4-5:超娘の歴史
超娘の歴史を遡れば、確かな記録として残されているのは西暦に入ってからの記録のみとなっている。
不確かな物を含めれば紀元前以前からの記録らしき絵図等が残されているが確実な物とは言えないレベルである。
何故かと問われれば、幾度も繰り返し記されていた【禁忌】と言う言葉が思い当たるだろう。
前後の文章と合わせて考えれば恐らくこの【禁忌】が超娘を指す言葉だと思われている。
この【禁忌】以外の言葉として現れる最初の超娘を表す言葉が【忌み子】という単語だ。
【忌み子】と言う単語が記された記録から考えれば、超娘が持つ本能からの行動故にそう呼ばれるようになったのだろう。
超娘は競い合う事、暴力への忌避という絶対的な本能を2つ持ち生まれてくるのは誰しも知っている事だと思い続きを記そう。
この暴力への忌避故に超娘は戦争ないし暴力行為を強制される、強制でなくても行ってしまう事により強いストレスを覚え、繰り返してしまえば精神が崩壊しその類まれない力を元に暴れまわる危険性を持ち合わせている。
過去、記録が残されている時代において競い合うと言う言葉は存在していない。
争い奪い奪われ失い手に入れる、無い物はある所から奪うのが当たり前の時代だったのだ。
論理等と言う言葉も存在しない時代だ、戦えない者が悪い、弱い者が悪い、奪われる者が悪い、勝てない者が悪い、そんな時代に競い合う事等はなく、暴力を否定すると言う事は絶対的な悪とされる事だった。
その上、相手を想ってか、はたまた当たり前故にか強制してでも戦わせれば壊れ暴れ自他に関わらず被害を齎す存在を【忌み子】と呼ぶ様になったのだろうと考えられている。
この事からそのさらに過去から浮かび上がった【禁忌】についても同じ類だと思われている。
これに加え容姿の問題もあっただろう、超娘は人と変わらぬ見た目の者もいれば、明らかに人と違う部位を持つ超娘も多々存在しているからだ。
1番解りやすい違う部位と言えば角があ当たるだろう。
日本でいえば過去、超娘は鬼と呼ばれ災害の対象となる存在だった事は歴史を学んだ者であれば誰しも知っている事だと思われる。
他に人の耳の変わりに兎の耳や尻尾、狐の耳や尻尾と言った動物の持つ耳や尻尾を持っている事も多い。
だが絶対人型であり、一部の部位以外の大きな外見的な差異はないのだ。
化け物と呼ばれ恐れられ忌避されながらも存在は人その物、食べる物も行動も心も感情も術からず何も変わらない。
だが人と言うのは自分と違う者は恐れ、自分より優れた者も恐れ嫉妬し、明らかなはっきりと解る違いがあればそれを手に攻撃し排除する。
それ故の【禁忌】や【忌み子】だったのだろう。
人の歴史は争いの歴史である。
争い戦い勝ち負け手に入れ失い、それ故にそれを覆す、または守る為に技術が発展していった、と言うのは悲観すぎる言葉だろうか。
ただ、どうしても急激に発達した背景の裏には争いがあったのは事実であろう。
その争いに関われない、関わってしまえば問題になり、関わらせた方にこそ大きな被害を齎す存在は非常に忌避されていたと予想される。
現に数百年前でさえ、超娘は役立たずの木偶の棒、女としては驚異であり自身より強い力を持ちながら戦えない、そしてその力の強さ故に側にいればその力によって超娘さえも望まぬ害を与えてしまう事がある。
故に女としても側に置けず、戦力としてもそばに置けず、かと言って対処しようとすれば何もせずに対処される訳もない。
対処に失敗すればそれこそ大きな被害を齎す災害時見た存在、それが超娘という存在だったのだ。
それが変わったのは500年前、西暦1530年。
1人の超娘が自身達は何も出来ないか弱い存在ではなく、危険な存在でもないのだと立ち上がった。
争いながらも人の中に論理や理論、優れた知恵等が大きく発達して言った時代だ。
その超娘は非常に賢く知恵を持つ娘であった。
理論的に自身達の事を調べ晒し何故そうなり何故こうなるのか、そう言う事を根気よく必死にその生涯を掛けて世界に知らしめた。
容易な道では無かった、解ってる限りでも100をくだらない程の命の危機が合った記録が残されている。
それでも彼女は生き延び、後に続く超娘達の為に言葉を発し続けたのだ。
西暦1593年、彼女は息を引き取った、だが彼女の灯した光は無くなりはしなかった。
3人、10人、100人、彼女に続いて超娘達は立ち上がり自分達で出来る戦いを始めたのだ。
超娘、彼女達に出来る戦とは何か、それは競い合う事だ。
私達はこんな事が出来るのだ、暴力は振るえない、だけど競い合い夢を希望を未来を見せる事は出来るのだ。
さぁ見ろ、私達を見ろ、これを見て貴方達は何も感じられないのか、熱くなる物はその心に存在しないのか、そう語り掛け続けた。
時にレースを、時に球技を、時に遊戯を、己の全力を掛けてぶつかり競い合う、それは戦争ではない彼女達による精一杯の戦いだった。
最初の始まりは忌避された存在、家畜に劣る奴隷、それ故に行われた自身の馬を自慢するべく開催された競走が始めだったと言われている。
それを行ったのが最初に立ち上がった超娘だ、彼女はその時の経験を心に希望を見出し未来を進みだしたと語っている。
馬とレースで競い合う、本能が叫び身体が弾け、彼女は馬に勝って見せたと言う。
残念ながらその記録は残されておらず、彼女の証言のみ故に確証がある記録とは言えない。
だが嘘だと断言できる物でもないだろう。
この時に彼女は自分を見ていた周りの人が興奮し熱くなっている姿を見て私達は私達の戦いで人を変えられるかもしれないと考え始めたらしい。
そして彼女が亡くなる西暦1593年までに数多くの彼女の意思を継ぐ超娘達が生まれ育っていったのだ。
最初は馬をと考えていた競走競技を、馬よりも言葉が通じ意思疎通が出来る上に解りやすい自分達がと名乗りを上げ超娘競走、競超と呼ばれる物が生まれた。
正確な記録自体は残されていないが、西暦1535年あたりから日記や伝記としてその類の話しが幾つも見つかっている。
それ以前に競馬と呼ばれる馬による競走競技があったらしいが、超娘達がその代わりを務める事により次第に競馬と呼ばれる競技はなくなり超娘達による競超が主となっていった。
正確な記録として残っている最初の超娘競走は西暦1540年のイギリスで最初に造られたと言う競超場による記録だ。
近代競超と呼ばれる超娘の競走競技の正式なルールが決められ行われるようになったのは西暦1600年に入ってから、イギリス方面から広がり、フランスやドイツ等のヨーロッパへと広がっていき、アメリカやアジアにアフリカ等まで拡大していった。
日本に伝わってきたのは西暦1800年に入ってから、それ以前にも近代競超と呼ばれる以前の超娘達によるルールなどが曖昧なレースや球技等は比較的行われていたらしい。
そして超娘達は自身の立場を手に入れた。
それと同時に超娘達の勝利等に応じて不思議と豊かになる事が幾度と有り、原因等は未だに判明していないが、現在では確実に超娘達によって世界の豊かさが大きく変わる事が認められている。
加え、争いによって国の地下資源含むあらゆる資源が減少し枯渇していく事も判明した。
これが判明したのは比較的早く、西暦1560年頃には神の祟りだと恐れられ戦争行為の忌避が根付き、1700年に入る頃には世界各国で戦争行為の禁止が決定された。
超娘達による資源の増加、実りの豊作等の減少は実の所、記録としてははっきり残されてはいないが西暦1550年頃のイギリスで判明していたのではと言われている。
戦争回避、イギリスに限り他の国より早い段階で戦争行為を回避し始め、同時に超娘の保護や回収を始めていた記録が残されているからだ。
西暦1650年頃に過去の記録と照らし合わせて可能性がと浮かび上がり、1700年の戦争禁止法案決定時に間違いなく事実としてそうなっている事が世界に発表された。
これは最後の大規模な戦争となった西暦1680年から20年の間合続いた、世界宗教超娘聖戦戦争が切っ掛けとなる。
西暦1680年、当時の教皇が超娘が神の娘であるという世間風評に大きく否と声を上げ、その排除を宣言し世界各国の信徒と共に戦争を起こしたのが始まりとなる。
忌避され異端で魔女、当時の教皇は超娘に対しそう宣言し、それを匿い保護する国と人間は同様の存在であり、そんな存在が神の娘等と我らが神を侮辱する様な真似は断じて許せぬ、神に対しての敵対行為に他ならない、これは聖戦なのだとその戦乱を世界に広げてしまう。
ヨーロッパから広がり、アフリカ、アジア、オセアニア、北アメリカ、南アメリカと当時国としてその宗教を封じ禁じていた日本等の一部国家やその布教が行われていなかった国家以外の全てを巻き込む世界で1番規模が広がり被害が大きくなった戦争になる。
正確な数の被害は不明とされているが、少なくとも1億近い数の被害が出たのは間違いないとされている。
当時の人口は5億から6億程度だったとされ、実に世界人口の10%近くの人が亡くなったと言われている。
この戦争が終わりを迎えたのは、西暦1669年、教皇が存在する国が大災害に見舞われ、文字通り消滅した事が切っ掛けとなる。
当時かなりの大きさを誇った国が一夜にて完全に崩壊、消滅し、生き残ったのが100名にも満たない程度だったと言われればどれほどの物だったのかが解るだろう。
始めに大地震が起こったと言う、地が裂け建物を人を呑み込み、呑み込まれない物であっても崩れ壊れ、山は崩壊し崩れ、湖が枯れた。
次に自身が収まると同時に8月という真夏下でありながら大雪が降り注いだ。
1時間もしない内に数mの高さ、当時の家の高さ以上にまで降り積もり、直ぐに逃げ出せなかった者は術からず家の中で息絶える事となる程の大雪だ。
その大雪は次第に雨へと、そして雨から雹へと変わり、嵐が起こる。
嵐が空けたのが1日後の深夜、そして嵐が過ぎ去ったその地には枯れ荒れた深い地割れが幾つも残る荒野のみが残された。
そこにあった筈に建物も、人も、動物さえも術からず消え去っていたのだ。
そこが1番被害が大きかっただけであり、それ以外の世界各地でも同じく災害が起こっている。
戦争行為による被害が少ない国等は大き目の台風に襲われる形となり、それでさえもかなり大きな被害があった。
被害が大きい国等になればそれこそ大地震から始まり資源、水から始まり植物、動物、鉱石類の枯渇、嵐と台風、それによる大火事までも引き起こし立ちいかなくなった国も少なくない。
戦争事態での被害が3000万に届くか届かないかであり、そしてこの災害による被害が7000万を超える被害を叩きだした。
行方不明等の死者以外の被害も合わせれば倍以上、下手すれば3倍近い被害すら出ていたのではないかと言われている。
その中で大きな働きを、動きを見せたのが超娘達だった。
その類まれない身体能力を持って崩れた建物から人を救い、物を運び、大地を耕し畑を戻し、水を無事だった湖などから持ってきた。
勿論超娘達だけではないが、その中でやはり1番大きな活躍を見せたのが超娘達だったと言う事だ。
それに加え、こんな時だからこそと、SCAは自身達も大きな被害を、と言うよりもSCAこそ他の何よりも大きな被害を受けたと言うのに、所属する超娘達は落ち込み絶望している人々を元気づける為に歌を踊りを、必死に動き働く姿を魅せ、そして声を上げ、励まし、立って歩き続けた。
それは次第に広がりそれを助ける人も増え、半年、1700年に入って少しした頃に大きな国々は最低限の落ち着きを取り戻し、同時に超娘の働きが大きかった国々程、その復活が早かったことも合わせ知られた事もあり、世界において超娘は改めて豊穣を齎す良き存在であるのだと認められた。
同時に国々のトップ層等は、元より情報がある程度出揃っていた事も合わせ、その時の出来事と、出来事が起きた後の復旧具合の違いを見て戦争行為は世界が嫌い、超娘が好まれていると言う事を認めざる負えなくなり、世界に戦争行為禁止法案が数ヶ月で認められ発表されたと言う流れになる。
ただ、どうしてそうなるのか、その原因に限ってのみ判明しておらず、これこそ神の定めた世界の理なのだと、生き残り、超娘やそれを保護し匿う国や人を助けていた宗教家達も大声で語っている。
それが事実なのか否か、研究者達は今もなおその事実究明に向けてその腕を振るい続けている。
非常に解りやすい豊穣の奇跡に極寒の氷の大地に暖かな日差しが現れ氷を溶かし緑の大地が現れた事であったり、砂漠の地に雨が降り注ぎ緑が実り農地が作られ尽きぬ泉が現れる等といた事が実際に起こっている。
枯れたはずの鉱山から金や銀、プラチナ等までが採掘されるような事もあれば、汚染され切った川が清浄された等と言う事まで多々起こった。
これらも超娘の活躍に陰が覆うと再び氷に閉ざされかける、雨が降らず泉の水が減る、鉱山からの採掘量が下がる、再び汚染された状態に戻り始める等と言う事が起きたりもした。
それ故に世界各国では超娘の保護と活躍する為の場を用意し、その活躍に大いに期待し盛り上げ超娘に対する扱いを良くするようになっている。
日本に洋式の競超が流れ、正式にルールとして決められ開始されたのが西暦1875年だ。
日本超娘競走協会が誕生し翌年西暦1876年に東京にて日本初の競超場が誕生してレースが行われた。
西暦1885年まで日本超娘競争協会だったのだが、外の世界に合わせ日本超娘競技協会、JSCA(Japan Super Girl Competition Association)へと名前を変え制度も変わる。
西暦1888年に日本で初の超娘達の為の学校、日本東部東京超娘学園が開設される。
2年後の西暦1890年に日本西部大阪超娘学園が開設、翌る年の西暦1891年に日本北部札幌超娘学園、日本南部沖縄超娘学園が開設された。
この4つの学園が日本における超娘達の為の4大超娘学園と呼ばれている。
超娘達は必ずこの4つのいずれかの学園に通わねばならない。
中高大がエスカレーター式で上がれる学園となっており、入学は12歳、卒業は18歳となっている。
大学のみ進学するか否かの選択が可能となっており、大学に進まず一般の道へと進む超娘も数多い。
数多の改革を超え、この4大学園は今なお栄え大きく有名になっている。
現在西暦2030年時において、東京は4000人、大阪が3800人、札幌が3500人、沖縄が2000人という所属人数となっている。
超娘の日本の総人数は約180万人(日本総人口の1%程度)であり、世界の総人数は約9000万人(世界総人口の1%程度)となっている。
日本だけでいえば毎年2000人前後の超娘が生まれており、この数字から解る通り超娘は非常に珍しいと言うレベルではないまでも、その人数は少ない。
フーリッシュ・ルーザー:最初に立ち上がった超娘、元は奴隷、愚かな敗北者と名付けられ馬を自慢する目的だけに付けられた名前。
「私達は夢を見せ、希望を胸に、未来を手に入れられる。だから諦めるな、立ち上がれ、そしてその手に掴むんだ。希望の未来を夢にその手を伸ばし挑み続けろ」
ヴィクトリア:フーリッシュ・ルーザーに続いて立ち上がり、その志と想いを受け継ぎ未来へ続けた3人の超娘の1人、勝利者であってほしいとフール・ルーザーに名付けられた超娘。
パイオニーア:開拓者であれとフーリッシュ・ルーザーに名付けられた続く3人の超娘の1人。
ライーザ:昇りつめ、盛り上げ、高める存在であって欲しいとフーリッシュ・ルーザーに名付けられた続く3人の超娘の1人。
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