愛しきヴぁんぱいあ

宗田 花

第一部

第1話 拾い物

「なんだぁ? ガキが泣いてんのか?」

 こんな人里離れた家で子どもの泣き声が聞こえるなんてまず無いことだ。それがセナの耳にはつんざくように聞こえてくる。読みかけの本をテーブルに置いた。

「うっせぇな、どこのガキだよ」

 きっと雪景色を見に来た家族でもいるのだろうと、窓のカーテンをちらりと開けた。周囲にぐるりと意識を飛ばす。

「人の気配、ねぇけど」

 正確には団体さんの気配という意味。

「ふん、ガキんちょが一人。それもちっちぇヤツ」

 仕方ないからコートを着込んだ。ヴァンパイアと言えども寒さは堪えるし、風邪を引くと人間より厄介だ。

「俺も物好きだな」

 そんなことを呟きながらセナは玄関に向かった。


 遠出をする必要はなかった。玄関のポーチを下りる必要すらない。

 ドアを開けたすぐに段ボールが置かれている。僅かに積もった雪。その中から聞こえる赤んぼの泣き声。にょっと爪が出そうになるのを押さえて段ボールを小脇に抱える。

 テーブルにおいてその小さな箱を開いた。

「なんだ、お前?」

 箱の中の小動物を見る。雪を含んで濡れた段ボール。真っ白なバスタオルにくるまれたその声は実際には弱弱しい。メモが一枚。


『おねがいします』


「お願いだってさ。お前、捨てられたの?」

 引っ張り出した赤んぼのバスタオルはとっくに濡れていて、引っぺがすと小さな体は冷え切っている。

「おっと」

 またにょっと突き出そうになる爪を引っ込めた。

「危ない、危ない」

 お腹はそこまで減っていないのだ。それでも目の前におやつがあれば手を出してしまうのがヴァンパイアだ。というか、人間でもそうなのではないだろうか。

「取り敢えず……」

 暖炉からちょっと離した場所に大きなラグを引っ張っていった。そこに素っ裸にした赤ん坊を横たえる。

「さっきよりあったかいだろ?」

 赤んぼなど縁も無ければ興味も無い。だから仕方なくインターネットを開いた。

『赤んぼ』と入れて、画像サイトを見る。

「へぇ! いっちょ前にこんなに服があんのか」

 次々と画像を覗いて、さっきのバスタオルに包まれた姿に似たものをいくつか見かけた。

「ふぅん、要するに包んどきゃいいんだな」

 バスルームからバスタオルを持ってくる。セナの使うバスタオルのサイズは大きい。それで包んでやると泣き声がちょっと静かになった。

 セナはさっきの読書の続きに戻った。ロッキングチェアが静かに揺れる。


 

 少し経って「そうだった」と赤ん坊を覗く。静かになっているから寝ているのだと思っていた。

「……なんかぐったりしてる?」

 抱えると、バスタオル越しに熱が伝わってくる。

「え、お前病気?」

 その時、赤んぼが自分の指を縋るように握ってきた。

「ちっちぇ!」

 人差し指を握るその手は、懸命に生きている証をセナに伝えてくる。

「どうしたらいいんだ?」

 途方に暮れたセナは、最近かけていない電話を手にした。


『セナ? なんの用? 最後に会ったときは「二度と会うか!」って怒鳴られたんだけど』

「ちっちゃいことに拘るなよ! それよか、赤んぼのこと教えてくれ」

『赤んぼ? なんで?』

「俺んとこにいるんだ。なんか病気みたいで」

『最っ低! あんたヴァンパイアのクセに赤んぼなんか作っちゃってんの!?』

「俺んじゃねぇよ! 玄関の前に捨てられてたんだ、なんか分かんないけど多分死にかけだ」

『ばかっ! それ先に言いなさいよ! 今行くから!』

 ガチャン! と切られた電話に牙をむく。

「てめぇ、今度そんな切り方しやがったら血を全部吸い尽くしてやるぞ!」

 だがそんなことは出来ないだろう。しずくには世話になることが多過ぎる。町の本屋の次女、物を知り過ぎて冷めている21の人間の女の子。



 待っている間にバスタオルが濡れていることに気づいた。

「なんで? 乾いてたはずなのに」

 その原因がおしっこだということが分かってまた牙が伸びそうになった。

「くそっ、俺のバスタオルが!」

 だがどんどんぐったりして行くその生き物にささやかに心が動く。さっきの指は可愛かった……

「しょうがねぇ、もう一枚持ってくるから待ってろ」

 濡れたバスタオルを剥がしてラグに赤んぼを置くと、洗濯機に放り込みスイッチを入れた。新しいバスタオルを持っていく。

「あれ? ちょっとヤバいみたい?」

 体が紫色になり始めている。チアノーゼという症状なのだが、セナに分かるわけが無い。

 ちゃんと包み直すと、仕方なさそうに牙を伸ばして自分の小指の先をちょっと噛み切った。

「怒られるだろうなぁ、でも『人命救助』ってヤツだし、『応急処置』ってヤツだし」

 そうブツブツ言いながらほんのちょいと赤ん坊の口を湿らせた。砂漠に落とした水のように吸い込まれていく深紅の血……

 みるみる赤ん坊の血色が良くなっていく。

「やべっ、やり過ぎたか? おい、そんなに元気になるな!」

 辛うじて唇についている血を拭き取った。

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