【13】語られなかった真相


 それは勇者ナッシュ・ロウと共に、ティナ・オルステリアが旅立って間もなくの事だった。

 『賢者の塔』に数ある居住区の一室だった。

 その部屋で暮らすミランダ・フォールは、その空になったベッドを見下ろしながら忌々しげに舌を打った。

「……何で、あいつなのよ」

 彼女はルームメイトだったティナ・オルステリアが勇者ナッシュ・ロウに見初められた事が信じられなかった。

 ティナと言えば見た目も地味で冴えない上に、成績だって大して良い訳ではなかった。取り柄といえば、胸の大きさぐらいだったけれど、勇者が仲間の魔導師を胸の大きさで選ぶはずがないので、余計になぜ彼女なのかが謎だった。

 それに、ティナはもの凄く薄気味悪い子として『賢者の塔』の同学年たちの間では有名だった。

 もう子供じゃないのに、いつも薄汚い手作りの人形をとても大切にしていた。

 そして、ミランダは聞いてしまった。真夜中にティナがその人形に小声で話し掛けているのを。

 しかも・・・人形の声音を・・・・・・作って・・・自分独りで・・・・・お喋りしていた・・・・・・・

 いくら、友だちが一人もいないからって、良い歳にもなって人形相手に独りでおままごと・・・・・なんて……。

 ミランダは心底ぞっとした。

 しかも不思議だったのは、ティナは大切にしていたはずの人形を、まるでもう必要がなくなったとでも言うように、クローゼットの中に置き去りにしていった。

 人形は布製の手作りで、かろうじて男の子・・・と解る姿をしており、“ビリー・・・”という名前が刺繍してあった。

 何の魔力も感じない。呪いの人形という訳ではない。

 しかし、ミランダは、その人形を見つけたあと、まるでおぞましいものを触るかのように摘まんで、ゴミ箱へと捨てた。


 ◇ ◇ ◇


 更に時はさかのぼり、それはティナが『賢者の塔』の試験に向かうために村を経つ日の事だった。

 母親に見送られ、家を出た彼女は村の入り口にある乗り合い馬車の停留所へは向かわずに、西の森へと向かった。

 荷物を背中からおろして、先に柵の狭い穴を通り抜け、あとから荷物を引っ張る。

 そして、例のいちいの木へと向かった。

 あの櫟の根元では、たくさんの時間を過ごした。良く自分の妄想を人形のビリー・・・・・・に語って聞かせた。

 たまに何が自分の妄想で、何が現実なのか、良く解らなくなる事があった。でもティナは、あの日、ビリーが喋り出したのは現実であると頑なに信じていた。

 東方に伝わる伝承の通り、大切にしていたビリーに魂が宿ったのだ。

 ティナにとっては・・・・・・・・それが事実だった・・・・・・・・

 あの櫟はそんな奇跡に立ち会えた思い出深い場所であった。

 しかし、そんな感傷的な思い出に浸るために、ティナはその場所へと向かっている訳ではなかった。

 櫟の根元に辿り着いた彼女は裏側に回り、幹のウロを覗き込んだ。その奥の壁に記された奇妙な印。菱形ひしがたを組み合わせたかのようなそれは、ゴブリンの集団が使うサインだった。

 もうすぐで、この村にゴブリンの大軍がやって来る。その斥候せっこうが残した何らかの目印である。

 ティナは、この印の事は三日前から知っていたが、誰にも言うつもりはなかった。

 彼女は自信がなかったからだ。

 『賢者の塔』の入学試験に受かる事ができればそれでいいが、もし不合格になってしまったら、この村に帰って来なければならない……。

 そうなったら、あの恐ろしい母親に殺されてしまう。

 そうならない・・・・・・ためには・・・・帰る・・村がなくなって・・・・・・・しまえばいい・・・・・・

 ティナは印が誰にも見つかっていない事を確認したあと、その場を離れると村の出口へと向かった。


 ◇ ◇ ◇


 ナギサ・オルステリアが実の娘に語った事は、ほとんど事実であったが、語っていない事も多かった。

 彼女は『賢者の塔』出身の魔導師で宮廷務めをしていた。そこで知り合った貴族と不義の恋仲となり、身持ちを崩した。そして、その貴族にも裏切られ、彼の子供を身籠ったまま追い出される。

 それから、その貴族の領内と隣接する故郷の町で、両替商だった従弟の元に身を寄せる事になり、そこで娘を産み落とした。

 その従兄の名前をビリー・・・といった。

 まもなくビリーにプロポーズをされて、ナギサはこれを受け入れた。彼はどうやら、容姿端麗で頭の良いナギサに、子供の頃からずっと憧れていたらしい。

 当初は彼の財産と生活の安定が目当てだったナギサだが、すぐに彼の優しさに気がつき、その絆を深めていった。

 これでようやく、ナギサにも幸せが訪れたと思いきや、またもや運命は彼女をもてあそぶ。

 それは娘が物心つく前の事だった。

 その町に、魔王の手下である魔物の軍団が侵攻してきた。

 ナギサは優れた魔導師ではあったが、多勢に無勢。更にくだんの貴族は自領の守りを固める事を優先し、町からの援軍要請には応じなかった。

 どうにか、ナギサは傭兵たちと共に、魔物の軍団を退ける事ができたが、町は壊滅的な被害を被り、ビリーが命を落としてしまう。

 この一件からナギサは荒れた。

 今住む村に流れつき、酒に溺れ、ビリーを失った悲しみにくれる日々を送る事となった。

 そうするうちに歳を重ね、不摂生から魔力を衰えさせ、いつしか自分を貶めた連中への復讐を娘に託すようになる。

 因みにビリーの事を娘に話さなかったのではなく、話せなかっただけだった。未だにナギサにとって彼の死はぬぐいされない大きな傷となって、その心に刻まれていたからだ。

 彼女はままならなかった理不尽な運命へのいきどおりを娘にぶつけているだけだったのだ。

 しかし、ある日を境に、積極的に勉強へ身を入れ始めた娘の姿を目の当たりにするうちに、彼女も少しずつ考え方を変えていった。

 娘は言われた事に必死で打ち込み、乾いた綿が染み込んだ水を蓄えるかのように知識を得て、魔法の才能を伸ばしていった。

 今の娘は必ず『賢者の塔』の入学試験に合格できる。ナギサは確信していた。

 それどころか全盛期の自分を超える魔導師になる事ができる。

 そんな才能を母である自分の復讐などに使って欲しくなかった。

 だから、ナギサは娘が合格したら、手紙を書こうと思っていた。

 これまでの事を謝罪し、ビリーの事や、復讐などしなくていいから自分のために人生を使って欲しいとしたためるつもりだった。

 そして、万が一にも試験に落ちて帰って来たとしても、ナギサは優しく娘を迎え入れるつもりだった。

「……あの子はアタシに似てプレッシャーに弱いから、そこだけは心配ね」

 彼女は娘が出ていった後のリビングで、酒の入った革袋を木杯の上で傾ける。

 これで酒もやめるつもりだった。

 最後の一杯を味わいながら、ナギサはここまでの日々を振り返る。

 彼女が身体を売っていたのは、『賢者の塔』の高額な受験費用と入学費を工面するためだった。

 冬場に客をとらなかったのは、娘を外に追い出す訳にはいかなかったからだ。かといって、家に置いて行為の最中の声を聞かれたくなかった。露骨に娘に対して嫌らしい目を向ける男もいた。そんな輩から娘を遠ざけたかったのだ。

 娘が村の他の子供たちに虐められてると知ったとき、口ではああは言ったが、しっかりと子供の親に抗議していた。

 村の男親は大抵ナギサと関係を持っていたので、それを妻にバラされたくなかったら、ちゃんと子供に言い聞かせろと脅しまで入れた。

 しかし、それと同じ時期に娘は、できるだけいじめっ子たちと出会わないように西の森に出入りするようになったので、その効果を実感する事はなかったようだ。もちろん、ナギサはそれを知らないのだが……。

 さておき、この村に来て以来、すべては娘を立派な魔導師にする事を目標に生きていた苦労が、もうすぐ報われると思い込んでいる彼女は、木杯に残った最後の一口を飲み干してほくそ笑む。

「……あの子は、こんな男に騙されて、酒に溺れるくだらない女になんかならない。きっと幸せになれる」

 そう言って、木杯の底をテーブルに付けた瞬間だった。

 騒がしい物音と、悲鳴が外から聞こえてきた。

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