第6話 シノとの出会い

 今は昼休み。昼食をさっさと済ませて本を広げて読む。食欲より知識欲を満たしたい。


「まあ、貴方が前回のテスト一位のヨウさん?」

 涼やかな声が頭上からして思わず本を読む手を止める。何か爽やかな花の匂いがした気がした。

「うん、そうだよー」


 いつもみたいに、にへーと締まりのない笑みを浮かべて応える。誰だろう。この声はあまりよく知らなかった。ただ澄んだ綺麗な声だなとは思った。ゆっくりと顔を上げる。


 目の前には、なんとなんと生徒会長サマがいた。


 麗しの生徒会長。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群なんて噂のある彼女は、確かに絶世の美少女だった。こんな整った顔を直視する日が来ようとは。

 でも、そんな輝かしい彼女が一体自分に何の用だろうか。別に目立つことはしていない。前の中間テスト以外は、何ら目立たない一生徒のはずだった。


「で、どうかした?」

 一ミリの警戒心を持って、にこにこと感情のない笑みを浮かべる。実は少し、いやかなり緊張していた。

 だって目の前には国宝級の顔面。そして纏うオーラが違う。美しさと気高さが兼ね備わっている。あれ? 前にもこんなことあったような

 ……あの、夜の学校で会った少女に似ている気がする。結局あれって夢だったんだっけ。


 何あともあれ服の下で変な汗をかいて美少女の答えを待つ。


「いえ、大したことじゃないんですけれど……少しお話をしたいなと思いまして」


 そういいながら微笑む。お人形さんのように精巧で美しい笑みだった。お話とは。


「でも、その前に自己紹介がまだでしたね」

 失礼しました。なんて、丁寧に謝ってくる。律儀すぎて怖いくらいだ。慇懃無礼の一歩手前くらいかもしれない。そんな美しい少女がまたもや言葉を紡ぐ。


「私はシノと言います。もしかしたらご存じかもしれませんが、生徒会長をしています。以後お見知りおきを」


 お嬢さまのような物言いでふわりと一礼する。爽やかな香りがこちらに届く。


 はっきり言ってこの世のものとは、少なくとも公立中学校の一生徒には思えなかった。彼女の長く美しい黒髪がはらりと舞う。


 その様を口を開いてぽかんと見つめてしまいそうだった。やっとのことで理性を保って返事をした。


「……うん、知ってるよ」

「まあ、嬉しいです。では、これからはお気軽にシノと呼んでください」


 距離の詰め方がバグだ。ではってなに。接続詞の使い方間違っていないか?最近そんなことが多い気がする。


 でも、目の前の完璧な笑顔を見ていると、そんな些細なことなんて馬鹿らしくなってくる。要するに、ペースが呑まれているのだ。


「じゃあ、私もヨウって呼び捨てでいいよ」

 そう答えるしかなかった。


「まあ、嬉しい」

 そう言って、頬を朱に控えめに染める。器用だ。まるで役者。

「では、ヨウ。一つお願い事をしていいですか」

 少しためらっているようにも見えた。なんだろう。


 ――もしかして、次のテストで一位を取らせてほしいとかだろうか。


 それなら安心してほしい、だって次はもう満点なんて取らないから。でも、もしそんなことをこの少女が言うだろうか。

 キラキラ輝く生徒会長の闇だ。目立たないヨウだから口止めも簡単だろうと踏んだのだろうか。事実だけど。こんな仕様もないこと、誰に言う価値もない。


「もし時間があれば、私に勉強を教えてもらえませんか」

「……え?」

 予想とは全く違うベクトルの質問で、思わず声を洩らしてしまった。

「ヨウがシノさ……えっとシノに?」

「ええ。どうしてもわからないことがあって。ヨウなら、きっとわかると思ったんです」


 ヨウが一位になっていた結果発表を見てそれぞれ「ありえない」なんて好き好きに言っていた。まあ、順当な評価だとは思う。バカにみられるように振る舞ってたし。


 でも、シノはそんなヨウに勉強を教えてくれとせがんでくる。意味が解らない。


「勘違いしないでよ、シノ。ヨウはバカだよ」

「ふふっ、面白い冗談ですね。少なくとも私は、ヨウの賢さを尊敬しているんです」


 なのでここに来ました、なんてニコニコして言う。そのまますらりとした手がヨウの手を包み込む。少しひんやりとした、手汗とは無縁そうな綺麗な手。


「ヨウにしか頼れないんです。だから、もし迷惑でなければ教えてくれませんか?」

 そして、まばゆいほどの清らかな笑み。


 嗚呼これは、断れない。

 貴方にしか、なんて言ってくるのは卑怯だ。そんなの喜んで承諾しちゃうじゃない。


 中学生ってのは、承認欲求の塊だと思う。まだ自我がしっかりと形成されていないのだから、”貴方じゃないとだめ”みたいなのは、柔らかいところに刺さってしまうのだ。

 それをいとも容易く自分の武器にしてくるシノは、きっと人生二周目だ。


「そんな、過剰だよー。でも、いいよ。ヨウでよかったら、教えるよ」

「まあ、嬉しい。ありがとうございます」

 ああ、その笑顔。その笑顔が見られるなら、問題の一問や二問くらい教えるよ。なんて思うほどには無邪気でどこか儚い笑顔だった。


「どの問題?」

 そう問うとシノはガサゴソとプリントを取り出す。


 ――またまた綺麗な字だこと。

 字は人となりを体現するというが、まさにそれを目の前に突き付けられているところだ。

「これです」

「ああ、この問題ねー。えっとね、この問題は――」


 みんなの憧れである麗しの生徒会長、シノ。

 こういう人が、実は苦手だった。生まれながらにしてなんでも持っているひと。

 多分、地位も容姿も優れた頭脳も、きっとみんなもって生まれたのだ。羨ましい。


 ヨウはこの記憶に特化した脳みそ以外、何も持って生まれなかった。

 せめて、広い家に住んでみたかった。両親が普通に家にいて、家に帰ったら温かいご飯が待っている生活。父は離婚してずっと昔にいないし、母親は勝手に海外へ行ってしまった。きっと、この少女はすべて持っているんだろう。暖かい家も優しい両親も。


 ――相容れない。


 でも一緒にいるのはどうしてか不快ではなかった。この少女は、ヨウの欲しい言葉をくれる気がしたから。


 そんな甘えた感情が自分にあるのかと少しだけ驚いた。でもそんなどうしようもない感情は、可憐な少女に全てを奪われた。それが良いことか悪いことかわからなかったけれど。

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