しあわせ書房~エピローグ・花風鈴~
Youlife
第1話 再会
※この話は「しあわせ書房」の店員・「椎菜」の視点で書いています。
六月に入り、東京は毎日のように雨模様。
今日も朝からずっと雨続き。私が働いている「しあわせ書房」の前には大小の水溜りができて、軒先に吊り下げたテントを伝って水滴が続々と地面にしたたり落ちてきた。
雨が降り続く憂鬱な空に嫌気がさした私は、店の軒先にてるてる坊主をぶらさげていた。私が大好きなプリークリーをモチーフに、一つ目の愛らしい顔を書き、毎日「今日こそは晴れますように」とお祈りをしてから、仕事にとりかかっていた。そして今日、ついに願いが通じたのかまぶしい太陽の光が雲間から差し込み、私の顔を照らし出した。やったあ! プリークリー、ありがとう。
「おっ、太陽に照らされて白い肌がキラキラ輝いてるね。若いっていいなあ」
白髪をオールバックにし、口ひげをたくわえたダンディな雰囲気の男性が、口元に手を当てながら私に声を掛けてきた。この店が建つ商店街の会長をしている
「若林さん、こんにちは」
「こんにちは、椎菜さん。今日も御機嫌だね。どうやら彼氏とはうまくいってるようだね?」
そう言うと若林さんは小指を立てて笑った。
「いや、まあ、とりあえず今のところは……ハハハ」
「大丈夫だよ、椎菜さんは小柄だけど笑顔と声がかわいくて、男心をくすぐるタイプだからね。彼氏も簡単に逃げて行かないよ。あ、そうそう、店主の
「店主なら店の奥にいますよ。呼んできましょうか? 」
「あ、これを配りに来ただけだから。豊野さんに渡してくれるかな」
若林さんが渡したのは、何重にもくるまれた大きなポスターだった。私はポスターを広げると、そこには、鼻の絵が描かれた風鈴がたくさん吊り下げられた写真が大きく写っていた。
「『
「今年からうちの商店街で始めようと思ってね。ほら、この商店街にはあなたのような若い人がなかなか来ないでしょ。だから、こういう『映えスポット』を作って、若い人たちをどんどん集めようと思ったわけ」
「イイですね。確かにこういうイベント、この商店街には無かったですものね」
「椎菜さんも彼氏と一緒に遊びに来てよ。ちゃんとインスタとかに上げて、うちの商店街をPRしてちょうだいよ。あ、キスしたりハグしたりのイチャイチャした写真はやめてね。椎菜さんのそんな姿を見たら、僕の心が痛むからさ」
「そ、それは大丈夫ですよ。恥ずかしいじゃないですか」
若林さんから渡されたポスターを、私は奥の部屋にいる店主に渡そうとした。
店主は小さな
「店主さん、商店街会長の若林さんが、このポスターを持ってきました」
「へえ、若林さんが。どれどれ」
店主はポスターを手にすると、大きく広げてしばらく無言で目を通していた。
「風鈴か。昔はそこかしこの家で普通に飾ってたんだけどね。こんなのぶらさげたところで、若い人が集まるわけないだろ? 」
「でも、今はこういう目の付く飾り付けのある場所に、若い人が撮影目的でやって来るんですよ」
「来たとしても、この店で本を買って帰る人はいないよ。ま、そこらへんに貼り付けておいてよ、椎菜ちゃん」
「はぁい」
私はポスターを店の入口付近の壁に貼り付けた。
ここなら人目に付くし、自分だったら「どんなイベントだろ? 」って気になって覗いてみたくなる。
「へえ、花風鈴か。面白そうね」
ポスターを貼り終えた私の真後ろから、女性の声が耳に入ってきた。
私は驚いて真後ろを見ると、明るい茶色の髪をかきあげながら、私と同じ位の歳の女性が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「え? どうしてここに……」
その姿を見て、私は一瞬で過去の記憶が甦ってきた。
目の前にいるのは、健斗くんの元カノだった杏樹さんだ。
健斗くんとはとっくに別れ、この場所に来ることもないだろうと思っていたのに、一体何しに来たんだろう?
あの時は確かかなり濃い化粧をしていたと思うけど、今日は薄めの化粧で、独特な彫りの深い顔つきがくっきりと浮かび上がっていた。私は驚きのあまり目をこすりながら二度見した。
「あなた、確か……杏樹さん、でしたっけ? 」
「そう、よく覚えていたわね。あれ? あなた、もうこのお店を辞めたんじゃなかったっけ? 」
「そうですけど、やっぱりこの店のことが忘れられなくて、戻ってきちゃいました」
「へえ、ずいぶん厚かましいのね」
杏樹さんは舌打ちをしながら、面倒くさそうな様子で店内を見て回っていた。
いきなりの捨て台詞に正直頭に来たけど、拳を強く握ってひたすらこらえていた。
「ねえ、入っていいかな。探したい本があるんだけど」
「どうぞ、ご自由に」
杏樹さんは飄々とした様子で、ズボンのポケットに手を入れながら私のそばを通り抜けると、奥に置かれた文庫本が並ぶ本棚の前に立った。
上の段から徐々に目線を下げていき、「し」の表示の所で動きが止まった。
そういえば、健斗くんと初めて出会ったあの時、健斗くんは杏樹さんと同じように「し」の所で目を止めて、必死に本を探していたのを思い出した。あの時健斗くんは、重松清の作品を探していた記憶がある。
「あ、あった! 」
杏樹さんは本棚から一冊を抜き出し、しばらく目を通すと、何も言わず私を手招きした。
「お会計、いいかな」
「は、はい。今行きますっ」
私は慌ててレジに向かうと、杏樹さんはサングラスを指で押さえながら、珍しそうな様子で私の姿をジロジロと見ていた。
「そんな裾の広がったジーンズで走ったら、裾を踏んづけて転んじゃうでしょ? 」
「あはは、ご心配ありがとうございます。でも私、こういう裾の広がったジーンズが好きなんですよ。レトロっぽい雰囲気の洋服が好きで、このジーンズも古着屋さんで買ったんですよ」
「そんな可愛い顔してるんだから、もっと可愛い洋服の方が似合うと思うけど」
「……まあ、友達からもそう言われるし、そういう服を着たいと思うこともあるけれど、やっぱりこの服が好きなんですよね」
「ヘンなの。ま、いいや。早く精算してくれる? 」
杏樹さんから渡された本は、重松清の「僕たちのミシシッピ・リバー」だ。私も高校の頃に読んだけど、確か季節をテーマに書いた短編を集めた「季節風」シリーズのうちの一冊だった記憶がある。
この人も健斗くんと一緒で、重松清のファンなのかな。
「この作品、重松清先生の『季節風』シリーズですよね」
「そうよ。春・秋・冬は持ってるんだけど、夏をテーマにしたこの本はどこにも売ってなくてね」
「重松清先生の作品がお好きなんですね」
「そうよ。家族や人間をやさしく丁寧に描くところが好きなの」
「読んでるうちに、何かに優しく包まれてる気分になるんですよね。私、高校の頃からずっと重松先生の本が好きなんですよ」
「……」
杏樹さんは突然無口になり、精算の終わった本を奪い取るかのように受け取ると、私に背を向け、私の傍を早足で通り過ぎていった。そして、すれ違いざまに、ささやくかのような小さな声で私の耳元で何かをつぶやいていた。
「私、嫌な思い出が詰まったこの店には来たくなかった。でもね、どうしてもこの本が欲しかったからさ。あちこちの本屋で聞いて回ったら、この店で売ってますよって言われて……内心すごく嫌だったけど、仕方なく来たのよ」
そう言うと、杏樹さんは大きなため息をつきながら本をカバンに仕舞い込んだ。
「ねえ。付き合ってるんでしょ? 健斗とは」
「はい」
私はまっすぐ杏樹さんを見つめながらそう答えた。
その時、杏樹さんの顔が強張りだしたように見えた。私たちはしばらく無言のままお互いの目を見つめ合っていたが、やがて杏樹さんは首を振って苦笑いを浮かべた。
「あ~やだやだ。怖いなあ。何でさっきから睨んでるのよ? 大丈夫よ。健斗のことは恨んでるけど、あなたには恨みはないから。それに、今の私には好きな人が居るから」
「え? 好きな人が出来たんですか? 」
「色々あったけれど、やっと出会えたんだ。無理に繕わなくても、肩ひじを張らなくてもお付き合いできる人と。彼は、ありのままの自分を見せても私をちゃんと受け入れてくれる。そして私と同じで、重松清先生の大ファンなんだ」
「え、そ、そうなんですか? それは良かったです! 今日買った本のことでお互いに話が盛り上がると良いですね」
「そうね」
それだけ言い残すと、杏樹さんは背中越しに手を振って私を手招きした。
そして、さっき私が店頭に貼り付けたポスターを指さした。
「ところでさ、あなたは行かないの? このイベント……」
「ま、まあ、行きたいと言えば行きたいですけど」
「行けばいいじゃん、健斗と一緒に。浴衣でも着てさ」
杏樹さんはそう言うと片目を閉じて不敵な笑みを浮かべ、水溜りの残る道路へと歩き去っていった。私は杏樹さんを呼び止めようと思ったけど、その前にポスターの風鈴の写真が目につき、そのままそこから動けなかった。
涼しげにたくさんの風鈴が揺れる写真。音はしないけれど、その音色はきっと心地よくて心が洗われるものであるに違いない。
浴衣……家にあったかな? 今度箪笥の中を調べてみなくちゃ。
そうそう、健斗くんにも予定を聞かなくちゃ。彼はまだ就職活動中だけど、一日くらいは予定が空いてるかもしれない。
杏樹さんの提案を受け入れるのは正直、癪だけど……ポスターを見ているうちに、浴衣を着て、いつもと違う私を健斗くんに見せたい、という願望が気づかぬうちにじわじわと沸き上がってきた。
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