木密の想い
ひよっと丸
プロローグ
「先程の方の荷物は?」
制服を着た公務員風の男性が合コンの席に声をかけてきた。いわゆる居酒屋の団体用個室だ。そこにはベータの男女が十数名いた。島野昌也も参加者の一人だ。同僚と二人で参加していた。
「これです」
島野はその声を聞いて慌てて近くにあったカバンを渡した。間違えても自分のカバンではないことをもう一度確認する。相手は人の良さそうな顔で受け取った。
「後日、この宴会代を支払ったクレジットに振り込まれますので、暫くお待ちください」
その言葉を聞いて、島野は背中が寒くなった。合コンに参加する前に冗談で話していたことが現実になったのだ。
バース性の中でも一番数の少ないオメガは、一部のアルファからは大切にされ、一部のアルファからは虐げられてきた。そして、発情期という特殊な性質をベータたちからは疎まれてきた。
本来なら生まれながらにしてもつバース性であるが、稀に後天性として発覚する場合があった。ある日突然街中で発情して発覚するオメガ性は厄介で、集団発情やレイプなどの危険性を避けるため、そのようなオメガを保護する政策がとられた。
しかし、通報した者に金一封が配られるため、飲み物などに発情剤を混ぜて強制的に後天性オメガを引き出す、通称オメガ狩りが流行りだしてしまったのだ。
飲み会の席が一番危険とされるけれど、ベータの出会いの場は限られる。合コンが一番狙われやすいのは、全員がほぼ初対面だからだろう。
「それと、処理させて頂きます」
その言葉を聞いて、島野は一瞬で現実に引き戻された。アレコレ考えていて、意識が少し遠くに行っていたようだ。
そう言って、タブレットのようなものを出してきて、制服は全員のスマホにかざしてきた。
「本日撮影された人物写真は、全て消去させて頂きました」
島野が緊張のあまり凝視をしていると、人の良さそうな笑みを浮かべて制服が、近付いてきた。
「彼のデータも消去されますからね」
その一言で、島野は全身から力が抜けた。
「そこの彼、えっ……と、島野さん?」
「はい?」
名前を呼ばれて島野はそちらに顔を向けた。もう、制服はいなくなっていた。
「大丈夫ですかぁ?お連れさんでしたよねぇ?」
若干間の間延びしたような声で言われて、島野は返事を戸惑った。この言葉の意図を考える。
相手の目は、好奇心に満ちていた。
「うん。同僚なんだ」
その一言に誰かが喉を鳴らした。
「わ、私オメガ狩り見たの初めでっ」
「そのっ、彼は普段から甘い匂いとかしてたんですかっ」
「同僚の目から見てもそんな感じしてました?」
「会社になんて報告するんですか?」
「あとのこと知りたいんで連絡先交換しません?」
周りを取り囲むようにしてきた女性陣から、矢継ぎ早に口を開かれて、島野は驚きすぎて言葉が出なかった。
島野は目線だけで周りの様子を伺った。女性陣は完全に好奇心むき出しの目で島野を見ている。この合コンに申し込んだのは島野だ。二名分の支払いも島野のカードで済ませてある。
だから、幹事である人物もたった今オメガ狩りにあい連れていかれた相手の連絡先を知らない。なんなら、名前さえも知らないだろう。学生時代の合コンと違い、自己紹介なんてしていない。気になる相手には自分からアプローチしていかなくてはならないからだ。なにせ、こんなことが起きる。守秘義務とか個人情報保護とか、そんなことがあるから、知りたければ自分から聞くしかない。
今はそのシステムがありがたいと思いつつ、その矛先が自分に向けられていることに恐怖する。なにせ、自分の口からは何も語れないのだから。
「えっと、無理」
ようやくそれだけを口にすると、島野は自分のカバンを手にした。胸ポケットに入れてあるスマホはずっと録画モードのままだ。
「お先に」
島野はそういうとあっという間に靴を履いて外に出た。足早に大通りへと向かうと、一度後ろを振り返る。明るい色合いのワンピースの女性が見えた。
(追いかけてきた?)
内心舌打ちしつつ、気が付かないふりをして空車のタクシーを拾った。乗り込んで告げるのはアパートの住所だ。カバンの中から別のスマホを取り出して、電話をかける。
「昌也です。……はい、先程……今からアパートに向かいます」
短い業務連絡をいれると、島野は大きなため息をついてシートに全身を預けた。
約9年ほど続いたミッションが今日終わるのだ。
お役所仕事よりも、民間企業の方が動きが早いのはもはや、周知の事実だろう。
アパートの前にはトラックが横付けされていて、荷物が運び出されようとしていた。
「冷蔵庫の中身だけは出していただけませんか?」
作業をしている人から突然言われ、島野は慌てて部屋の中へとはいる。ほぼそのままの状態で運び出すらしく、タンスには養生テープが貼られていた。
それを横目で見ながら、冷蔵庫まで進んでいき、カバンの中からビニル袋を取り出した。週末だから大したものは入っていない。飲み物と調味料に使いかけのウィンナー、少し残ったキャベツ。冷凍庫にはアイスが1つ。
「出しました」
島野がそう言うと、直ぐに作業員がきて養生テープが貼られた。振り返れば部屋の中はがらんとしていて、今朝まで普通に生活していた名残はどこにもなかった。
アイスが溶けるな。なんて思いつつ、パッケージを見つめていると不意に声がかけられた。
「食べれば?」
「えっ?」
驚いて顔をあげればそこにはよく知った顔が立っていた。
「匡様」
ようやくの思いでその名を口にすると、相手は思いがけないほどの笑顔を向けてきた。こんな古いアパートの電灯に照らし出されても、アルファとしての美しさは何一つ見劣りなどしていない。島野昌也が仕える一之瀬匡はアルファらしいアルファだった。
「食べればいいじゃないか」
一之瀬が島野に再度言う。島野が手にしているのはアイスだ。夜は冷え込むとは言えど、春先であれば気温はそれなりに高い。
「あの、でも、これ」
島野は困ってしまった。黙って食べるのは後々が面倒なので、正直に話すことにした。
「これ食べかけなんです。2個入りの、一つづつ食べるんです。菊地くん」
そう言って半分空いている蓋を見せた。半分剥がされた蓋の下には何も入っていない。
「その、アイスを食べる棒は一本しか入っていないから……」
「分かった」
島野の説明を聞いて、一之瀬は理解した。だから直ぐに島野の手からアイス奪うと、残り半分の蓋を開けて中に一本だけ入っていた棒を取りだし残りのアイスに突き刺した。
そうしてアイスを一口で口に入れてしまった。
「えっ」
確かに一口で入らないことは無いが、だいぶ無茶な食べ方だ。
「溶けていた」
「あ、そうですよね」
冷蔵庫は一番最初にコンセントが抜かれただろう。それから島野が着いて中身を取り出して、部屋の中でアイス片手に立ち尽くしていたわけだ。まぁ、溶けていただろう。棒を突き刺してわかったからこその一口だったようだ。
「照明はかまわないか?」
「いいと思います。あちらに破棄してもらえば」
オメガ狩りにあって施設に運び込まれた人物は、特定されないように処理される。昨日までベータとして生きてきたのに、急にオメガになりました。と言うのは酷なものだ。いくらオメガ保護法が制定されていようと、施設があろうと、昨日までの人間関係は保証なんてされないのだ。
特に、オメガ就労規定が施行されていないような会社に勤めてたならば、クビにされる可能性の方が高い。アパートの賃貸契約だって、オメガの場合は契約内容が違ってくるから、契約違反と言われて契約を切られるのは目に見えている。
だから、こうして本人の知らぬ間にアパートは引き払われ、荷物は処分される。施設に保護されたから、そこでの生活用品は全て揃っているのだ。本人名義の口座はいったん凍結される。それでも施設にいる間は困ることは無い。衣食住の全てが保証されるからだ。再就職先も斡旋してもらえるのだから、至れり尽くせりと言っていいだろう。
もちろん、施設に併設されたコテージに行けば、アルファとの出会いもある。コテージを利用できるアルファは、身分証明書を掲示して審査の通った者だけだから、街中で出会うより安心安全だ。
「ご苦労だったな」
ビニル袋を持ったままの島野の肩を一之瀬が軽く叩いた。
「はい、あの」
「それは、昌也が食べるのか?」
「え、あ、そうですね。ウィンナーは明日の朝飯にして、酒は帰ったら飲みます」
「悪いな」
「いえ」
一之瀬は待たせていたらしい車で帰って行った。ここから運び出した荷物の確認でもするのだろう。本来なら全て破棄されるのに、行政より先に動いて全て運び出すとはさすがと言っていいのだろう。
一人残され、島野はアパートの部屋を見渡した。築年数があるから2DKとは言えど家賃は安めだった。それでも、就職してこのアパートを菊地が借りた時は島野も引越し祝いに来たものだ。その後も、時々泊まりに来ていた。だから、島野にとっても思い出のアパートだ。
そして今日、この部屋の主である菊地和真は、オメガになった。もうこの部屋に帰ってくることは無い。
島野はゆっくりと部屋を見渡して、そうして部屋の照明をきった。カーテンが無くなった部屋には、道路の街灯の明かりが入ってきて、何やら物悲しい。床にうつる影は窓枠だ。
島野は靴を履き、もう一度部屋の方へと体を向けた。
「お世話になりました」
もうここに来ることの無い、菊地和真の代わりに深深と頭を下げた。
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