「ろくでなし」の歌声
カトウ レア
第1話
テレビで動いている姿を見たことがないけど、カラオケの画面でよく見た歌手がいる。カラオケの映像のご本人登場の場面で、わたしはよく越路吹雪を見ていた。友達の持ち歌の「愛の讃歌」のときに。若い頃、よく越路吹雪のCDを晩酌しながら聴いていた。わたしに越路吹雪を教えてくれたのは、誰だったかな。
そうだ、そうだ、進学したわたしは、身内に借りた入学金を返す為に歌舞伎町の会員制クラブに勤めた。初めての水商売。まあ、知り合いのお店で手伝い程度の経験はあったけど、お店のレベルが違った。
勤め先は、座ったら五万円くらいの高級店で、支払いはみんなカード払いで、お店の中で現金なんか一度も見たくなかった。今はもうないけど新宿駅から向かうと、区役所通りを歩いて、坂を登ってすぐの雑居ビルの六階にあった。通りをはさんでコージーコーナーが見えた。
そこで、福岡の小倉出身の先輩のホステスのお姉さんが歌う、越路吹雪の「ろくでなし」が絶品だった。あだっぽくて、どっか悲しくて。すぐにわたしは原曲を聞きたくなった。お姉さんの身の上話を少し聞いたことがあるが、両親はいなくて祖父母き育ててもらい、高校卒業とともに兄弟を養う為に福岡の中洲でホステスとして働き始めたらしい。福岡、名古屋、そして歌舞伎町へ。
あのお姉さんはあの頃は三十代前半かな。毎日、髪をセットし、着物着て、タクシーで通勤していた。ドラマに出てくるような、いかにも仕事慣れしているホステスに、わたしは見えた。色が真っ白で演歌歌手の藤あや子にどことなく似ていた。わたしのような時給制のアルバイトではなく売上制のホステス。だからお客さんが店でツケで飲んだら、ツケ、売掛金も自分で回収する。入る見入りは大きいが、もしも回収出来なかったら、大変だ。
あるときから、急にママとお姉さんが二人きりで深刻そうに話をしているのが増えていった。あれは、お姉さんを店で見た最後の日の出来事。
酔いにまかせてしつこくお姉さんをさわるお客さんがいて、いつもうまくあしらうお姉さんが、珍しく怒った。その日は洋服だったけど、急に自らの手で上着をぬいで、そして下着をぬぎだし、お客さんに乳房をさらし、たんかをきった。「見たいなら見てよ」と。その日はママもお客さんと食事に行くから早くあがり、ホステスはわたしのみ。わたしも接客していたから、細かくは、やりとりを聞いてなかったけど、もう、びっくり。ただ、固まっていた。わたしは温泉以外で他人の乳房見たことなくて、目を白黒させるしかなかった。照明を落とした酒場に、真っ白い丸いきれいな乳房がぼんやりと浮かんだ光景は、今でも覚えてる。
その後ママの話を聞いたり、本を読んで少しわかったけど、お客さんのツケを回収出来なかったホステスは、何が何でも返さなきゃいけないことを。水商売より短期で稼げる世界か。お姉さんは、もしかしたら逃げたかもしれないし、物語の結末は誰も知らないけどね。でも、あのお姉さんが無責任なことをするとは、思えない。あのときのわたしは、ただ小娘だった。思い出して、書きながら、お姉さんの歌う哀切な響きがする越路吹雪の「ろくでなし」の歌が、かすかに聞こえてきたんだ。不思議に。
「ろくでなし」の歌声 カトウ レア @saihate76
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
方向音痴とわたし/カトウ レア
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます