千年神話

Emotion Complex

第1話 千年目の今

 久慈間千之助くじませんのすけ月鳴山げつめいさんから帰ってくると、自分の家が騒がしいことに気付いた。

 ほぼ八割は自分のことなので、捕まらないように裏口に回った。勝手口を開けると縁側に座る春実はるみの姿があった。

「やっぱりこっちから帰ってきたわね」

 してやったりの笑みを浮かべた。美人姉妹で有名だが、妹は自覚が薄いのか、時折女子っぽくない表情をする。

 義姉さんを見習えよ――と口には出せないことを思いながら中庭へ入った。

 ちなみに春実の姉、夏香なつかは千之助の長兄の嫁である。だから義理の姉なのだ。

「なんかあったのか? 騒がしいみたいだけど」

他人事ひとごとね」

 春実が言うに合わせ、数人の足音が近付いて来る。

「厄介だな」

 千之助は思わず言ってしまった。

 駆けて来たのは千之助の家族であった。

「厄介なのはこっちだ、バカモンが」

 開口一番、父の永六えいろくが言った。ドスの効いた低い声が珍しく慌てている。

「メガネをかけた男が来てお前にこれを――」

 永六は折り畳まれた書状を差し出した。今時珍しい形式だ。果たし状とでも書かれていればしっくりくる。

「通知書?」

 広げると細長い紙に、筆で書かれた文字がずらずらと並んでいる。時節の句から始まり、くどくどと書いているが要約すると――。

「僕に覇権争いに参加しろってことか」

 千之助が納得すると、家族が改めて詰め寄ってきた。

「間違いだよな、お前のことじゃないよな」

 四角い顎を突き出して、父の永六が問う。いつもはきちっとしている総髪が少し乱れている。

「久慈間家としてどうするべき? 辞退した方がいいのでは?」

 母親似だと言われる、線の細い長兄の八光はっこうが誰とは無しに言った。

「晩ご飯はお祝い?」

 八光の嫁――夏香が真面目に訊いている。振売から既に魚を買ってしまっているのだろう。今更、変更できるとは思えない。

「オレならともかく、何でお前なんだよ」

 次兄の百ノもものじが垂れた目を細くして睨んだ。

 年齢が近いせいか、やたら突っかかってくるから、今は無視。

「三味線貸して。前の壊れちゃった、あたしの顔に免じて許せ」

 春実がどさくさに紛れながら言った。全く関係ない話であった。

「死んじゃうってことはないのよね! ね!」

 夏香と春実の母親、寿黄すおうがうろたえている。

 家族の気迫に気圧され、千之助は言葉に詰まった。

 何故自分が選ばれるのか――千之助は身に覚えが無かった。

 ないか?

 必死に思い起こしてみる――ほどでもなかった。

 二週間ほど前のことを容易に思い出せた。

 百ノ路とケンカをして家を飛び出た時だ。

 ケンカの理由は覚えていない。

 いつも絡んでくるのは向こうで、適当に聞き流しているのだが、千之助もイライラして売り言葉に買い言葉で、時折ケンカになることがあった。

 春実が千之助を訪ねてきたが、留守で、でもずっと待っていたぞ――と怒鳴られたのだ。

 約束もなく来て、待っていたことを責められても困る。

 そう言い返したら、ケンカになった。

 で、外へ飛び出し、神社へ向かった。

 これも特に意味はない。子供の時から、嫌なことがあったら、ここへ来ている。

 気の遠くなる石段を上り、十と三つの鳥居を抜けてたどり着く、小さな神社は高所に有り、見晴らしが良いのだ。

 そういう意味なら理由はあったな――。

 気晴らしになる風景と涼しげな空気感が、気持ちを落ち着けてくれるのだ。

 その時も社から離れ、柵ギリギリから町を見下ろしていた。

 最近は高層民家も増えた建物の密集具合と、電波塔を兼ね備えた五重塔がこの町の特徴であった。

 遠く目を凝らせば、町外れから田んぼが広がり、森へ通じ、山がそびえて行く手を塞ぐ。

 その向こうにはひとではない別種族が暮らしているという。

 千之助はその『別種族』というものを見たことがないが、その存在は信じている。なんせ、その情報を千之助に教えてくれたのが、天狗だからだ。

 その時だった。

「あなた、立候補しませんか?」

 唐突に後ろから声をかけられた。

 千之助が振り向くと、背の小さな人が立っていた。厚みのあるメガネが重そうだった。

 表情が薄い、というか、喜怒哀楽の表現が苦手そうな顔付きをしている。

「立候補――って、何の?」

「覇権争いの、ひと代表ですよ」

「千年神話か」

 合点がいって、千之助がその言葉を口にすると、メガネが頷いた。

 この世界にはいろいろな種族が棲み分けしている。千年に一度、その境界線を書き換え、再構築するのだ。

 本当かどうかは分からない。当たり前だが、再構築前の記憶を持っている者がほとんどいないからだ。

 ほとんど――というのは数人に残っている者がいて、彼らが後世に伝えたからだ。

 確証はない。

 だからこそ神話扱いなのだ。

 今年がその千年目だという。

 目の前のメガネを信じれば――だ。

「それぞれの世界から選ばれた五人が代表で戦います。勝ち越した世界が、負けた世界の半分の領域と半分の住人を手に入れることができるのです」

「へえ」

「今回、ひとが戦うのは、鬼族です」

「鬼?」

 勝ち目のない勝負に思えたが、そうでもないらしい。

「再構築された世界で、誰もが進化します。その中で、生活が向上した千年を過ごした鬼族は戦闘力が下がり、戦国を意識し続けたひとの戦闘力は上がっている。いい勝負をすると思いますよ」

「それが、千年神話の意義ってやつか」

「進化とその先へ」

 メガネは短く言った。

 しかし千年とはえらく気の長い話だ――千之助は思った。

「ひとが勝てば、鬼の領地の半分が手に入り、人口の半分が人間となって加わることになります」

「その逆もあるってことでしょ」

 メガネは躊躇なく頷いた。

 どちらの味方でもないということか――千之助はそう予測した。

「で、僕にひと側の代表に立候補しろ――と」

 メガネが再び首肯した。

 普段の千之助なら、危うきには近寄らず――のはずなのに、なぜか了承していた。

 筆でしっかりと自分の名前を書いた。

 身に覚えはハッキリとあった。

 千年神話が本当のことだったとは――と、千之助は今更ながらに思った。

「それは僕のことで合ってるよ」

 千之助がそう言うと、縁側で全員が揃って、肩を落としながら、大きなため息をついた。

「行くなら勘当するからな」

「私もお前を弟と認めんからな」

 永六と八光が奥へと戻っていく。

 千之助はそれを見送るだけであった。

「晩ご飯はお祝い?」

「普通でいいですよ」

 同じ事を訊く夏香に千之助はそう答えた。

 ほっと胸を撫で下ろす顔をして、夏香も奥へと引っ込んだ。

「何でオレは選ばれなんだ?」

 百ノ路は何を言っても売り言葉と買い言葉にしかならないから無視。

「三味線はもう貸さない。壊したのは弁償な」

 春実にはそう答える。

 悪びれるどころか、弁償の言葉を不当だと言わんばかりに顔を歪めた。

「いいじゃない。あたしとあんたとの仲じゃない」

「どんな仲だよ」

「1.尻に引かれた恋人、2.べた惚れな幼なじみ、3.年齢の同じお姉さん。さあ、どれ」

「その中に本当にあると思ってるのか?」

 これに春実は半目になって無言で奥へ去っていた。なぜか次兄が怒りながら彼女へ付いていく。

 意味が分からない――千之助が天を仰ぎそうになったが、もう一人残っているのに気付いた。

 寿黄だ。

 彼女は夏香と春実の母親であり、千之助の乳母である。

 生まれてすぐに母親を亡くした千之助にとって、母親代わりでもあった。

 今は久慈間家のお手伝いとして、家事一般をこなしている。

 うるうると声もなく千之助を見ている。

 過剰ではあるが一番まともな反応に思えた。

「大丈夫。そんな危険なことはありませんよ」

 あたしゃ、心配で心配で――と泣き始めた寿黄をなだめ収めるのに一時間を要した。

「もし千ちゃまに何かあったら、夜中にいきなり稲荷鮨を両手に持って振り回しながら町中を駆けて泣き叫びますからね」

「それはやだな……」

 千之助は苦笑した。

 意味は不明だが、死ねないな――とは思えるようになった。

 そのせいか、重大な役目を言い渡されたことに、千之助はやっと気が付いた。

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