第130話 ただいま神託が乱れております

「……シア……」


 声が聞こえます。


「……リ……ア」


 ですが、途切れ途切れで、かろうじて聞き取れるかどうか。

 まるでかなり遠くから話しているような、あるいは小声でひそかに話しているような……

 ともかく、こちらに伝わりにくいこと、このうえない声です。


「……ますか? アリシア」


 周囲に誰もいません。

 女性の声……まあ、当然女性の声ですよね。男性の声なんて、滅多に聞けないですから。


「まあ、私は毎日聞けますけどね! アキト様のお声を!」


 胸を張って自慢できることです。

 そんな私の様子に、声の主がやや気圧されたように感じました。


「神様の気配……ということは、女神様ですか?」


「……女神です……リシア……彼女を止めてください」


 やっぱり、女神様でした。

 久しぶりの神託ですね。あれ……なんで、わざわざ声だけで?

 よくわかりませんが、きっとお忙しいから用件だけ伝えに来たんですね。


「彼女って誰ですか?」


「あなたの……は、騙され……お願い……す。彼女を……止めて……さい」


 う~ん。なんでしょうね。

 ずいぶんと遠くから、こちらに向けて声を届けているのでしょうか?

 全然わからないです。


「女神様? 女神様~!」


 ついには声も届かなくなりました。

 だめですね。とりあえずわかったことは、どなたかを止めてほしいということだけ。


「なによ? 呼んだ?」


 と思ったら、向こうもらちが明かないと思ったのか、いつものように直接姿を見せていただきました。

 そして神託という形式ではなく、直接の会話になったためか、これまでの神託のような敬語での会話ではなくなったようです。


「なにって、さっきの神託の話ですよ。彼女を止めてくださいって、私に頼んだじゃないですか?」


「…………ああ、それね。ごめんなさい、そっちの声がよく聞こえなかったの。私はなんて言ったかしら?」


 ……なんか変な質問ですね?


「私が確認したら、女神様だと名乗りました。それと彼女を止めてくれってところは聞こえましたよ?」


「……ああ、ごめんね。そうね。言った。言ったわ」


「女神様?」


 いつもと違う気がします。本当に女神様だったんですよね?

 もしかして、私が女神様かと思っていた方は女神様じゃなかったとかでしょうか?


 ですが、あれは間違いなく神託でした。

 似たようなことは魔法でいくらでも再現できますが、これでも聖女だったからわかるんです。

 私と会話をしていたのは、確実に神様でした。

 となれば、この世界の唯一の神様である女神様がお相手だったはずです。


「えっと、そう。彼女を止めてって言ったことよね?」


「ええ、そうです。彼女だけじゃわかりませんよ? 誰のことでしょうか?」


「え~と……そうね。獣人の国、知ってる?」


「プリズイコスですよね?」


 私とは別に縁のない国ではありますが、なにかあったのでしょうか?


「最近、あの国の連中が、禁域の森に本格的な調査隊を送ろうとしているらしいわ」


「調査? 別にいいんじゃないですか?」


 これまでも冒険者や学者が何人もここに訪れましたが、森のみなさんがいい感じに追い返してくれました。

 たしかに国が本格的にとなると、これまでよりも精鋭たちかつ大人数になるかもしれませんが、それでもこの森のみなさんが簡単に負けるとも思えません。


「調査とは言うけど、あの国の女王の性格からすると、殴り込みみたいなものかもしれないわよ? それに、戦利品としてアキトを自分の物にするかもしれないわね」


「それこそ大丈夫です。アキト様にはソラ様がついていますから」


 それにアキト様だって、この森での生活を気に入ってくれています。

 獣王国の女王にのものになることだって拒否してくれるはずで、私たちの前からいなくなったりはしません。


「彼女を止めてというのは、獣王国の女王のことだったんですか?」


「……ええ。ほら、最近は色々な種族が順調に私を信仰してくれているじゃない? だから、こんなときに大国が攻め入ってきて、万が一森の外にまで被害が及んだら、信仰どころじゃなくなっちゃう人も出てきちゃうでしょ?」


 なるほど……つまり、せっかく集まってきた信仰パワーを減らさないように、気をつけろという忠告だったんですね。


「わかりました。では、アキト様たちにお伝えします」


 時間は早朝。アキト様なら、もう起きているかもしれません。

 私は女神様に一礼してから、部屋を出て行くことにしました。


「…………もうすぐかしら」


    ◇


 ソラとたわむれていたらアリシアが走ってやってきた。

 なんだか、こっちはこっちで犬みたいだなと、本人には聞かせられない感想が思い浮かぶ。


「失礼しました。後で平気です!」


 走って帰っていった。

 いや、気を遣わなくていいって、というか心配りできるなら普段の言動のほうに割いてくれない?


「アリシア! なんか用事があるなら話して!」


 走って戻ってきた。やっぱり、これ犬だ。

 ソラも一旦俺の膝から降りて、アリシアの話を聞こうとしてくれている。


「お二人の時間を邪魔してすみません。あと、ソラ様の次は私も同じことしてほしいです」


「邪魔じゃないから遠慮しないでね。あと、同じことはしないから遠慮してね」


 アリシアが混乱している。

 遠慮しないでと遠慮しろを同時に命令したことで、思考回路がバグったみたいだ。


「遠慮せずにアキト様に抱きついて、遠慮して話はあとにすればいいんでしょうか?」


「逆だね。アリシアに抱きつかれたら、俺の理性がもたないから遠慮してね」


「……なにをわけのわからん会話をしとるのじゃ、お主ら」


 見かねてシルビアが助けにきてくれた。

 よし、これでなんとかなった。


「聖女さん。お急ぎのお話だったんじゃないです?」


 眠そうな目をこすりながら、ルピナスもやってくる。

 これでアリシアもうかつに変なことはしないはずだ。


「ええっと……あ、そうです。女神様がみなさんに伝えてくれと言っていました」


 女神様きてたんだ。全然気がつかなかった。


「なんでもプリズイコスが、国を挙げてこの森を調査しようとしているらしいです」


「むう……あの大国がか? もしや、アルドルたちとの関係が改善して余裕ができたからか?」


「あの~、プリズイコスってどんな国?」


 当然異世界の地理など知らない。

 まして、この森からほとんど外に出ていないとなれば、なおさらだ。

 話に置いていかれる前に、俺は二人の会話をさえぎって尋ねることにした。


「おっと、すまぬな。プリズイコスは妾たちの隣国に位置しておる獣王国じゃ」


 獣王国……ソラみたいな犬がいっぱいいる国か?


「獣王国には、いろいろな獣人の方たちが暮らしています。その種類が本当に多くて、シルビアさんが言っていたようにかなりの大国なんですよ?」


 なるほど……獣人。そっちだったか。

 俺が知っている獣人なんて、シロと……そういえば、フィオちゃんもか。

 フィオちゃんはともかく、最近シロと会っていないけど、もしかしてそのプリズなんとかに帰っちゃったのだろうか。


「獣人って動物の耳が生えていて、綺麗な水色の髪のかわいい女の子のこと?」


「や、やけに具体的じゃのう……そんな獣人もおるやもしれぬが、当然全員が全員そうではないと思うぞ?」


 やっぱりシロは獣人みたいだな。

 その獣人の国の人たちがこの森にくるのだとしたら、もしかしてまた会えるかな?


「うわっ! どうした? ソラ」


 シロのことを考えていたら、ソラが抱きついてきた。

 もしかして、もっとかまえってことか?

 ……いや、それにしては尻尾がすごい左右に動いていて上機嫌だ。

 ソラの気持ちがわかるようになってきたと思っていたが、うぬぼれていたのかもしれない。

 俺には、ソラがなぜ上機嫌なのかよくわからなかった。


「水色……空色? 獣人……。それにこの機嫌の良さ……神狼様、まさかのう……」

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