼︎」

 巨大の拳に付属した爪が深く刺さり、既に血を流していた兄。その口から出たセリフは、まるで。いや、あの時の自分と、ほぼ同じだ。

 何をしたんだよ。何をしたっていうんだよ。

 届きもしない祈りを。絶望の中、小さく溢す。

 

 

 自分も、同じ事をしたから。兄と同じ事を、かつてしたことがあるから。だからこそ、その覚悟を踏み躙ってはいけないと。無我夢中の中走り続け、大粒の涙を流していた。

 だが、その覚悟を受ける側になって知る。背負わされたものの大きさを。辛いのだ。何かできたかもしれない、助けられたかもしれないと考えながら、自分だけが助かる道を余儀なくされる事の辛さを。

 今、まるで善意を押し付けていたかのような前世の死因を。ただ、翔吾へ、頭を下げたくて仕方がなった。

 

 安全な場所なんて、ないのかもしれない。街をぐるぐると走り続け、幾つもの傷を負った。周りを見渡せど、死骸と燃えかすしか残っていない。絶望の中に、ただ喉を枯らす事しか出来ずに。

 何が魂だ。何の役にも立たない力など、無と相違ない。ご都合展開のように、能力が成長したりなど、あるはずもなく。気がついた頃には、眼前の道をゴブリンの群れに塞がれていた。寧ろ、よくここまで逃げた。全く、二回連続で十代のうちの死を経験しようとは。

 目を瞑り、覚悟は決まった。もしもう一度ナラクの奴に会えたら、文句を言ってやろう。

 瞬間。三百六十度、全てを覆う爆音が鳴り響く。驚きのあまりに覚悟の目を開き、その異様を目の当たりにした。

「……無事か?」

 ザスディアの国旗が目に映る。この国の衛兵団を示す制服に身を包んだ、一人の女。藍色の剣を携え、目線をこちらへ向けていた。

 取り囲むゴブリンの群れは、紫の血を吹き出して倒れ込む。一秒にすら満たぬ時間に、その全てが生命の終焉を迎えていた。

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