霊魂転生〜ガイスト・リンカーネイション〜

軍艦 あびす

プロローグ

第1話 輪廻転生

 曰く。人間の限界というものは、思ったより簡単に身体を蝕んでいくようで。

 曰く。人間の限界というものは、本人が気付かないうちに通り越しているようで。

 ただ、そんな事を脳内で嘲笑しながら、一番上のボタンに手をかけた。今日は放課後の五時間、時給千三十円により五千百五十円の収入だ。

 

 巳月翔也みづきしょうや、高校二年十七の歳になる。前年に母親と死別し、精神を病んだ父は働きに出る事をやめた。今、この少ない収入で自分と父と弟、三人を養っている。というのは少し傲慢か。何も間違ったことでは無いと思うのだが、謙虚になってしまう。

 明日の朝食となる、特売のあれやこれやをエコバッグに詰め込んで、片手に。今にも崩れそうな、ボロボロのアパートの一室を目指して、やかましい音を立てる錆びた鉄の階段を登った。

 

 我が家に帰宅するや否や、気になるのは我が家の亭主関白の顔色。元々、なにかと悪い武勇伝の多い男だ。強引に封じ込めたかつてのギャンブル依存も、母の死から度を増して再発している。

 つまらなさそうな顔で、チープな恋愛ドラマを眺めていた。この後、恋人が死ぬ展開なんかが訪れたら、またヒステリックを引き起こしてしまうかもしれない。それだけが、懸念だった。

 一方弟の翔吾しょうご、中学三年。真面目そうな顔で机に向かう様も、今年は受験を控えているからか、神妙だった。ただ、また色々な箇所に傷が増えているのも気になる。昔から喧嘩早く、またなにかと問題があったのだろう。見てわかる通りの貧相な家に住む奴が身近に居れば、これだけで現代の中学生なんて、水を得た魚の如く憎まれ口を叩くことだろう。

 シンクに積まれた汚れた食器を後回しにして、ひとまず風呂へ入りたい。だがその前に、母の仏壇の方へ向かう。

 いつも通り、正座で向かい合う。おりんを鳴らして、掌を合わせた。

 ふと、変化を確信した。仏壇に備え付けられた引き出しが、少し開いた痕跡を残している。恐る恐る戸を引き、中からいつも通りの木材の独特な香りが漂ってきた。だが、視界に映っている光景は、いつもとは違う。

 母の形見。うしろでふんぞりかえる亭主関白が送った、小さな小さなダイヤモンドの埋め込まれた指輪。跡形もなく、ただ、底の木目がまるで瞳のように、こちらを凝視しているようだった。

「……親父、母さんの指輪知らない?」

 なんとなく。察してしまったのだ。この一言が、どれだけの地雷を踏み抜いているのか。十七年も共に生きてきた父の性格など、手に取るように分かる。

 無精髭をボリボリと掻きむしりながら、父は舌打ちをする。続けざまに、言葉を発した。

「翔也ぁ、てめぇの稼ぎだけじゃあ食っていけねえだろうが。分かるだろ、売ったんだ」

 それなら、お前も働けよ。などと、口にできる家庭には無い。歯を軋ませ、あたかも平穏を装うように、返答をした。それなら仕方ない、と。自分に嘘をついて、強引に納得させようとした。

「で、いくらになったんだよ」

 話に割り込むように、椅子の背もたれに体を預け、のけ反りこちらを向く翔吾の声。まるで、汚泥の蛭をみるような眼をしていた。

「あぁ……まぁアイツが大事にしてたお陰で、一万ってとこだ。相場で見たら割と高値で買い取ってもらえたな」

 とてつもなく、軽薄。この男は、精神を病み、働く事をやめたのではない。ただ、母の死に便乗して楽な生活を選んだに過ぎないと。今、確信に変わった。大方、もうその金すら手元には残っていないのだろう。

「親父、今日パチンコ行ったのか」

 翔吾の言葉を、耳に小指を突っ込みながら適当な表情を溢す父。母は何故、このような男と生涯を共にしようと誓ったのだろうか。

「あぁ、完敗だ。前回の貯蓄玉まで全部無くなっちまった」

「……そうかよ」

 立ち上がり、ふらふらと父へ向かう翔吾の姿が映る。喧嘩早いと言えど、父に手を挙げればこの家に居場所が無くなる事。それを理解し、今まで父の蛮行に耐え忍んできたのだろう。だが、何かが吹っ切れてしまったようだった。

 だからこそ、止めなければならない。既に壊れてぐちゃぐちゃの我が家が、これ以上変わるとしたら悪化の未来しかない。それならば、この現状を維持し続ける事を選ぶ。

 翔吾の肩を掴み、精一杯こちらへ引き戻す。普段から喧嘩やらで動き回る翔吾の身体はしっかりと前進するが、なんとか押さえ込む。

「離せ兄貴……俺はもう我慢出来ねえんだよ‼︎」

「だとしてもそれで何か変わんのか⁉︎考えてみろ‼︎」

 暴走する翔吾は、力を増すばかり。育ち盛りに満足に飯も食えず、飢えに飢えている身体のどこにそんな力があるというのか。くだらない思考の末、翔吾は拘束を抜け出していた。そのまま、一直線に、父の顔面を強烈な右フックで殴り抜けた。

「……テメェ、親に手ぇあげるたぁどういうワケだ?」

 取り返しのつかない、崩壊の加速。宵の十時にボロ屋敷を埋め尽くす、声の群れが放たれた。

「うるせぇ……お前が母さんをどんだけ雑に扱ってたか俺は分かってんだよ‼︎ふざけやがって……母さんじゃなくてお前が死ねよ‼︎」

 今更、何を言っても変わらないだろう。

 ここから和解して、幸せへ向けて歩き出すなんて。あの指輪に埋め込まれた、小さな小さなダイヤモンドよりも、遥かに小さな可能性だって、ありやしない。

「……あの女、生意気なガキ産みやがって。とんだ魔女だ、お前らの大好きな母親はよぉ」

 父は、立ち上がって台所へ向かった。何をしようと企んでいるのか、すぐに分かってしまった。今すぐにでも、翔吾を連れてこの家を飛び出すべきだ。

「翔也ぁ、てめぇは俺についてくるよな。翔吾が居なくなったらお前の稼ぎでも、まぁ腹満たすくらいならできるだろ」

「やめろ親父ッ……‼︎」

 汚れた食器に満たされたシンクから、水をぽたぽたと垂らしながら姿を現す刃。この家に一本しかない、人の命を奪うのに特化した道具だ。

 父は凶器片手にゆっくりと迫り、翔吾の右目玉を目掛けて振り下ろす。流石に威勢を失っていた翔吾は、ただ口を開けて立ちすくむばかりだった。

 そんな姿が見ていられなくて。ただ、別に兄として云々ではない。一人の人間として。いや、やっぱり少しはエゴがあるかもしれない。一人だけの、兄弟なのだから。

 覆い被さるように、翔吾の盾になる。翔吾が玄関の方向に向かうように。父の行手を阻むように。

「逃げろッ‼︎翔吾ぉ‼︎」

「兄貴ッ……⁉︎」

「うるせぇ早くいけ馬鹿お前‼︎警察呼ぶんだよ‼︎」

 朦朧とした意識の中。父の胸ぐらを精一杯掴み、体重のまま前方へ倒れて、少しばかりの時間稼ぎをしてみたつもりだ。

 父は、学生時代の馬鹿な行為を武勇伝と語った。見知らぬ女を何人孕ませただとか、警察を刺したとか。

 多分本当なのだろう。そうでなければ、肋骨の存在を理解し、包丁を横向きに持って刺しにかかるなんてしないはずだ。映画でもなんでも、大体は縦に持っているというのに、この男は確実に内蔵へ届くルートを理解していたのだ。

 こんなしょうもない考察をしながら、父の真上に乗ったまま。

 力が抜け、意識が遠のき、視界が閉じた。

 

 ※

 

 何もない。無が支配する空間に、一人立ち尽くしていた。気がついたのは、三秒程度前の話だった。

 父に刺され、というか、翔吾が反抗を露わにした時点で、なんとなく死を覚悟していた。だというのに、何故か。訳がわからないまま、意識を保ち、己の脚が重心を支えていた。

 一歩、進んでみる。普通に歩ける。

 そのまま、もはや何が正解かも分からないが、ただ進み続けた。多分天国とか地獄とか、そういう所だろう。もし仮にそうでなかったとしても、死んでいるからどうでもいい、などと考えていた。

 途方もなく歩き続け、一点、無の世界に一つの影を発見する。景色の向こう側、一つの玉座に君臨する、威厳に溢れた少女の顔が見えた。

「巳月翔也……だな」

 立ち上がり、こちらを凝視する。思っていたよりも身長が低く、中学生くらいか。翔吾より、一回り小さい程度をしていた。

「そうだけど……あんたは誰だ?んでここは一体……」

 少女は表示を固めたまま、もう一度玉座へ座り込む。肘をついて、続けた。

「私の名はナラク。命を受けパ……閻魔大王管轄のこの場を治める者だ」

 パパって言おうとしたなこいつ。年相応だ。

 いや、今は眼前の粗に苦笑をこぼしている場合ではない。恐らくこの場にてナラクとやらと邂逅した事により、次の進展があるはずなのだ。ていうか閻魔大王か。なんか悪いことしたかな。

「そして……ここは『深淵』だ。死した人間がごく稀に辿り着く場所、人生終了後の低確率出現エクストラステージみたいなもんだな」

 一回しかないような、人生の終着点にエクストラステージなんか作るなよ。などと呆れてみる。

 誰かが言った、人生はクソゲーとは。まさか本当にゲーム感覚とは思うまい。

 ナラクは人差し指を宙に翳す。何やらハイテクな、宙に浮いたタッチパネルが現れる。アメコミ映画とかでたまにみるやつだ。

「弟を庇って父親に刺され死亡、明確な死因は内臓破裂による出血多量か……」

 やはり、刃はあの時点で内臓まで届いていたのだろうか。いつか父に殺されるのではなどと考える日もあったが、まさか本気でそれが実現するとは思うまい。

「てか、翔吾はどうなったんだ⁉︎」

 最優先の懸念。命を張って逃した翔吾の行方が、気掛かりだった。

「知らん。そこまでの情報は持ち合わせていないのでな」

「そうか……」

 結局は、何も分からぬまま。なんとか逃げ仰せて欲しいと願うばかりだ。そうでなければ、命を張ったというのに、己の中で不甲斐ない兄と成ってしまう。

「それで……俺はこれからどうなるんだ」

 ナラクへ問う。まさか、この空間で無限の時を過ごせとは言うまいな。

「お前の境遇、辛い思いもしただろう。そんな記憶は全て消して、一から生きるのだ。ここに来た人間は、即輪廻転生が決定する」

 輪廻転生。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つに分けられた世界に、新たな命として生まれ変わることだ。願わくば、せめて人間でありたい。

「というわけで、お前は今から輪廻の輪に導かれ生まれ変わる。どこの誰になるか、それは私にも分からんので野暮なことは聞くな」

 ナラクが、玉座の肘掛けに掘られたディティールの赤い宝石を押す。それをトリガーとして、足元に波紋が浮かび上がっている。先程まで立ち尽くしていた地は姿を消し、死した生前のままの身体は海よりも濃い蒼に落ちていった。

 

 

 

「……やっべ生前の記憶消すの忘れてた」

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