馬鹿

伊瀬谷照

───


 俺とそいつは、幼なじみだった。

 幼稚園からずっと一緒。それは、こんな田舎町では決して珍しくない。しかしアルバムを見てみればそいつと並んで写っている写真が多いから、昔から仲は良かったんだろう。

 田んぼにチャリで落ちたり、ジャングルジムから飛び降りて歯を折ったり、どうしようもない馬鹿でお調子者だったけど、一緒にいるのは楽しかった。


 そいつは筋金入りのスポーツ好きで、小学校に入ったとたんサッカークラブに入って、毎日ボールを追い回していた。対して俺は、公園の隅で虫取りや植物採集をしているようなタイプだった。だから自ずとふたりで話すことは減っていったけど、帰り道で会えば肩を組んで、石を蹴飛ばして、散々騒ぎながら家に帰った。


 あいつは祖父母と、年が離れた妹と4人暮らし。

 母親に産み捨てられたとか、父親が借金まみれで夜逃げしたとか、狭い町に色々な噂が飛び交っていたが、本人に聞いたことはない。興味はなかったし、あそこのじいちゃんもばあちゃんも優しくて、妹は可愛くて、あいつは家族を大事にしていた、俺はそれだけ知っていれば良かったんだ。

 ただ、あそこのじいちゃんたちは少し遠くに畑を持っていて、そこまで毎日通わなければならなかった。

 だから妹を幼稚園に迎えに行くのは、大抵はあいつの仕事。

 サッカー部の奴らが、「妹を迎えに行く」と言って、度々部活を早退けするあいつを指して、サボりたくて嘘をついているのではないかと言い出したこともあった。

 俺は流石に腹が立って、いつも教室の隅で本を読んでいる癖に、それは違うとか細く声を上げた。でも視線に耐えかねて、それ以上は続けられなかった。


 小学校中学年くらいから、元々喧嘩早いところがあったあいつは、いつも誰かといさかいを起こすようになった。

 ちょっとのことで……いや、詳しい理由は俺は知らないことが多かったから、あいつにとっては「ちょっとのこと」じゃなかったのかもしれない。殴り合いの喧嘩をしたり、硝子を割ったり、教師を挑発したり、虚言が増えたり、危なっかしいことばかりしていた。

 俺は喧嘩の仲裁をする度胸なんて無くて、教室の端でそれを眺めて、飛んだ硝子を片付けるくらいしか出来なかった。あいつはいつも殺気だっていて、話をする機会も無くなった。クラス中が、あいつのことを嫌がって避けていた。

 俺はや今も昔も陰気で臆病者だから、あいつにもクラスメイトにも、なにも言えなかった。


「家で何かあったのか?」

「あいつは悪いやつじゃないんだ」


 ずっとずっとそんな言葉が頭の中で、胸の内で、渦巻いて膨らんでいた。あいつとは卒業以来会うこともなくなったが、それでもふとしたときに、言えなかった言葉とあいつの顔を思い出した。

 どうしようもないくらい馬鹿なだけだったあいつは、どうしようもない鬱屈を周囲への反発でしか晴らせなかった。俺にもう少し勇気があったら、何かが変わっていたかもしれない。そんな後悔だけが重く溜まっていく。


 再会したのは、成人してから数年が経った、雪が降る冬の日だった。全くの偶然、駅でばったりと顔を合わせた瞬間、同時に大きな声を出した。

 あいつは少しも変わってなくて、デカイ身体に子どもの顔が乗っかっていた。昔通りの悪ガキ染みた得意気な顔であいつは笑い、「なあ、飲もう」と、ちょっとだけ眉を下げて、照れ臭そうに言った。

 居酒屋で向かい合わせになった彼は、整備士の仕事をしていると話した。中学で機械いじりに目覚めて以降、そちらの道に進むことを決めたらしい。

 俺も自分の近況を話して、熱燗で冷えた身体を温めながら、久しぶりに話に華を咲かせる。こいつはやっぱり話はオーバーだし、お調子者で馬鹿だった。


「俺が10歳のとき、ばあちゃんが病気になってさ。あと親父が現れて金せびってきたり……」


 教室で暴れることが増えたとき、家は随分な騒動に見舞われていたらしい。父親への苛立ち、祖母の病気に対する不安、色んなものが混ざりあって自分を追い立てていたと、こいつは静かに語った。

 今はばあちゃんも元気になり、両親とも完全に縁を切った状態だとか、妹は高校生になったとか─こいつは数秒前までの静けさはどこへやら、お調子者らしい笑顔と大声で笑い、酒をあおり始める。

 俺は「なにも言えなくてごめん」と言おうとしたのだけど馬鹿馬鹿しくなってやめた。こいつは俺の言葉なんてなくたって自分の足で立って、ここまで生きて来たんだ。何か出来たかもしれないなんて、俺の驕りだ。


「なあ」


 空になったグラスがテーブルに置かれ、なにやら真剣な光を宿した瞳が俺をじっと見る。


「……なんだよ」

「ガキの頃は言えなかったんだけどよぉ」


 にか、と現れた歯が日焼けした顔によく目立った。


「ありがとな、お前が言おうとしてたこと、分かってたよ」


 不意打ちの言葉に、俺は酒を吹き出しかけた。気恥ずかしさとか嬉しさとか色んなものが一気に身体中をめぐって、それが同時に口から出ようとするものだから、渋滞して言葉がなかなか出てこない。

 色々言いたかったことがあったのに、ようやく出てきたのは一言だけだった。


「馬鹿」





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馬鹿 伊瀬谷照 @yume_whale

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