第35話 引継ぎのない重要案件

 私だって最初はやる気があった。

 まだ子供だったころ、幼いながらも回復魔法を使える私は周囲から尊敬されて、それがうれしかった覚えがある。

 いずれは勇者になれるわねと言われ、私もその気になって努力をしてきた。


 おかしいと思ったのは、勇者候補として同期たちと訓練を始めたころだった。

 私はその中ではいつも、下から数えたほうが早い程度の成果しか出せなかった。

 幸いというべきなのか、それにより見下すなんて考えを持つ者はいないため、同期との関係は良好のまま行き場のない劣等感だけが募っていく。


 長年集団で生活をしていると見えてくるものもあって、私はどうやら外面だけはよいので、誰よりも友人が多くできた。

 勇者としての才は平凡。人脈作りだけは優秀。

 どうやら進む道を間違えているらしい。これなら商人にでもなるべきだったのかもしれない。


 決定的な挫折となったのは、勇者としての訓練課程を終えた時だった。

 私は、王家の直属の勇者にならないかと勧誘され、それを承諾した。

 なぜ実力の低い私をと思ったが、手当たり次第に一人でも多くの勇者を囲いたいだけのようで、納得した。


 胡散臭い甘言には乗らずに、同期たちが無茶苦茶な条件で契約するのを横目に、私は一応王家直属の勇者となった。

 しかし、そこで見たのは一人の化け物だった。


 勇者アリシア。

 片田舎まで王女が直接勧誘しに行ったほどの才能を持つ勇者。

 わずか一年足らずで勇者としての訓練を終えた天才を通り越した怪物。

 一目見て私はこれに勝つのは一生かけても無理だと悟った。


 でも、それもいい。

 この化け物がいる限り私たちは安泰なのだから。

 適当に王女におべっか使ってご機嫌を取るだけの楽な仕事で、贅沢三昧の生活ができる。

 私は同期と違いおかしな契約をしていないし、王女も私の能力には期待していないので、毎日楽に暮らすことができている。


 だけど、そんな生活も変わってしまった。

 勇者アリシアが王女のもとを去ったのだ。

 常日頃から、王女のやり方が気に食わないのか、言い争いをしている姿は目にしていたが、まさか辞めるとは思わなかった。

 それも、その後すぐに教会の聖女となるなんて、どこまで好き放題生きるつもりなのか。


 才能があるやつはいいわよね。

 これまでの地位を簡単に捨てて、新しい場所ですぐに成功ができるんだから。

 そこからは、王家……というかルメイ王女と教会の対立は早かった。

 今までろくに力も権威も失っていたがために、ルメイ王女の眼中になかったような教会だったが、一人の聖女のせいで危険視されるようになったのだ。


 だけど、自分はどうするべきか、あの化け物は一人で王家直属の勇者全員と渡り合えるような気がする。

 結局、私は王女と教会のいざこざなんかに巻き込まれたくないので、王女のもとを去ることにした。

 それなりに稼げていたので特に不自由ない生活を送り、直接的な争いをしない王家と教会の様子を知りながら、判断を誤ったかななんて考える。


 しかし、数年後に聖女アリシアは消息不明となった。

 どうやら巷で噂の禁域の森へと出向いて、行方がわからなくなったらしい。

 なぜそこまで自分の心に従って行動ができるの?

 私は常に誰からもよく思われるために、疲れながらも本心を隠して会話をしているというのに。

 周りのことなんてまったく気にしていないあの強さがねたましい。

 私にもあんな力があれば、そう思ったときに私にもようやく遅咲きの才能が開花した。


 洗脳。

 それが、私の勇者としての特別な能力だった。

 笑ってしまう。さんざん本音を隠してうわべだけの人脈を形成してきた極地がこれなのか。

 私へ悪感情を抱いている者、つまり私を本当は嫌っている者ほど効果が高いらしく、この能力で多くの人間を私のしもべにできた。


 そこでふと思いついた。

 あいつの帰る場所を私が支配しよう。

 私はいつものように良い子な私を演じながら、教会に所属させてほしいと頼むことにした。

 来るもの拒まずな教会はあっさりと受け入れ、私の演技にも簡単に騙され、私は教会内で誰にでも優しい勇者様としての立ち位置を演じ続ける。


 最近では女神様信仰の人々が増えて、教会の勢力が増している。

 だから、あいつへの嫌がらせついでに、この巨大になりつつある権力を私のものにできるなら、さぞ気分のいいことだろう。


 私の演技に騙されてる者はそのまま騙し続け、私の意見に異議を申し立てるような者は洗脳していく。

 ほら、簡単じゃない。これで教会は私の物。

 残念だったわね元聖女様。あなたの帰る場所なんてもうどこにもないわよ?


 ……どうせ、それさえも気にしないんでしょうけどね。あなたは。


    ◇


「へぶしゅっ!!」


「大丈夫? なんかすごいくしゃみだけど」


 風邪とかではなさそうだから、もしかして花粉症か?

 そういや、この世界って花粉症になったりするんだろうか。俺のいた世界と木や花も種類が違うだろうから、案外向こうで花粉症の人でもこっちでは平気かもしれない。


「はい。大丈夫です。ご心配ありがとうございます……って、すみません! わ、私の体液がアキト様に」


「これくらい別に気にしないけど、体液って言い方はなんかいかがわしいからやめようね」


 せめて唾液と鼻水って言ってほしい。


「私の体液がアキト様の顔に……私とアキト様が交じり合ってる……これは、ほぼそういう行為と同じなのでは?」


 アリシアは妄想の世界へと旅立ってしまった。

 俺は布で顔を拭きながら、アリシアの様子を観察する。

 女神様、あなたの聖女は今日も煩悩全開で楽しそうに生きています。

 まあ、これはこれでかわいいと思うから別にいいか。


「また性女になっておるのか」


「はい? 私はたしかに聖女ですが」


「うむ、性女じゃの」


「はい、聖女です」


 音は同じだけど、シルビアが言いたいことがなんとなく理解できる。

 アリシア自身はそれに気づいていないためか、互いに噛み合っていない会話となっていた。


「聖女といえば、次の聖女ってもう決まったのかな」


 女神様がそんな話をしてからそれなりの時間が経過したし、アリシアの後任もそろそろ決まってもおかしくない。


「アリシアには、次の聖女になりそうな子の心当たりとかある?」


 俺の質問を聞いてアリシアは考え込むようにしてから答えた。


「私以外に教会に所属していた勇者や聖女はいませんでしたから、勇者を勧誘することになりますが、あの様子だとフィル王女様のもとから離れることはないと思います」


 たしかに、一時この森で生活していた勇者たちはフィルさんのことを慕っていたし、聖女として勧誘されても断りそうだな。


「そうなると、どこにも所属していない勇者ということになりますが……」


「そんな勇者はいない?」


「いえ、何人かいますけど、国や教会に所属することに嫌気がさした方たちですから、望んで教会に所属することは難しいと思います」


 そっちもだめなのか。そうなると、決まらないんじゃないか? 次の聖女。


「聖女がいないと問題ありそう?」


「自分で言うのもなんですが、いなかったからといって問題あるというわけでもありませんよ?」


 そうなんだ。教会の象徴みたいなものかと思っていたんだが。


「そもそも私がなる前も教会に聖女はいませんでしたし、それでも組織として続いてきたわけですから」


 そう毎回都合よく聖女が現れるってわけではないし、いたら儲け物くらいなのかもしれないな。


「私がしていたことなんて、せいぜい色々な方たちを回復したり」


 やっぱりその手の内容が聖女の仕事なんだな。イメージ通りだ。


「町に現れた魔獣が人を襲う前に倒したり」


 もとが勇者というのなら、そういう荒事も仕事なのかな?


「アキト様のときのように、危険な場所の噂の真偽を確かめて教会の利になるかどうか判断したり」


 なんか危険な仕事多くない?

 いや、それだけアリシアが頼りになるってことなんだろうけど。


「ルメイ王女が因縁をつけてきたら、話し合いで解決したり、それぐらいですね」


 うん? それはまあ今後は起きないだろうからいいけど、アリシアの仕事多くない?


「アリシアが教会を辞めて本当に大丈夫なのかなあ」


「聞く限りじゃと、アリシアがいなくなると他の者への負担がかなり大きくなりそうじゃな」


「大丈夫ですよ。そんなに大変な仕事じゃありませんから、きっと教会の者たちが手分けして処理してくれているはずです」


 本当にそうだといいのだけど、俺にはアリシアの抜けた穴を埋められずに苦労する教会の人たち、というのが想像できた。

 どうか一刻も早くアリシアの後任が決まるといいな。

 そう思わずにはいられなかった俺をアリシアは不思議そうにきょとんと見つめるのだった。

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