6.あくまで、私の推論ですが
「では先程までの話をまとめますと」
美波は淡々とした口調で続ける。それに、光莉と片桐はじぃっと聞き入っていた。
「投稿者であるフットボーラーさんとそのご友人は、雨の降ったその日、ホテルの3階で待ち合わせをしていた。お互い、待ち合わせ時間には着いていたというのに、会うことができなかった……というものだったかと思います」
座っている光莉たちの前を、左右に歩きながら語る美波の口調は、澱みのない流暢なものであった。先程までとは打って変わりつっかえることがない。
気持ち、どこか背筋も伸びているように見えた。その姿に、まるで人が変わったようだと、光莉は思っていた。
「だから、パラレルワールドに行っちゃってたかも〜、って思ったっていう話だったよな」
「ええ。しかし、結論から話してしまえば、フットボーラーさんは、パラレルワールドに行った、わけではないと思われます」
「だよね、むしろパラレルワールドです、なんて言われたらどうしようかと思ってた」
「その根拠は複数ありますが」片桐のお喋りにも美波は構わず続けていく。「そもそもの前提として、このホテルがブリティッシュ、すなわちイギリス系のホテルであるということを認識しておかなければなりません」
「ん?」光莉はその言葉に引っかかりを感じ、思わず眉をひそめた。「なんで、イギリス系だって分かるんです?」
「あっそれは」美波はそう言って、スマホを見せた。「今、調べたので」
画面には、公式ホームページが出ていた。左上のホテル名が書かれているところには、ロゴのようにイギリス国旗が描かれており、確かにイギリス系であろうと思われた。
「あっいや、どうしてホテルの名前が分かったのかなって。だって、ラジオの中でホテル名は読み上げられていなかったと思うんです。強いて、都内ってことぐらいしか言ってなかったですよね?」
「いえ、ヒントは他にもありました」
「え?」
「まず、フィッシュアンドチップス。メインパーソナリティのマスオカさんは、フィッシュアンドチップスの名前が出た時に、有名、だと反応しました。マスオカさん自体は、アシスタントからメールに書いてあるのを見ています。つまり、ホテルの名前を知っている上で、有名だと反応した、というわけです。ならば該当のホテルは、フィッシュアンドチップスを売りにしているか、口コミなどで高評価を得ている可能性が高い。加えて、当日サッカーの試合をパブリックビューイングテイストで観戦できることと、フィッシュアンドチップスの知名度が高く、そして都内に構えている。この三つの要素を兼ね揃えたホテルを探してみると、九つにまで絞ることができました」
「けど、それでもまだそんなに残ってますよね?」
光莉は尋ねると、分かっていたように「ええ。なので、今度は天気について考えてみます」と美波は返し、続けていく。
「フットボーラーさんは、予報にはない雨、と話していました。家もしくは会社の近所だからか、ホテルに行くからなのか。いずれにしろ、わざわざ天気予報を事前に確認していたことが分かります。つまり、その時点では、雨が降ることは知られていない、突発的な雨天であった可能性が高い。直近で調べてみますと、数日都内のある地点で、予報にはない雨が短時間降った、との記事がありました。その地点と先程のホテルの位置とを組み合わせてみると、そのうちの一日について、見事に一つに絞ることができた、というわけです。ちなみに、このホテルには、バーが二つあります。2階と3階にそれぞれ」
「な、成る程」
「意識してなのかしてないのかまでは分かりませんが、電車で来る友人、傘を持っていない、雨に濡れた、といったことを仰っていました。それらを踏まえて考えると、フットボーラーさんは電車以外でホテルまで向かったこと、そして仕事場からホテルまでは近場、つまり徒歩圏内にあり、おそらく歩いて向かったのではないかということが推測できます」
だから、エントランスからホテルへ入ったのか。光莉は頭の中で、独りで呟き、納得する。
「また、アクセスについてのページへ飛びますと、どうやら電車からは直接ホテルに行ける地下道があるようでして。そこはホテルの実質2階に繋がっていると記載があります。雨も降っていましたから、ご友人はおそらくこの地下道を使ったのだと思われます」
並べられていく情報に遅れを取らないよう、光莉は必死になる。
「改めてですが、今回のホテルがイギリス式であること。これこそがこの不可思議な現象の謎を解く重要な要素となります」
光莉の頭の中では疑問符が浮かんでいた。
「それでですね」美波はおもむろに、片桐のスマホを操作する。「これがその鍵となるのですが……あった」
そして、横向きにして、二人に見せる。
「こちらをご覧下さい」
光莉と片桐は身体ごと、ぐっと近づけ、凝視する。
美波が再生ボタンを押して流したのは、一般人がホテルの中を映した動画。ホテル好きの一般人が様々なホテルへ訪問し、内外観や宿泊部屋、レストランやパブリック施設を主観的な撮影方法で、ところどころに字幕を使いながら、個人的に紹介するといったものだった。
動画の人はエントランスから入り、エレベーターへ向かう。そして上層階にあるレストランへ向かうために乗り込むと、ボタンを押そうと手を伸ばす。
「ここです」美波は画面をタップし、動画を止めた。「答えはこの中にあります」
と言われても、というのが、「ごめんなさい」と発言した形で表れた光莉であった。
「正解はこちらです」と、美波は画面を大きくした。
そこに映るのは、エレベーターの階数ボタンであった。画面上から3、2、1、と数字が並んでいる。その下には、G、B1、B2、と。
「ん、G?」
普段見かけないボタン表記に、光莉は思わず呟いた。途端、何かに気づいた片桐は「あっ、そっかっ」と声を上げた。
「ええ、そうです」
まだ唯一分かっても気づいてもいない光莉は鳩が豆鉄砲を食ったみたく、瞬きを繰り返していた。
「我々日本人が普段触れている英語は、アメリカ式であることが多いです。このホテル自体がイギリス式ということもあり、エレベーターのボタンもイギリス式となっています」
「アメリカ式とイギリス式では何か違いが?」光莉は尋ねる。
「ええ」
よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりの微笑みを浮かべる美波。
「様々にありますが、例えば単語や表現や……数え方」
「数え方?」罠にはまっているかのように、質問をする光莉。
「アメリカ式の場合、エレベーターでのボタンは、1階は1階と表示し、それ以降も同様の表し方をします。我一般的な数え方として、慣れて使用している形式です。しかし、イギリス式の場合、これが少し異なります。イギリス式ですと、1階のことはG、グランドフロアという形で表すんです。そして、2階のことを1階、3階のことを2階、以降の階数も同様に1階ずつ、アメリカ式とはズレた形で表記していくんです」
「てことは、つまり……」
「お察しの通り。あの二人は、
「そもそもだけどさ」片桐は腕を組む。「バーの名前とか、事前に伝えとくもんじゃないか普通。幾つかあるなら尚更ね」
「まず、予約をしたのは、フットボーラーさん、とのことでした。もしかしたら、当然に会えると思ってなんら疑わなかったがために、お店の名前は伝えていなかったのかもしれません。口頭か文面かは不明ですが、あくまで、ホテルの3階に集合、ってことを伝えていたのだと思います。そしてそれは実際の階数を、言い換えれば、エントランスのある地上階から3階上、というニュアンスで、知らせていたのではないでしょうか。しかし、ご友人は忘れてしまったのか、それを単純な表記としての3階と認識してしまい、結果として齟齬が生まれてしまったのかも」
「わざわざ地上から何階なんて面倒臭い言い方をするかね?」片桐は聞き返す。
確かに、と心の中で呟く光莉。
「言い方は定かではありません。ただ、フットボーラーさんは、少なくともイギリス式の表現や概念は知っていたと思われます。ラジオネームをイギリス英語にするくらいですから」
「まあ確かに普通は、サッカーって言いそうだもんなぁ。てか、試合のことはサッカーって言ってたし」
片桐の共感に、ああそうか、と光莉も頷く。サッカーではなくフットボール……抱いていた違和感の正体にようやく気づくことができた。
「そう考えると」美波は続ける。「おそらく近しい表現か言い方をしたのでしょう。そうでなければ、そもそもあんな稀な現象が起こるなんて考えにくいですからね」
片桐は何を発するわけではなかったが、ただ神妙な面持ちで小さく頷く。
「ここで少し、ご友人の行動を読み解いてみようと思います」
美波は「このホテルのフロアマップを見ると」と、スマホの画面を見せてきた。
「ご友人は電車を降りると、雨を避けるため、直接繋がっている地下道へと歩いていきました。駅の壁か何かにホテルに繋がってます、という表記を見れば、階数の違いなどには気づかず、そのまま向かっていってしまった。ホテルへ入ると、1階の階数表示をかたわらに見ながら、目の前にあるエレベーターへと歩みを進めていきます」
「エスカレーターを使っている可能性は?」
光莉は、粗を探そうとかそういうわけではなかったが、試しに訊ねてみた。
「無いとは言い切れません。しかし、エスカレーターまでは少し距離があります。一方のエレベーターはほぼ目の前にあり、その上、六台も設置されています。今いる場所から2階分登ること、そしてエレベーターの台数の多さを考えると、さほど待たずに使える、とエレベーターを選ぶ可能性は通常より高いと思われます」
「成る程……」
「エレベーターに乗ったご友人は単純に、3、と書いてある数字を押した。おそらく、Gの表記は目に入っていなかったのでしょう。もしくは、特段気にしていなかった。あくまで目的は、3階に行く、ということですからね。そして、3階に到着。バーの名前は分からなくても、バーらしき店はあるので、ここで間違いないと思って、店の前で待ち続けていた。これが、今回のパラレルワールドの正体、ということだと思います」
美波は「すべては」と言いながら、髪を耳にかけた。
「あくまで、私の推論ですが」
途端、洗濯機が鳴り、皆の視線が移る。光莉の場所だ。見ると、ぐるぐると回っていた洗濯物が落ち着いていた。
「ちょうど終わったようですね」
そのタイミングがまるで、全問正解、と洗濯機が言っているみたいであった。
光莉は「おぉ」と感嘆の声を上げながら、拍手をする。美波による全ての語りに対して。それに、数少ない情報の中で、ここまでの内容を導き出したことに対しての尊敬で。
美波は人が変わったように急におどおどしだす。まるで、先程まで語っていたのが別人格であるかのように。
照れ臭そうに「き、恐縮です」と、けどどこか嬉しそうに微笑みながら、てへへと髪を撫でる仕草をする。
「よくご存知ですね。イギリス英語とか、アタシ聞いたことなかったですよ」
「いやぁ」美波は照れ臭そうに髪を耳にかけた。「この間、学校の授業で偶然出てきたんです」
「てことは、今、学生さんてすか?」
「はい。大学生です」
年齢や立場の問題ではないことは分かっているが、大学生だというのにしっかりしていることに感心すらおぼえていた。
「あっ、すみません。どうぞ」
手で示されたのが洗濯機の方であったために、光莉は洗濯が終わったことを思い出す。
光莉は「あっ、どうも」と立ち上がり、洗濯機へと近づく。
引き蓋を開けると、濡らされ脱水された洗濯物が真ん中辺りにちょこんとまとまっていた。
絡まった洗濯物を軽く振りながら解いて、エコバッグへと詰めていく。
「オチは、単純なとこに落ち着いたな」
片桐は猫背な姿勢を起こし、大きく伸びをする。傾聴していたがゆえ、身体が同じ姿勢で固まっていた背骨の下から順に小さくぼきぼきと鳴る。
「まあ、無事に楽しくご飯食べれたとか言ったし、大したことと思ってないんだろうけど」
「確かにそうで……ん?」
美波の返事が途中で止まる。全て入れ終えた光莉が振り返りざまに見る。美波の目線は落ちて、まるで横書きの本でも読んでるかのような、左から右への視線移動をずっと繰り返している。脳内情報が動き回っている様子。
「そうなると……うん、やっぱり話が繋がらない。整合性がつかない」
ぶつぶつと呟いている。
「どうしました?」光莉は少し覗き込むようにして尋ねた。
「あの投稿メール、少々おかしなところがあるんです」
美波は顔を上げると、二人に向けて、そう告げた。
「おかしい、というのは、投稿者の身に起きた現象が、ではなく?」
「ええ。おかしいのは、
「ぶ、文章、ですか?」
あまりに唐突な、これまでのベクトルとは異なり過ぎていたがために、光莉は少し言葉をつっかえながら、首を傾げた。
美波は「はい」と、はっきりと首を縦に振った。
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