6.想定外の事態

「ちょっ、エトっちゃん。残り時間言うなら、十二分ちょっと、にして。不吉な数字で言わないで……」


 片桐は頭だけを傾け、天井を見上げる。


「あっ、すみません」光莉は謝罪を述べながら、「つい思っていたことが、口から出ちゃいました」と続けた。


「うん、そう思ってたという思ってたことが出ちゃってるけどね、今」片桐は淡々と告げた。


「しかし、どうしますかね……」光莉はおもむろに腕を組み、視線を落とした。「嫌疑を晴らそうにも、そもそも警察からとくべつ情報をもらえているわけじゃないし、正直手詰まりですよね。これ以上は一体、何をどう探っていけばいいのか……」


 片桐は大きく息を吐いた。「こうなったらもう、これしかないね」


 光莉は片桐を見る。期待の眼差しだった。「何か策でも?」


 ああ、と頷き交じりに返す片桐。「あんまり使いたくなかったが、この際致し方ない。奥の手だ」


「一体、それは……」片桐の溜める言い方に、光莉は興味津々だった。どんな方法なのか、耳をすます。


「二人から、僕の人となりを警察へ訴えてもらうんだ」


「……は?」口が半開きになる光莉。


「だからね、僕がそんな犯罪を犯す人間に見えないということを、余すところなくとことん伝えてもらって、納得してもらうってことさ」


「ここまできて、まだ冗談言う気ですか、片桐さん」光莉は不機嫌そうに眉をひそめる。「あの、もう、ホントに知らないっすよ?」


「えぇっ、待ってよ。し、真剣。いたってごく真剣っ」


 そんな片桐の戸惑いの言葉すら聞こえていない美波。ぼそりと「犯人は一体、何者なのか……」と呟いた。完全に自分の世界に浸っていた。


「まあ……どんな奴であれ、違和感なく、その場に溶け込んでいたんだろうね」


 片桐も諦めたのか、先ほどまでの話を自らの手で無かったことにした。


 そんな彼の所作に、光莉は呆れた目線を向けた。だが途端、またも閃きがあった。


「もしかして、誰も見ることができなかったんじゃないですか」


「み、見えなかった?」片桐は首を前に出す。


「ええ、怪しまれなかったんじゃなくて、そもそも他の人にはなんらかの理由で犯人を目視することができなかった。だから、いくら盗みに入ろうが怪しまれることはない。これこそまさに、姿なき犯人」


「それ、姿なき犯人の後に、(笑)カッコわらい、が付くでしょ。透明人間じゃあるまいし」


「まぁですよねぇ、すんません。再考します」


「あのぉ……」四度目の呼びかけ。だが、残念にも程があるほどに、片桐の「あのさ」の声と見事に重なって、かき消された。


「じゃあ今度は僕から」片桐は良い案でも閃いたかのように目を輝かせながら、頭の上辺りまで両手を上げた。「こうやってね、アスファルトの壁と同じ柄の隠れ蓑で身を隠し、壁伝いにこっそり移動して家の中へ、みたいな」


「こんなのどう、じゃないですよ。大喜利じゃあるまいし、忍者じゃあるまいし」


「だよねぇ……」


「あっ」またも光莉。「じゃあ、みんな忘れちゃったんじゃないですか。一斉に記憶喪失、的な」


「そんなの、透明人間がいる、と同じくらい、あり得ないでしょ?」


 負けじと光莉。「だったら、マジック。人体消失マジックです」


「完全に人ごと消えちゃってるからね。もはやマジックとは名ばかりの超常現象だからね」


「んじゃあもうあれです、あれあれ。溶けたんです。空気に、日常の風景に、溶け込んじゃったんです。さぁーっと」投げやりの光莉。


 美波の首の動きが止まる。そのまま目を伏せた。


「もはやホラーだよ、エトっちゃん。ていうか、匙投げないで、自暴自棄にならないで。さっきの僕の奥の手が悪かったんなら、謝るからさぁ。お願いだよぉ」


「あのぉっーっ!」もう先がない櫻木は声を大きくした。少しでも遠くまで届くようにと、踵を少し上げてまでいる。


 そのおかげで、三人は会話を止め、ゆっくり振り返った。


 願いの届いた櫻木は「やぁっとだ」と安堵の表情を浮かべながら、足を地面に付けた。


 その反応に、片桐は視線はそのままで呟く。「えっなに、ずっと声かけてた?」


「き、気がつきませんでした」美波も瞬きを増やしながら、視線真っ直ぐのまま答える。


 光莉も同じように前を見ながら、「ええ。さっきから何度か声かけようとしてました」と、逆の答えを出した。


「なのに、エトっちゃん。わざと反応しなかったってこと? えっ、警察ガン無視してたってこと?? うわぁ、いい度胸してんねぇ……」


「名乗らなかった人には言われたくありません」


「そうか、確かにそうだ。こりゃ失敬」


「なんでしょうか?」光莉は口元に手を添え、少し大きめな声をかけた。


「いやもし何か……」


 櫻木が言おうとしたその時、「おうおう」と遅れて反応する自動ドアをくぐったのは等々力。その声がいくぶん大きく、打ち消すように店内に響いた。


「……ん? なにか言ったか、バスケ」


「いえ何も。何も無いっす、はい」櫻木はおかしなくらい首を左右に何度も振っていた。


「そうか」等々力は目線を三人に向けた。「んで、出てきたかぁ、無実の証拠とやらは」


「えっ」光莉は時計を見る。まだ九分ちょっと残っている。


 だが、問いかけ方からして、もう結論を求められているように感じた光莉は、等々力を一瞥した。「……早くないですか?」


「仕事柄、いつ呼び出しがあるか分からないからな。すぐ出られるよう、刑事は早弁になっちまうんだよ」


「いや、そっちじゃなく。いや時間、過ぎてないんですけど……」


「ん、そうか?」


「はい、時間の二十分は、まだ経っていません」


「そうか。でも、もういいだろ。な?」


 まさかの返答に驚きを隠せない三人。


「そんな」光莉は声を上げる。「言ってた話と違うじゃないですか」


 等々力は眉間に皺を寄せる。「だとしても、ここで終わりだ。お嬢ちゃんたちの探偵ごっこに、いつまでも時間使ってらんねえんでな」


「ごっこ遊びだなんて……そんな、違います」


「警察でもなんでもない奴らが、根拠の無い机上の空論やら屁理屈やらを並べ立てよ、推理するから時間を寄越せと言ってきて。これのどこが、ごっこ遊びじゃねえってんだ? 多少なりとも時間やったのは、かなり譲歩してくれてると思えねえのか?」


 光莉は抵抗する。「こっちは人ひとりの人生がかかってるんですよ」


 等々力が顔を寄せてきて、光莉は怖がって少し身を引く。「被害者も、人生かかってんだよ」


 声色のトーンが下がる。低音が怖さを醸し出す。


「いいか。俺らはな、今、犯罪の捜査をしてる。つまり、犯人と被害者がいる、そういう世界なんだ。中には、金品盗まれて、生活に不安を感じている被害者がいる。中にはまだ幼い娘を抱えたお父さんだっていた。命が有って良かったと人はよく言うがな、命が有っても伸ばすための日銭がなきゃ、意味がねえ。そういう人たちのためにも一刻も早く、事件を解決しなきゃならねぇ。俺ら警察はその仕事を……いや、使命を帯びてんだ。もしこれ以上つべこべ言って、捜査妨害すんなら、公務執行妨害でしょっぴくかんなっ」


 声を荒げる等々力。水を打ったように、空気はシィンと静寂に染まった。


「とにかく、あんた」


 片桐は自身を指さした。その素っ頓狂な顔は、えっ僕?、と言っているようだ。


「あったりめえだろ。ほら」片桐の腕を掴む等々力。「署までご同行願いましょうか」


 そのまま引っ張って、出入口の自動ドアへ向かっていく。


 だがそこに美波が立ち塞がる。


「諦めの悪い嬢ちゃんたちだなぁ」等々力はまた苛立ちを見せる。「邪魔すんなら、俺は容赦なくしょっぴ……」


「刑事さん」美波の言葉は強さが込められていた。


「最後に一つ。一つだけ、私のお願いを聞いていただきたいのです」


「時間か? もう伸ばさねぇぞ」


「結構です。時間とは別の、一つだけのお願いです。ですのでどうか、聞いてはいただけないでしょうか」


「嬢ちゃんはこれ以上、何を願うっていうんだよ。いいか? 俺らはな」


「あ、いや、ケンさんケンさん」


 割って入るは、櫻木。その表情は色々な試練や困難を乗り越えてきたのだろうと思える、そんな朗らかさがあった。


「まあ、ね。最後に、っていうんですから、聞くだけ聞いてみましょうよ。ほら、一つだけとも言ってますし……ね?」


 まさかの櫻木が味方をしてくれた。その後押しのおかげもあり、等々力は舌打ち混じりではあったものの、「聞くだけだからな」と応えた。


「ありがとうございます」美波は深々と頭を下げる。「では、早速。お願いというのはこれまで聞き込みした方々に改めて一つ、質問をしていただきたいのです」


「質問?」等々力は片方の眉をひそめる。


「はい」美波は縦に大きく頷いた。


 一方で、等々力は不機嫌そうに首を掻いた。「んな面倒なこと、やってられっかよ」


「そうお思いかもしれませんが、決して損はさせないと思います」


「ミナっちゃんのその感じ、もしかして……」片桐が呟く。


「ええ」


 美波は嬉しそうな、加えて何か確信めいた表情をしていた。そして、フレームに手を添え、位置を正した。


「あくまで、私の推論ですが」

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