船幽霊

やざき わかば

船幽霊

俺は漁師をやっている。

大漁のときは大漁だし、それ以外はそれなりに、贅沢を

しなければ不自由なく食っていける、普通の漁師だ。


以前、夜間の漁の最中に仲間の船とはぐれてしまったことがある。

この時代、ハイテク機器が豊富なのでとくに心配はしていなかったのだが、

仲間のもとへと帰る途中、一隻の船がこちらへとやってきた。


「ひしゃくを貸せ…」


その船の乗務員らは口々にそう言ってくる。初対面なのになんと無礼な

ヤツラだと癪に障ったが、怒るほどのことでもなかったので、二、三本貸してやった。すると連中は、そのひしゃくで俺の船へ海水を注ぎ込んできた。


そのうえ、数人しかいなかった乗務員が倍増し、しかも貸したひしゃくまでその数に

増えていたのだ。


俺はそこで、この連中があの有名な「船幽霊」だと気付いた。


排水も追い付かず、俺の船はあっけなく沈んでしまった。海に浮かんでいる俺を、

仲間の船が見つけてくれたのは単に運が良かっただけだろう。俺は命拾いした。


船と数本のひしゃくを奪われた俺は、怖さよりも悔しい気持ちが勝っていた。

幸い船はすぐ新調できた。俺は次の漁のときに、この悔しさを連中にぶつけることを誓った。


さて待ちかねた出漁の日。


漁師仲間の一人に理由を話し、夜の間、しばらく単独行動をすること、

そして何かあったら無線で呼ぶので、助けてほしいと頼んだ。


幸いそいつはそういう話が好きで、快諾してくれた。


果たして、船幽霊は再び現れた。こんな高頻度に姿を表すとは、暇なのだろうか。

「ひしゃくを貸せ…」お決まりのセリフを述べる連中に、俺は用意しておいた

底の抜けたひしゃくを数本、渡した。


連中は必死で海水を俺の船へと注ぐ。いや、注いでいるつもりだっただろう。

しかし底の抜けたひしゃく、いくらやっても水などすくえるはずもない。


「ざまぁないや、せいぜい壊れたひしゃくで海でもさらってな、アハハハ…」


俺は意気揚々と仲間のもとへ引き上げた。胸のすく思いだ。これで明日からまた、

気持よく仕事が出来るというものだ。


ところが次の仕事の日、また俺は同じ場所に迷い込んでしまった。

夜とはいえ灯りもついているのに、どういうことだと困っていると

またもや船幽霊が出てきた。


「ひしゃくを貸せ…」ワンパターンな連中だ。そう思い、また俺は

底の抜けたひしゃくを貸してやった。今日も船幽霊の慌てふためく

姿が拝めるとは、いい暇つぶしになる。そう思った。


しかし、連中はそのひしゃくを海に放り投げ、わざわざ用意してきただろう

大きめのバケツを各自一斉に手に持ち、海水をじゃんじゃん注ぎ出した。


またもや俺は仲間に助けられるはめになった。


生来の負けず嫌いの俺は、貯金を全てつぎ込み、各方面に融資もしてもらい

また新しい漁船を作った。今までおよそ5トンの船だったが、今回は160トン。

沖合漁に使うような、立派な船だ。もちろん排水設備もしっかりしている。


さすがにこんな大きな船では、仲間の船と共に漁は出来ないので、操船を手伝ってくれるスタッフを募集し、一隻で船幽霊のもとへと向かった。


案の定、夜になると船幽霊の連中が出てきた。が、さすがにこんな巨大な船で来るとは思わなかったのだろう。うろたえているのがひと目でわかる。


そのまま船首で連中を蹴散らし、俺たちは漁に戻っていった。


連中も引くに引けなくなったのだろう。それから数日経ち、また俺たちのもとへ

姿を表した。なんと、今までは非常にちっぽけな和船だった船幽霊の船が、

どう調達したものか巡視船180トン型になっていた。


「なんだ、そんなデカい船でどうやって水を俺の船に入れるんだ・・・」


俺がそう叫ぶやいなや、連中が放水砲を浴びせてきた。

俺たちは必死で抵抗した。排水設備をフル稼働し、おにぎりを海に投げ、

じっと睨みつけ、「俺は土左衛門だ」と叫び、火の付いたマッチを

連中に向かって投げる。まさに一進一退の攻防だった。


夜が明けかけたころ、船幽霊の放水が止まった。俺たちは耐え抜いた。

その場には、お互いの健闘を讃え合う心地良い雰囲気が溢れていた。


なんの恨みつらみもない、本物の友情がそこにはあった。


それからしばらくして、俺は漁師を辞め、民間の海上警備隊を立ち上げた。

船舶や海上火災の消火、要救助者の救助など、防災と救出、消防などがメインの会社だ。


なにしろ船幽霊たちは海を熟知している。悪天候もなんのそので、第一線の現場で

活躍してくれている。消火に関しては最早神業で、放水砲に合わせてひしゃく、バケツを駆使し、必ず短時間で鎮火させている。


俺たち人間も負けてはいられない。船幽霊たちと共に出動し、救助を行い、介抱する。人間には人間にしかやれないこともある。俺たちの会社は急成長を遂げている。


生き生きと海の安全のために働く船幽霊は、当初の薄気味悪さや

暗さは微塵も感じられない。彼らを見るたび、俺はいつも思う。


「まるで、水を得た魚のようだな」

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