第2話 猫背の女~気になるあの人は、ドッペルゲンガー? それとも、多重人格者? 奇妙で異様な姿勢に秘められた、悲しき真実…… 隠したかった事とつかなくてよかった嘘~
1.あれから、というもの
「と、思いますよね?」
どこか自信ありげな光莉。カウンターについた両腕に体重を乗せ、前屈みで立っている。
垂れ流されているラジオにも耳も傾けず、二人は話に花を咲かせていた。それは、今日流れているのが野球中継の延長であるからとか、そのせいでマスモリ特急便の放送が無くなったから、とか、そういうわけではない。
「コインランドリーって実は、数、増えてるらしいですよ」
カップアイスをすくう木のへらを片桐へ向けた。光莉よりも少し左手、入口から遠い方に、彼はいる。
「へぇ〜、減っているのではなく?」
カウンターに片肘をつき、手に顎を乗せている片桐。傍らには開けたばかりのワンカップと、年季の入った文化小説が置かれている。つまみもないというのに、酒はもう半分にまで減っていた。
ええ、と光莉は頷き交じりに返答する。「理由は色々とあるにはあるみたいなんですけど、その一つに共働き世代が増えたせい、というのがあるらしくて」
実のところ、会社の人間と雑談を交わしている中で聞いた内容なのだが、光莉は我が物顔で語り続ける。
「そっかそっか。勤勉な日本人は帰り遅いもんね。残業至上主義だもんね」
かつて耳にしたことのない主義に、光莉は眉を軽くひそめた。
「その人の仕事が終わったとしても、なんとなく定時で帰ることに対して、白い眼で見る阿呆者が多いでしょう。なんていうんだっけ……あの……あっ、居残り残業?」
「付き合い残業、ですかね。居残り残業は、頭痛が痛い、的な感じになっちゃってます」
ははは、と片桐は軽く笑うと「そうだよね、確かに」と反応すると、「まあとにかく」と続けた。「残業したりさせられれば、必然的に家に帰る時間は遅くなる。揺れと音の響く洗濯は夜遅くにすると、近所迷惑になりかねないからね。なかなかし難い」
片桐の言わんとしていることに、なんとなく理解した光莉は、続ける。「夜に洗濯機を回したことで、ご近所トラブルになった、なんてのもあるみたいですよ」
光莉は脳内で実体験者こと会社の上司の顔を思い浮かべながら話した。
気に入っていた部屋からの引っ越しを余儀なくされた、という結末を語る上司の哀しげな表情と丸まった背格好は、記憶によく残っていた。
「だから、夜間でも気兼ねなく回すことのできるコインランドリーに需要がある、というわけか」
片桐のまとめに、光莉は「それに」と続ける。「洗濯って先延ばしにしても、まあ許されるっちゃ許されるじゃないですか。だから、週末にまとめて一度に洗うってことも、可能になります。大きな洗濯機ならば尚更」
はぁ、と感嘆の息を漏らす片桐。「そう考えると、コインランドリーってのも、捨てたもんじゃないね……って、僕はそれを話そうと思ってたんじゃないの」
長らく乱れていた会話の流れと場の空気を改めて整えるため、「えへん」と敢えて声に出して咳払いした。茶色のミディアムパーマが揺らしながら、光莉は視線を向ける。
片桐のその少し神妙な面持ちから、どうやら喉の調子を整えるためのものではない、というのは感じ取れたが、光莉はアイスを食べる。
「エトーちゃんさ」
「ふぁい?」とりあえず語り終えた光莉は、口に木のへらをくわえていた。
「あれだよね、すっかり馴染んでるよね」
「ほうへふか?」閉じた唇から、へらを抜いた。「そうでもない気がしますけど」
「ああ、そう。そうなのね」
片桐は少し視線を落とし、無精髭を口周りから顎にかけて巡るようにさする。続けて、「ここに来て、どれぐらい経ったっけ」と尋ねた。
「そぉ、ですね」そう呟きながら、光莉は目線を天井に向けた。「一ヶ月、くらい……にはなりますかね」
「だよね。それぐらいになるよね」
「それがどうかしました?」
「うぅんとね」
片桐は右足つま先で左太もも辺りを不器用に掻いた。少し間を空けて、片桐は意を決したように眉間に皺を寄せ、そして光莉を見つめた。
「……洗濯機は?」
「あえ?」相対して、光莉は掬ったアイスを口へ運ぼうと半開きにしている、というなんとも間抜けな姿と返事であった。
「ほら。確か、壊れたから、買い替えるまでの間、みたいな感じじゃなかったっけ。ここ来た時」
「ええ。けど、まだ買ってません」と、また一口食べる。アイスにはぼこぼこと穴が開いていた。
「だよねー、想像通り」片桐の表情が和らぐ。「買ってたらわざわざ来ないもんね」
「それ、片桐さんが言いますか」
痛いところをつかれたとばかりに、片桐は口を噤んだ子供のように、真一文字に強く閉じた。
「……エトーちゃんさ」
「なんです?」また一口。
「もしかしてだけど、買ってないんじゃなくて、
「……すみません。言っている意味がよく分からないのですが」
「ほら、ここの居心地良くなっちゃったんじゃないの? もう我が家と言わんばかりにさ、カウンターにもたれて、アイス食べちゃってるし」
「いやだなぁ、違いますよ」身体を少し起こしながら、顔の前で手を振る光莉。「単純に今、気に入ったものがなかなか見つからないだけです。折角高い買い物するならやっぱ満足したうえで買いたいじゃないですか。それに、アイスなら家でも食べられます」
「いやいや、ちょっと単価の高いコンビニで買って、普段食べないところで食べるってのが、なんというか背徳というか、幸福度増したご褒美っていうかそんな感じしちゃうじゃない? 味わっちゃってんじゃない、ダブルの意味で」
「それは、その……違いますよ」
想像したことはなかったが、あながち間違っていないのではないかとふとよぎり、否定までに時間がかかった。
「その反応の遅れが、何よりの証拠さ」片桐はどこか勝ち誇ったように満足げな表情で、ワンカップを傾けた。「まあ君も、このサンサンランドリーに囚われの身となっているわけだ」
「囚われの身?」言い方に光莉は引っかかった。「それはどういう?」
「いやぁ、ここってさ、まあちょっと、その……」時間を稼ぐように、片桐はゆっくりと酒を呑んだ。「古い感じじゃない」
「悩んだ末に直球ですか」光莉は目を細める。「せめて、レトロって言いましょうよ」
「勿論ね、意図してやっているのならレトロ、と呼ぶよ? けどここは、意図せず、でしょうよ。出入口の引き戸の軋み具合とか、転々に置かれた青いベンチの錆びつき具合とか、天井の蜘蛛の巣の張り巡らされ具合とか」
片桐は指を折りながら数えていたが、途中で「あげればキリがない」と放棄した。
「まあとにかく……間を取って、古めかしい、ということにしておいて。ここはそんな雰囲気でしょ? 分からなくないよ。僕なんて、なぁんもないのに、つい来ちゃう。まるで電柱に群がる虫々のように惹かれる」
光莉は眉をひそめた。「嫌な表現しますね」
「あれ、虫嫌い?」
「苦手です」
「同じ意味さ」
嫌な単語を追い払う。ついでに、自動ドアを一瞥した。ひと気のないことを確認し、視線を戻す。
僕なんて、なぁんもないのに、つい来ちゃう……
すると、光莉の脳裏に控えていた違和感が蘇るように呼び起こされた。
「片桐さん」
「ん?」
「さっき、何もない、と言ってましたけど、何もないって何が無いんです?」
「……どうした、唐突に。禅問答か何かかい?」
「違います。とにかく、何が無いんですか」
「そりゃあまあ……ヨウジだよ」
「ヨウジ?」
「ああ。用いる、もの事で、ヨウジ」
用事……漢字が脳に浮かんだ。光莉は片桐の周辺を目で追い、再確認した上で、改めて問いかけた。
「洗濯物……持ってきてます?」
「いいや」
光莉の瞬きは自然と増える。予期していた、予想できていた答えだった。が、動揺は収まらない。
つまり、洗濯をしないのに、片桐はコインランドリーにいる、ということを意味している。
「……今日は、ですか」
「いいや、いつも。家にあるからね」
「何が?」
「そりゃ、もちろん。
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