第26話 二人のモンスター登場
件の飛び降り自殺が起こった日の夕方。東上野の雑居ビル屋上に建つ掘っ立て小屋には、入り口に『ブルーバード探偵社』の表札が掛かっている。室内には安物のスチールデスクと、来客用の古ぼけたソファー位しか家具がない。
そのソファーに修道服姿のユリアが座っていた。デスクに足を置いた人狼の大男が、盛大に煙草の煙を吹き上げていた。
「この前、大騒動が片付いたばかりなのに、またの御来場とは。まさかまた、ユグドラシル同盟関係の案件じゃ無いだろうな?」
「残念ながら、その公算が高い。サイバー警察局の理事官が毒牙にかかったようだ」
ユリアは肩を竦めて、これまでの経緯を説明し始める。コトリとマロウが香り高い珈琲の入ったカップを客用テーブルに置いた。
「なるほど。今回の敵はSNSなどを使って、サイバー攻撃を行う奴だというんだな」
礼は加えていた煙草を灰皿に押し付ける。それから旨そうにマグカップの珈琲を口にした。
「しかしスマホやパソコンで批判・中傷を受けた位で、人間ってのは死んじまうもんなのか? 俺は、そっち方面が全く分からないから質問しているんだが」
本気で理解できないという表情を浮かべ、大男は首を傾げた。マロウが肩を竦めて返答する。
「SNSでヤバいことをして、身バレすれば現実世界でも物理的に迫害を受けるのが、今の世の中だからねぇ。特に若い子は、サイバー社会と現実社会の垣根が低いんだよ。だからSNSで生きられなくなると、現実社会でも生きていけなくなる子が多いんだよね」
サイバーモンスターでもある吸血鬼は、軽くため息をつく。百年前のこの国では、食べる為に身売りをしたり、少ない資源を手に入れる為に他国と戦争をしてた。
その当時の若者に比べて、この国の現代の若者が脆弱だと言い切る事はできない。どんな時代にも苦難はあり人は、それを乗り越えなければ生き残れないのだ。技術が進み飢えなくなった現代にも、この世の中には苦難が満ちている。
それに一歩国外に出れば、今も食べる事に事欠く国々が溢れていた。人間という種族は、どんな時でも命のやり取りをしていなければ存在できない生き物なのかもしれない。
「そんな難しい話は、俺には必要無い。それでシスター、俺は何をすれば良いんだ?」
「鈴木理事官がサイバーモンスターの毒牙に掛かったのは、間違いないだろう。しかしバチカンを含め、モンスターの情報を持っている組織が無い。手がかりの一つとして鈴木が、どのようにして自殺に追い込まれたのかを調べたい」
カップを置いたユリアは、マロウと契約書作成を始めた。
真夏の夜空。
大都会の深夜は煌々と燈されるネオンや街頭の灯りで、星たちの姿も見えない。街は若干人通りが減少しているが、それでも眠らずに息づいている。この時間でも温度が下がらず、熱帯夜の予報が出ていた。ただ外を歩いているだけで、ジットリと汗が滲み出る。
高層ビルの間からビル風が吹き抜けるが、その風もジットリと重い。その風と共に風変わりな影が、闇から闇へと流れて行った。
「しかし何だな。こうやって夜空に浮いているのも、いつの間にか慣れちまったな」
暑苦しい夜に、薄手とは言え上着を羽織った大男。彼の頭の上には中折れ帽が目深に被さっており、暑苦しさを増大させていた。大きな蝙蝠の羽を広げたマロウが声を潜める。
「あんまりモゾモゾ動かないで。また落としちゃうよ?」
「そいつは御免こうむる」
暑苦しい人狼は、吸血鬼であるマロウに両腕を掴まれ、隣のビルから青札堂ビルへ空中移動の最中であった。
ピタリと動きを止めた礼。深夜とは言え上野広小路の人通りは途切れない。七階建ての建物だから、高さは二十メートルを優に超えている。そんな高さから落ちて、下に人でもいれば人狼の大男は別として、巻き添えの人間はタダでは済まない。
大人しくなった人狼は、フワリとビルの屋上に降ろされた。ポケットからビニールに入ったハンカチを取り出すと、鼻に押し当てる。
「そのハンカチが、鈴木さんの持ち物なの? 本物の警察犬みたい」
ヒクヒクと鼻を動かすと、礼は返事もせずに建屋の中に入って行く。マロウも鼻歌を歌いながら、大男の後に付いて行った。
「昼間、相当な数の捜査員が入ったようだな。ごちゃ混ぜになって、対象者の匂いが判断しづらい」
「そうだよねぇ。今も下の入り口、警備線だけじゃなくて、お巡りさんも立っているし。こんな夜中に立ち番なんて大変だよね」
舌打ちをすると礼は徐ろに、リノリウムの地面へ四つん這いになった。スーツが汚れるのも気にせず、鼻を地面に押し付ける。
「ちょっと! いきなり土下座? 服が汚れちゃうよ」
「こうでもしないと、対象者の匂いが分からん。気が散るから少し黙っとけ」
礼は真っ暗な廊下で顔を地面に押し付けながら、少しずつ進み始めた。その姿を見てマロウは両手を頭の上で振り回した。
「幾らシスターの依頼だからって、ちょっと張り切りすぎじゃ無いの」
「俺には良く分からないが、厄介な事件と犯人なんだろう? どんなに小さな手がかりだって、今は必要である事は分かる。お前も出来ることをやれ」
飛び降り事件が起きた建物内部を這いつくばる大男。それを見て吸血鬼もポケットからスマホを取り出し操作を始めた。六階部分の大規模スタジオの跡地で、礼は頭を上げる。音楽スタジオである為、閉鎖後外して使用できる機材が取り払われ、雑然とした雰囲気の空間だった。
「ここだ。ここに奴の匂いがこびり付いている」
「何をしていたんだろう?」
「良く分からないが、丸一日はここに居たな。排泄はどうしていたんだろう?」
礼は近くのトイレの排水を確認する。電気は止まっているが、水はまだ流れるようだ。恐らくこの周辺に留まっていた事は間違いない様だ。
礼が突き止めた内容を、RINEするマロウ。直ぐにスマホから呼び出し音が鳴り響いた。
「あぁ、シスター? うんそう。六階の音楽スタジオに、鈴木さんは一日前から籠城していたみたい。それから彼関連のSNSを攫ってみたんだけど、修道服を着た女性と打ち合わせをしている画像が流れているよ」
この情報もサイバーモンスターは、入手していると考えて間違いない。だから外部調査の際は、修道服を着ない方が良いだろう。そう忠告して吸血鬼は通話を終えた。
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