第6話

「本当にやってねぇんだろうな」

「だから、やってないって昨夜もメッセージ送っただろ」

「下半身においておまえはまったく信用できない」

「失礼な奴だな。三春くんに関して俺は賢者タイムにならなくても賢者になれる男だよ」


 帰宅してから慎兄さんと二海兄さんがずっと言い争っている。きっと僕が慎兄さんの部屋に泊まったからだ。


(ちゃんとメッセージも送ったし、どうしてそんなに怒るんだろう)


 昨日、僕は慎兄さんと恋人になった。部屋に行って話をして、初めてのキスをした。そのまま夕飯を食べて部屋に泊まったんだけど、ちゃんとメッセージは送ったし壱夜兄さんからも「迷惑をかけないようにね」という許可だってもらっている。

 二海兄さんからも「駄目だ」なんて返事は来なかった。それに「慎兄さんと恋人になりました」と報告もしたんだ。それに対する反応は何もなかったけど、二人に心配かけないようにいつだってちゃんと報告も連絡もしている。


(もしかしてメッセージで恋人ができたって伝えたのが悪かったのかなぁ)


 でも、面と向かって言うのは照れくさかったんだ。それに僕が慎兄さんをずっと好きだってことは二人とも薄々気づいていただろうし、それでも見守ってくれていたからてっきり喜んでくれると思ったのに違ったんだろうか。


(恋人になったって送った後も泊まりは駄目だなんて言わなかったのに)


 それなのに、お昼過ぎに帰宅したら二海兄さんが怖い顔をして待ち構えていた。そうして車で送ってくれた慎兄さんを「おい」と低い声で呼び止めて、それから「やったのか」「やってない」という言い合いをずっとくり返している。


(そういえば前にもこんなふうに言い合ってるの、見たことあったっけ)


 随分前だけど、一度だけ言い争っている二人を見たことがある。あのときは「まだ小学生だぞ」と二海兄さんが怒っていて、それに慎兄さんが「手を出すわけないだろ」と言い返していた。それから少しして慎兄さんは赤色が混じった髪になり、そのまま都会に行ってしまった。

 そんなことを思い出していたら、急に二海兄さんが僕を睨みつけるように振り返った。


「三春、ケツは痛くないんだな?」

「え? お尻? 別に痛くなんてないけど……」


 そう答えたら、大きなため息をついた二海兄さんがまた慎兄さんを見る。


「ったく、兄貴といい三春といい、ろくでもない男に好かれやがって」

「俺と靜佳を一緒にしないでほしいな」

「一緒だろ」

「靜佳はけだものだよ? 我慢できなくなって高校に入ってすぐ壱夜さんを襲うような奴と一緒にされたくないね」

「キスだけだけどな」

「俺は昨日までキスすら我慢してたんだ。俺のほうがずっと紳士じゃないか」

「どの口が言いやがる。ランドセル背負った子どもに欲情した時点でアウトだ」

「欲情じゃない、好きになっただけだ。誰に恋をするかは俺の自由だろ?」

「あー、わかったわかった! 好きになるのに年齢なんて関係ないって話だろ。はいはい、これまで手を出さなかったことだけは褒めてやる」

「おまえに褒められるなんて気持ち悪い」

「なんだとコラ」


 いつもよりずっと低い二海兄さんの声にビクッとしたのは僕だけで、慎兄さんはずっと微笑んだままだ。


(これってケンカ……なんだよね?)


 言い争っているものの、段々ケンカには見えなくなってきた。もちろん二人は親友だからケンカすることもあるんだろうけど、できればケンカなんてしてほしくない。大好きな慎兄さんと二海兄さんがケンカしているのを見ると悲しくなってくる。「どうか早く仲直りしますように」と願いながら様子を窺っていると、二海兄さんが「三春、本当にこいつでいいのか?」と言いながら振り返った。


「え? なにが?」

「彼氏だよ。本当にこいつが彼氏でいいのかって聞いてんだ」


 二海兄さんの言葉に顔がカァァと赤くなる。


「かか、か、彼氏……」

「彼氏じゃないのか?」

「か、彼氏だよ!」


 口にするのはまだ恥ずかしいけど、慎兄さんと僕は恋人同士だから彼氏で間違いない。


「僕はずっと慎兄さんが好きだったし、慎兄さんも、その、僕のこと好きだって言ってくれたんだ。だから、か、彼氏だし」

「……はぁぁ。こんな三春を慎太郎にって考えるだけで頭が痛くなる」

「三春くんをこんなふうに育てたのは二海たちだろ? 大事にしすぎて箱の中に入れ続けた結果だ。まぁ、おかげで俺は三春くんのいろいろな初めてをもらうことができるわけだけど」

「そういうとこだよ!」


 二海兄さんが慎兄さんの後頭部をベシッと叩いた。叩かれた慎兄さんはと言えば、なぜか「そういう意味では感謝してる」と言いながら笑っている。それをギロッと睨みつけた二海兄さんも、最後は呆れたように少しだけ笑った。


「ま、三春が幸せなら俺はそれでいいけどな。三春、親父にもちゃんと話しておけよ」

「うん、わかってる」


 普通の家なら、男の僕に男の恋人ができたなんて話したら親はきっと驚くだろう。でも、父さんなら大丈夫だと確信していた。

 十年くらい前、壱夜兄さんと靜佳が付き合い始めたときも一番に祝福したのが父さんだった。父さんは男同士でも気にならないみたいだし、僕たちは家族全員で壱夜兄さんたちのことを応援してきた。


(それにすごくお似合いなんだ)


 たまにケンカはするみたいだけど、それも含めて二人は素敵なカップルだと思う。そんな二人を見守ってきた父さんなら、僕たちのことも応援してくれるはず。


「親父はボロ泣きするだろうから写真とか送ってやるとして、兄貴の絶対零度はいつ溶けるかなぁ」

「絶対零度?」

「いままさにそうだろ。カッチカチの氷状態だから部屋から出て来ないんだよ。兄貴、三春のこと自分の息子くらい大事に思ってるからなぁ。そうそう、親父も『三春まで嫁に行くなんて』って絶対に泣くぞ」

「そ、それはどうかな」


 僕は男だし嫁に行くわけじゃない。だからそんなことはないと思っているけど、壱夜兄さんが靜佳と付き合い始めたとき父さんはたしかに泣いていた。突然帰国して、毎日「壱夜がお嫁さんかぁ、寂しくなるなぁ」と目に涙を浮かべていたのを思い出す。


「親父、兄貴のときも『嫁に行くのはまだ早い』とか何とか言ってたしな」

「だから僕はお嫁に行くわけじゃないってば」


 そう答えながらも、つい“お嫁に行く自分”を想像してしまった。……思ったよりも悪くない気がする。


(って、なに考えてるんだよっ)


 慌ててブンブンと頭を振ると、慎兄さんに「かわいい」と頭を撫でられた。その手をペシッと叩いた二海兄さんが「かわいいのは当然だ」なんて文句を言い始める。よくわからないけど、二人はやっぱり仲がいい親友なんだなと思った。


 こうして僕は初恋の相手であり、小さいときからずっと好きだった慎兄さんと恋人になった。しばらくは夢なんじゃないかと思ったりもしたけど、何度も部屋に行ったりデートしたりしているうちにようやく実感できるようになってきたところだ。


(でも、本当に僕でいいのかな)


 慎兄さんは毎日「好きだよ」と言ってくれるけど、僕の中にはやっぱり不安が少しだけ燻っている。だって、かっこいい慎兄さんの隣にいるのが僕なんかでいいのかどうしても気になるんだ。

 最初の頃は、デートのたびに周りの目が気になった。慎兄さんの隣に田舎者の僕がいたら笑われるんじゃないかと何度も思った。僕のせいで慎兄さんまで変な目で見られたらどうしようと落ち着かなかった。


(あからさまにそういう目で見られることはなかったけど)


 今日も二人並んでショッピングモールを歩いたけど、ヒソヒソ話をされたり指をさされたりすることはなかった。たまに女の子たちが「きゃあ!」なんて黄色い声を上げたりするけど、慎兄さんのかっこよさに思わず声が出てしまうんだろう。


(僕だって毎日心の中で悲鳴を上げてるくらいだし)


 そんな慎兄さんはデートのときますますかっこよくて、僕は毎回心臓が耐えられるか心配になってしまう。


(僕もちょっとはマシになってるといいんだけど……)


 そんなことを思いながら自分の服を見た。今日着ている服は二海兄さんと優美ちゃんが選んでくれたもので、自分では絶対に選ばない明るい色をしている。

 優美ちゃんは、僕に彼氏ができたと聞いてから「めっちゃかわいくしてあげる!」なんて言って化粧水なんかを持ってきてくれた。これまで冬に小さい頃から使っているクリームを塗るくらいだった僕は、毎日優美ちゃんに言われるがままにあれこれ使うようになっている。


(ちょっとはいい感じになってきてると思うんだけど、どうかなぁ)


 肌はつるつるのすべすべになった。服も前よりずっといい感じになっていると思う。これなら慎兄さんの隣にいても変じゃないと思うけど……実際はどうなんだろう。

 そんなことをつらつら考えながらスマホの画面をじっと見る。


「三春くん、今日は泊まれそう?」

「うーん……やっぱり返事、来てません」


 メッセージは出かける前に送った。デート中も確認して、帰宅してからも何度も見ているけど返事は来ていない。

 恋人になったその日に外泊したからか、あの日以来僕は慎兄さんの部屋に泊まることができないでいた。理由は壱夜兄さんが許してくれないからだ。


(慎兄さんに迷惑をかけるって心配してるんだろうなぁ)


 少し前の僕だったら同じ心配をしていたと思う。でも、僕はもう以前の僕じゃない。僕だって少しずつ成長しているんだ。

 慎兄さんと恋人になって、僕はいろんなことにチャレンジするようになった。最初にやり始めたのは自分の部屋の掃除で、いまでは外で仕事をしている慎兄さんに代わって慎兄さんの部屋の掃除もやるようになった。ほかに仕分けして洗濯もできるようになったし、買い物もうまくできるようになったと思っている。


(いまじゃ壱夜兄さんとポイントの話までするしね)


 たまに知らない人に声をかけられることもあるけど、勧誘されてもちゃんと断ることだってできる。


(そもそもあれはまだ幼稚園生のときの話だったんだし)


 幼稚園生のとき、知らない人に声をかけられた僕はフラフラとついていってしまった。兄さんたちはそのことが忘れられないらしく、その後学校の友達と遊びに行くのでさえなかなか許してくれなくなった。

 でも、僕はもう二十二歳の大人だ。幼稚園生のときのままじゃない。腕を掴まれたとしても振りほどけばいいし、それが駄目なら声を上げればいい。何もできない子どもでもか弱い女の子でもないのに、兄さんたちはちょっと心配しすぎだと思う。


(危ないから家事もしなくていいって、よく考えたらとんでもない過保護だよな)


 それに甘えていた自分が恥ずかしい。いろいろ自分でやるようになって、ようやくそのことに気がついた。

 そんな僕だったけど、慎兄さんと恋人になってからは積極的に家事を手伝うようになった。そうしないと家事もできる慎兄さんの役に立てないと気づいたからだ。


(あとは料理なんだけど、これが思ってたより難しくて)


 自分でやってみて、初めて壱夜兄さんがどれだけすごいか身に染みてわかった。壱夜兄さんほどじゃないにしても慎兄さんも料理上手だし、いつか二人みたいにパパッと作れるようになれるといいなと思って少しずつ練習している。

 そんな僕を壱夜兄さんも二海兄さんも応援してくれた。最初は心配そうにしていた壱夜兄さんも、簡単に作れるフレンチトーストや生姜焼きを教えてくれるようになった。


(それなのに、慎兄さんの話をすると途端に何も言わなくなるんだよなぁ)


 いつもは優しい壱夜兄さんなのに、慎兄さんの話になると少しだけ機嫌が悪くなる。かといって僕と慎兄さんが付き合うことに反対しているわけじゃない。それどころか「よかったね」と言って喜んでくれたのに、なぜか泊まることだけは許してくれないのだ。


(そういえば、靜佳が「難しい年頃なんだよ」とか言ってたっけ)


 たしかに壱夜兄さんにはちょっと頑固なところがある。普段が優しすぎるくらい優しいから忘れがちだけど、今回は久しぶりに頑固な壱夜兄さんが出ている気がした。

 だからって、このまま慎兄さんの部屋に泊まれないのは嫌だ。だって、恋人ができたら部屋を行き来したり泊まったりするのが僕の夢だったんだ。それに兄さんたちは恋人の部屋に泊まるのに、僕だけ駄目だなんて納得できない。


「もう一回聞いてみます」


 慎兄さんが「がんばって」と言いながら頭をポンと撫でてキッチンに向かった。たったそれだけで顔がポッと熱くなる。


(もし泊まったら、こんなふうにずっと慎兄さんとイチャイチャできるんだよな)


 いつも想像しているけど、やっぱり想像だけじゃ満足できない。それにせっかくお揃いのパジャマを買って、僕専用の枕も用意したんだ。早く使いたいのに壱夜兄さんが許してくれないせいで使わず終いになっている。


(お揃いのパジャマかぁ……慎兄さん、かっこいいだろうなぁ)


 そんな慎兄さんと夜もずっと一緒にいられるなんて夢のようだ。それに、もしかしたら寝る前にキスしてくれるかもしれない。前に読んだ恋愛小説を思い出して顔がニマニマしてしまった。クッションを抱きしめながら、ウズウズするのを散らすように足をバタバタさせてしまう。


「どうかした?」

「な、なんでもないです」


 慌ててソファに座り直すと、慎兄さんがお揃いのマグカップを目の前に置いた。中身は僕が好きなココアで、慎兄さんのにはカフェオレが入っている。


(こういうの、恋人っぽくていいな)


 そう思うとまた顔がにんまりしてしまった。


「メッセージ、もう一回送ってみます」

「許してもらえるといいね」

「はい」


 ドキドキしている僕の耳に「待ち遠しいなぁ」という慎兄さんの声が聞こえてきた。「僕だって待ち遠しいです」と心の中で答えてからグループメッセージの画面を開く。

 僕は一文字ずつ念を込めながら“今夜、どうしても慎兄さんの部屋に泊まりたいです”とメッセージを打ち込んだ。そして「どうか許可が出ますように」と祈りながら送信ボタンを押す。


「どうかな……」

「そろそろいい頃合いだと思うんだけどね」


 そう言って微笑みながら隣に座った慎兄さんの腕に、ほんの少し自分の腕をくっつけながらこくりと頷いた。

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