Forbid - 禁忌(3)

 泥沼から這い出すような倦怠感を感じながら覚醒すると、見慣れない白い天井やカーテンが視界に映りこみ、自分が見知らぬ場所に寝かされていたことを認識する。


「ここは……病院……?」


 自分がわけではないことを悟ってひとまず安堵しながら上半身を起こすと、左腕に違和感のようなものを感じて、それが何なのかをぼんやりと考える。


「どうみても注射針……だよな……。ってことは――」

「ああーーっ!? かなちゃんが起きてるーー!?」


 唐突に耳届いた絶叫に反応して反射的に振り向くと、部屋の扉を開きながら私に指を刺す人物と目が合い、その人物は部屋に入ってくるや否や、慌しく駆け寄りながら一気に眼前まで詰め寄った。


「体は!? 痛いところ無い!? 大丈夫!?」


 寝起きには少々キツめのテンションに気圧されながらも、私は肯定するように小さく頷く。


「良かったぁ~……! 大事には至ってなさそうってお医者さんも言ってたけど……私、心配で心配で……!」

「大事には至ってなさそう……ね……。心配されるのは悪い気はしないけど、ここって病院でしょ? もうちょっと静かにしたら?」


 相反する寝起きのテンションで適当な相槌を打つと、遥はハリセンボンのように頬を膨らませ、不服の意を顕にした。


「んもぅ!? かなちゃんなんだか冷たいよー!? 私がどれだけ心配したと――ああっ……!? まさか……!? そういえばドラマだと、ショックで記憶を取り戻して、前の記憶を忘れるって……。それじゃあ、私のことも……?」


 珍しく、怒ったり取り乱したりしている様子の遥を見て魔が差した私は、もののためしとばかりに一度だけ頷く。

 すると、遥は時間が止まったように暫く硬直したあと、その瞳を潤ませ、大粒の涙をポトリポトリと零しはじめた。


「ほ……本当に……思い……出したんだ……。そっか……でも、かなちゃんにはそれが幸せなことなんだよね……。うん……そう……だよね……」


 自分を納得させるように何度何度も頷きながら顔を手の甲で拭う遥だったが、ちょっとした悪戯心で原因を作ってしまった手前、私は罪悪感に苛まれながら慌てて取り繕う。


「ごめん、嘘ついた。遥のことはちゃんと憶えてるし、記憶が戻ったわけでもない。けど、そんな泣かなくても……」


 私がそう告げると、遥は再び硬直し、数秒後にはいつもの笑顔に戻っていた。


「う……そ? そ……そっかぁー! それならこれからも一緒に暮らせるんだねー? 良かったー♪」

「一緒に……ね……。私のことより、遥のほうは大丈夫なのか?」

「私? えっとね、よく分からないけど……急に頭がフラフラしたと思ったら吐き気がして、道路の真ん中で動けなくなっちゃって。精密検査を受けても体温が高いくらいで目立った異常はなかったから風邪じゃないかってお医者さんは言ってたよ? 今は全然なんともないんだけどねー?」

「頭がフラフラ……吐き気……体温が高い……」


 二人の命を守ることが出来たことに対して安堵すると同時に、私の中で疑念が沸々と浮かび上がり、私は黙しながら状況を整理する。


「あのあと大変だったんだよー? かなちゃんと一緒に救急車で運ばれたり、事故の状況について警察に聞かれたり、トラックのことを説明されたり……」

「事故の理由は、トラックのブレーキが錆びて効かなかったから……警察にそう説明されなかった?」

「えっ? そうだけど……? かなちゃんなんで知ってるの?」


 抱いていた疑念はほとんど確信へと変わり、私は数秒前に浮かれてしまった自分を責める。


「一つ聞いておきたいことがあるんだけど。私のこと……怖い?」

「私が……かなちゃんを? そんなことあるわけないでしょー? だって私、かなちゃんのことを姉妹……じゃなくてー……? 友達ともちょっと違うような気もするしー……う~ん、そうだなー……――あっ!」


 合点がいったと言わんばかりに両手で鼓を打つと、遥は一点の曇りもない笑顔でハッキリと答える。


「そうそう! 自分の子供みたい!! なんだか放っておけないし、世話もかかるし、なんとなく私に似てるし♪」

「はあ? 子供? なんか、素直に喜べないカテゴリーだな……ソレ……。というか、子供ってそういう意味だったのか……」


 以前から自分に対する遥の態度がどうにも引っ掛かっており、それは私の容姿が子供っぽいから子供扱いされていると勝手に解釈していたのだが、ようやく合点がいき、私は大きく溜息を吐く。


「ああーーっ!? そうだったー!! かなちゃんが目を覚ましたこと、看護師さんに伝えなきゃ!? 今から呼んでくるねー!!」

「あっ!? ちょっ――」


 私が呼び止める間も無く、遥は病室から飛び出すように出て行き、嵐が過ぎ去ったかのように室内は元の静まりを取り戻した。


「……こうしちゃいられない、か」


 すぐさまベッドから下り、必要なものだけを回収し終えると、私はそそくさと病室を抜け出した。



◇◇◇



 院内が静けさに染まった頃、周囲の気配を避けるように冷たい廊下をペタリペタリと歩き回り、やがて長々しい階段を上りきった末に、屋上へと続く扉を開け放つ。

 すると、暖かな空気が院内へと流れ込み、漆黒の空にポツリと浮かぶ月が私を出迎えた。


「遥には悪いことしたかなー。私のことずっと探し回ってたみたいだけど……。でも、これ以上調べられても困るし……」


 そのまま屋上の端まで移動して地平線を望むと、この場所がどれくらいの高さなのかは定かでないものの、遠くにはなかなかの夜景が堪能でき、私はその眺望をフェンス越しになんとなく眺めながら、暫しの間物思いに耽る。


「短い間だったけど、二人に出会ったことで、私は普通の人間として生きることが出来た。慣れないことばっかりで苦労することもあったけど、振り返ってみれば全部が新鮮で、それなりに楽しめた。そう考えると、記憶喪失ってのも悪いことばかりじゃないかもしれない」


 フェンスによじ登ると、私はバランスを取りながらその上に立ち、全身に夜風を受けながら、夜の闇に浮かぶ立待月を指先で摘むように人差し指と親指の位置を合わせる。


「だけど、これ以上一緒に過ごせば、私は二人に死を招く死神になる」


 その指先で月を潰したあと、私はゆっくりと瞼を閉じる。


「だから、さようなら伊吹、遥。……それと、彼方わたし


 全身の力を抜き、風と重力に身を任せ、私は闇に向かって身を投じた。

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