8.シークエルはシュークリームとともに

「なんですか、これ?」


 片桐は、カウンターに置かれた白い小さめのケーキボックスをまじまじと見ていた。


「先週のお詫びと協力のお礼で」櫻木はそう答える。「さっき買ってきた、シュクリーヌのシュークリームです」


「えぇっ!?」誰よりも真っ先に、大きく反応したのは光莉だった。


「び、びっくりしたぁ」片桐は胸を押さえる。「何、エトっちゃん。知ってんの?」


 片桐は顔を横に向けて尋ねる。静かに黙っていた美波も同じく。


「知らないんですか、片桐さん? すっごい有名なお店ですよ。平日でもいっつも並んでるんです。雑誌にもよく載ってて、この前なんか美味しいお店ランキング一位、取ってたり」


「へぇ~、そんなに有名なんだ」棒読みの片桐。関心があるのかないのかよく分からない。


「で、そこの名物がこのシュークリームというわけです」と、櫻木は立ち上がって、上蓋を開いた。残る美波・光莉・片桐の三人は、立ち上がって中身を見た。


 姿を現したのは、一個サイズの丸型の金トレーに乗った、大きく膨らんだシュークリーム四つ。トレーの金色にも負けない神々しさがある。


「お、美味しそう……」ぼそりと静かに呟く美波。


「確かに」片桐が反応する。「流石は、シュークリームみたいな店の名前だけあるね」


 櫻木は「見た目の大きさもインパクトありますが、それに負けず、とっても美味しいんですよ」と一個手に取る。そして、「いただきます」と、大きく一口頬張った。溢れ出てくる中のクリームと格闘しながら、「うぅん!」と、眉と口角を上げて唸る。


 片桐は眉をひそめる。「なぁんで刑事さんがいの一番に食べてんのさ?」


「えっ、あっ、ごめんなさい。人数分買ってきたんで、食べてもいいのかなぁって」


「うん、少なくとも最後に食べるんじゃない? 先に食べなくない?」


「すみません。今日忙しくて、昨日の晩から何も食べてなくて。そこに食べ物あったんで、もうつい出来心で……」


「いや出来心って、警察官が言っちゃいけない台詞ナンバーワンじゃない?」


「まあまあ片桐さん」光莉は諭すようになだめる。「ご厚意に甘えて、甘い物いただいちゃいましょう」


「早く食べたいだけでしょ、エトっちゃん?」


「バレました?」


 光莉は、てへっ、と片目を閉じて舌先を少し出した。


「いやぁね、実を言うと、シュークリームがずっと気になっていたというか、ホント食べてみたかったんです」立ち上がり、一個手に取る光莉。「一度並んでみたことはあるんですけど、やっと順番来た頃には、本日分のシュークリームは売り切れ、ってなっちゃって。まだ昼前だったのに。それがもぉかなりショックで。さっき買ったって言ってましたけど、よく手に入りましたね」


 櫻木は少し言いづらそうに話し出す。「実を言うと昔、ある捜査で、まあ結果的にお店を助けたみたいなことがありまして。それから、頼むと特別に用意してくださるんです」


「思いっきり職権濫用じゃねえかっ」もはや呆れている片桐であった。


「うんまぁ!」目が嬉しさで輝いている光莉。頬張ったからか、口の端にクリームが付いている。


「もう食べてるよ。自由だねぇ、我が道行くねぇ。じゃあもういいや、僕も食べるわ」片桐も一個手に取って、早速頬張った。「あっ、こりぁ美味いわ」


 最後に美波が手に取り、小さくパクリと一口食べた。何も喋らなかったが、嬉しそうに目を開いて眉を上げたのを見ると、美味しいのだということは伝わってくる。


「ともあれ、無事に容疑が晴れて、よかったですね、片桐さん」


 両肘をカウンターに立てながら、光莉は片桐に語りかけた。


「ほんと、ニュースで犯人が捕まったってのを見た時は、心底ホッとしたよ。それまでさ、いつ刑事さんが家に来て、僕に手錠かけるかって思うと、毎日気が気でなくて。ワンカップすら呑む気になれないぐらい、もぉーひやひやだったから」


「あっ」光莉はあることに気づく。「そういえば、この前も呑んでませんでしたよね? ほら、刑事さんたちとここで話していた時」


「まあ、それどころじゃなかったからね」


「いや。手にすら持ってなかったじゃないですか」


「あれ、そうだったっけ?」片桐は素っ頓狂な返事をすると、今は持っている傍らのワンカップをじっと見つめた。「あれれ、そうでしたかね」


「覚えていないなら、いいです」


 片桐は腕を組む。「しっかし、本当に宅配業者のフリしていた奴が犯人だったとはねぇ……」


 しみじみとしたそんな呟きに、櫻木も「ええ」と頷き交じりに反応した。「聞き込みしていた他の刑事に確認したところ、実を言うと、宅配便の人間がいた、という目撃証言はどうやら出ていたようでして」


「えっ、あっ、そうだったんですか?」まさかの返答に光莉は反応する。一方の片桐はというと、驚きのあまりに声を失っている。


「実際、他の事件とかでも目撃したりする人はいても、関係のない場合が多く、そのため候補から外しておりました。まさか同じ人物だとは、つゆほども……恥ずかしながら、盲点でした」


「で、逮捕のきっかけはなんだったんです? 確か、犯人は宅配業者の人間ではなかったんですよね? となると、その関係では追えない。ネットで宅配業者風の服を買ったとかニュースで言ってたから、それを辿ってですか??」


 片桐の問いかけに、「あっ、いや。インターフォンのカメラに同じ配達員の姿が映っていましたのでそれで」と、櫻木が答えた。


「けど、フリをしていたとなると、顔が分かっても、追うことは難しかったんじゃないですか? どう捕まえられたんです?」


 こんな機会は無いとばかりに、興味津々に訊ねる光莉。


「実は、配達員のフリをしていた男は、マエ・・があることに、ケンさん……あっいや、うちの等々力が気づいたんです」


 そう言って、最後の一口を放り込む櫻木。


「マエ?」と首を傾げる光莉。片桐はそっと顔を寄せ、「前科のこと」と、こっそり耳打ちした。


「ああ」小刻みに頷く光莉。「結局、前科はあったんですね……てか、えっ、どこでどう気づいたんです?」


「どう、というか、記憶なんですよね」


「記憶?」


「実は、以前にケンさん逮捕したことのある強盗犯だったんですよ」


「え? そうなんですか?」


「ええ、もう数年前のことになりますが、その時も手の込んだ方法で、ってのは変わりはなく、宝石店などを繰り返し襲っていて。その犯人の顔をケンさんが覚えていたんです」


 かなりの確率での出来事だ。犯人はなんとも運が悪かったとしか言いようがなかった。

 こうも考えられた。その命運を握っている神様が見ていたからこそ、捕まえられた刑事とまたも巡り合うという運命を辿ったのではないか、と。

 であるとするならば、悪事というのは出来ないし、隠せない。光莉はそうしみじみ感じていた。


「数年前って……刑事さんって、やっぱ記憶力良いんですね」


「あっいや、あの人は別格に良いんです。警視庁の組織犯罪対策課っていう、いわゆる暴力団だとかそういう人たちと相対する部署に、ケンさんは属してましてね。あの怖い感じのおかげで、裏稼業の人間たちとも対等に渡り合える優秀な刑事だったんです」


 言葉が粗暴だったのはその頃の名残か、と光莉が納得できたが、口には出さずにおく。


「いかに顔を覚えて、町で遭遇した時に、切り札にできるか、が肝心らしく、そこで、人の顔と名前を覚えて、何かあったらすぐ引き出す特技を身につけたらしいです。冗談か否か本人曰く、これまで逮捕してきた人間だったら全員覚えてる、なんてことを口癖のように言ってますよ」


 人は見かけに寄らぬ、とはまさにこのこと。光莉はそう脳裏だけで呟いた。そして、クリームのない皮の欠片を口へ放り込んだ。完食。


「しかしまあ、よくあんな短時間で、宅配業者が犯人ではないかって絞れましたよね」


 櫻木は、美波に視線を向けた。美波のシュークリームは、まだ半分ほど残っている。


「あ、あの時、片桐さんと衛藤さんが、ま、町に溶けたとか冗談で話していました。そ、その時に、周囲に溶け込める人であれば、あ、怪しまれないんじゃないかって思って。しかもそれが、ど、どの場所でも通じたとなると、普段どの住宅街にいても、あ、怪しくもおかしくもない人、ということに、な、なるのではないかと。そこから、け、検討した結果、宅配業者ではないかな、と」


 推論の時とは異なり、緊張を感じる辿々しい喋り方の美波。


「あれ? となると、ヒント的なもの与えていたってこと? ぼっくら、有能~」片桐はうきうきな表情で鼻高々に語る。


「た、ただ可能性ということで、申しますと、ほ、他にも候補はありました」


「例えば?」


「ひ、引越業者です」


 口を少し開き、「あぁ」と頷く光莉。「確かに、空の段ボールとか幾つ持ってても、怪しまれにくいね。なんなら宅配業者よりも」


「し、しかし、引越業者ですと、大ごとですからね、や、家主に聞かれる恐れがあります。そうなると、台無しです。それに、ひ、日があいても連日でも、同じ家の前にいると、あ、怪しまれやすくなるリスクもあります」


「確かに引っ越しってなれば、噂になるもんね。それが共通点にもなりかねないし、実際に引っ越さないと分かれば、一気に怪しまれる。それに、引越業者が連日もいたり、日を跨いで同じ家の前にいたら、まさか盗みに入っているとは思わなくても、気にはなるかも。それこそ、覚えられちゃう」


「他にも、て、偵察のし易さや留守かどうか調べるという観点からみても、た、宅配業者のほうがメリットがあるかと思いました」


「盗む量は限られるかもしれかいけど、バレにくく、かつ怪しまれないことに重きを置いていたとすれば、なりすますのは、宅配業者のほうが適してるね」


 光莉の確認に、美波は「ええ、仰る通りです」と頷き交じりに返して、いつのまにか最後の一口となっていたシュークリームを頬張った。


「いやはや、凄い推理力ですね」櫻木は拍手しながらそう言った。


「す、推理だなんて。そんな大それたものでは……」美波は照れながら、肩をすくめ、目線を落とす。「ふ、不要に考えてしまうだけです。ただの、妄想です」


「そんなことないですよ。限られた情報のみを頼りに、このランドリーの中で、解いてしまったんですから。凄いです」櫻木はこれでもかと褒めちぎる。「ちなみにですが、ご家族に警察関係者とか、いらっしゃるんですか」


 藪から棒、とはまさにこのことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る