【05】元カレ

 

「ホメロはウチより少し歳上で元冒険者だった。ずっと森の外で暮らしていたけど、魔王の勢力が台頭し始めた頃に、仲間たちと別れて森に帰ってきたみたい。そんな経歴もウチが彼に惹かれた理由の一つだった」

暴れ猪ワイルドボアか。傭兵団にいたときは、たまに食べたな」

 ガブリエラが懐かしげに言うと、ティナが顔をしかめる。

暴れ猪ワイルドボアの肉って、煮ても焼いても、いぶしても、独特の臭みがあって好きじゃないわ」

「それが、いいんじゃないか。ただ、昔の仲間でも暴れ猪ワイルドボアの肉を絶対に口にしようとしないやつがいたな。迷宮で遭難したときの事を思い出すから、とか言って……」

 ガブリエラが得意げな顔で語り始めると、ティナは鼻を鳴らして肩をすくめる。

「今はあんたの昔話なんて、どうでもいいわ。そんな事より、そのホメロっていうの、ナッシュと何もかも逆なんでしょ? そんな男、つまらなそう」 

 ミルフィナは苦笑混じりに頷いた。

「そうね。ホメロは真面目で、無口で、滅多な事でナッシュみたいな甘い言葉を口にしてくれなかったわ。女の子にも慣れてないみたいだったし」

「何でそんな男と付き合ってたのよ?」

 ティナが信じられないといった様子で笑う。ミルフィナは少し悲しげな遠い目をしながら口を開いた。

「……外の世界を知ってたから」

 一呼吸だけ間を置いて、更に言葉を紡ぐ。

「彼から、外の世界の話を聞くのは何にも変えがたい娯楽だった。話だけじゃなくて“過去見の玉”も見せてくれた」

 “過去見の玉”とは、握り拳より少し大きな水晶球である。魔法の力によって、球面に映し出された像と周囲の音を記録し再生する事ができる。像や音は何度でも上書き可能であるが、小さな鍋に湯を湧かす程度の時間しか記録できない。

「ホメロは高価な“過去見の玉”を幾つも持っていて、そこには彼の仲間や知らない町の風景が記録されていた。ウチはそれを見るのが大好きだった」

「つまり、彼自身よりモノ目当てだったって事か」

 ガブリエラのあけすけな物言いに、ミルフィナは困った様子で笑う。

「まあ、否定はできないわ。実際、周りにもそう思われていたんじゃないかな。彼と付き合って、過去見の玉を全て見終わった頃に、ウチは彼と別れる事になったから」

「ひっどーい」

 ティナが手を叩いて爆笑する。

「……でも、直接の原因は、そこじゃなかったわ」

「直接の原因……?」

 サマラが問い返すとミルフィナは鬱々とした表情で頷いた。

「……ウチが外の世界に連れて行ってって言ったのに、ホメロは断った。あの何もないウォーシャスの森でエルフとしての長い一生を費やす事を彼は選んだの。それで、彼とは価値観がぜんぜん違うんだって、そう思って。だから……」

「なるほどな。お前をあっさりと森から連れ出したナッシュとは何もかもが真逆だな」

 と、ガブリエラは得心した様子で頷く。

「……で、その元カレの話は良いけど、鴉の方はどうなったのよ?」

「うん……」

 ミルフィナは、青ざめて見える表情をしながら話を再開した。




 ……その日はろくに獲物が取れなかった。

 退屈だったからユリルに何げなく、ホメロの事を尋ねてみた。今はどうしているのかって。でも、ユリルは彼の事を知らないみたいだった。

 ユリルとは数ヶ月前に知り合ったばかりで、ウチが彼と付き合っていた事を知らないのは当然だと思った。

 でも、ホメロは元冒険者で、狩りの腕前も良かったからけっこう有名だった。だから同じ集落のユリルが彼の事を知らないと言ったのは少しだけ不思議に感じた。

 その事を聞くと、彼女はここ数年『楓眸』から離れた場所にある集落の精霊使いシャーマンの元で学んでいて、最近帰ってきたばかりなのだという。

 それで、彼女の人懐っこさが長く別な集落で暮らしていたお陰なんだって、何となく理解した。『楓眸』の人たちって、本当によそよそしいから。 

 兎に角、それで、日が暮れる前にユリルとは狩り場で別れて『二つ葉陰』に帰った。

 集落の入り口の広場で、森の中を回ってる行商人が市をやっていて、そこでインディーさんの奥さんと会ったわ。双子の兄妹もいた。

 それで、イ、インディーさんの、お、奥さんと……その、あの……その……えっと……ごめんなさい……えっと、その……なんだっけ?

 そうそう。それから家に帰ったの。

 ご飯を食べて、その日も特に何事もなく眠りについた。鴉の事は頭にあったけど、もう終わったと思って、あまり気にならなかった。

 でも、次の日の朝だった。

 だんっ。

 ていう、大きな音がして、ウチは目を覚ました。

 ベッドの上で上半身を起こすと、また、だんっ、ていう大きな音がした。

 その音が聞こえてきたのは、あの例の窓だった。

 また、だんっ、て音がして、その瞬間、窓の扉板が震えたような気がした。そして、あの酒を飲んだゴブリンの馬鹿騒ぎのような……ぎゃあ、ぎゃあ、という音が、無数の羽ばたきと共にたくさん聞こえてきた。 

 再び、だんっ、て音がした。

 あの鴉だ。

 あの赤い眼をした鴉が窓の扉に外からぶつかっているんだ。それに気がついたとき、ウチは心底怖くなって、頭を抱えた。

 鴉なんて、窓の扉を開けて追い払えばいいと思うかもしれないけれど、できなかった。できる訳がなかった……。

 鳴き声、羽ばたき、だんっ、と窓の扉を叩く音。

 耳から入ってきたそれらが頭の中でぐるぐるぐるぐるぐると回り初めて、ウチは絶叫した。

 すると、パパとママが慌ててウチの部屋にやって来た。

 ママは不安そうに扉口からウチの事を覗き込み、パパはウチの肩を揺すって何か言ってたけど、何も聞こえなかった。

 ウチは「窓に……窓に……」って叫びながら、例の窓を指差した。その間にも鳴き声と羽ばたき、そして窓の扉を叩く音が鳴り続けていた。

 パパが慌てた様子で窓を開けた。その瞬間だった。さっきまであんなに五月蝿かったのに、周囲が静まり返った。

 ウチは恐る恐る窓辺に向かった。

 窓の外には何もなかった。

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