31.純白の悪魔

 ジャグジの上にのし掛かった純白の悪魔に対し、僕は咄嗟に突進した。

 だが、その悪魔はジャグジの腕を踏んだ足をすぐにどける。地面を蹴り、僕の突進を避けた。


「ジャグジ!」

 僕は倒れたジャグジを抱え上げた。


 ジャグジの腕からはだらだらと血が垂れ、背中の方にだらんと曲がっていた。

 ジャグジの顔は真っ青になっている。


「冷たい」

 ジャグジの肌から、さっき僕の背に乗っていた温もりが感じられない。それどころか、冷やりと冷気のようなものすら伝わる。


 だが、息はしている。冬の凍る日のような白い息を吐き、ジャグジが呻いた。


「く、うう……」

「大丈夫ですか!?」


 突然の出来事に、口調が敬語に戻ってしまっていたが今はそんなことを気にしているところではない。

 ジャグジを抱えたまま、僕の突進を跳躍して避けた純白の悪魔を目で追った。


 純白の悪魔は、炎に拘束された亜人の元に降り立っていた。


 辺りの暗い洞窟の中でも、純白の悪魔の毛並みはツヤツヤと輝いている。長い兎のような耳の間から伸びる角は真っ直ぐ伸びる一本角で、それがまた純白の悪魔の存在感を強めていた。

 それを見て、僕は不覚にも目を奪われた。あの純白の悪魔の、そこにいるだけで他の存在を圧倒する姿の美しさに。


 純白の悪魔が亜人の頭を片手で摘んで、立たせた。

 亜人の身体に巻きついていた炎が、みるみるうちに消えて行く。


 純白の悪魔は、つまみ上げた亜人から手を離した。

 亜人が自分の足で地面に立った瞬間、純白の悪魔が行った行動に目を見張った。


 純白の悪魔は、その身を翻したかと思うと、亜人に向けて回し蹴りを見舞ったのだ。


 側頭部を思い切り蹴られ、吹き飛んだ亜人は壁に激突する。その衝撃で、また天井から岩が落下してくる。

 僕はジャグジをしっかりと抱え、落ちてくる岩を避けた。


「おいおいおいおいおいおいおい!」

 大声が洞窟内に響いた。


「中途半端な命令してんじゃねえよクソダボが! 拘束しろだあ? 殺せでいいだろ、クソが! よく考えろ!! おい、ダ・シガー!! あの亜人、ぶっ殺していいか!? ああ!?」


 耳をつん裂くかと思う程のその怒声が、純白の悪魔の発した物だとわかるまでに少し時間がかかった。


 ユカリと戦った時、ユカリは喋らなかったものだから少しだけ勝手に勘違いをしていたが、そうか。人間態のユカリも、おぼつかないとは言え喋れるし、僕だってそうだ。


 悪魔は、喋るのか。


「……ちっ、わかったよ。クソめんどくせぇ。折角楽しめると思ったのによーお? 次はしっかりしろよ、クソダボが」

 純白の悪魔は地面に唾を吐き、今気づいたという風に僕の方を見た。


「おめえが侵入者の悪魔か。おめえが抱えてる奴が契約者か? 違ぇな。契約印がなかった。奴隷か? なかなかマブい女だしなあ」

「違う。ジャグジは……」

 僕は言葉に詰まった。


 ジャグジ……。

 今は協力者ではある。だが、同時に簡単には許せない敵でもある。


 咄嗟に助けてしまったが、元々ジャグジが死んでも僕は構わなかったはずだ。ジャグジとの戦いの時だって、悪魔の力に酔っていたとは言え、僕は一度彼女を……。


 僕は黙ってジャグジを、崩落した天井から少し離れた壁にもたれかけさせて寝かせた。


「おい、無視か。ひひひ、無視は嫌いだなあ、俺は」

 純白の悪魔が、肩を震わせて嗤った。


 そんな中、壁に打ち付けられた亜人が、ふらふらしながらも立ち上がり、純白の悪魔の横につき直る。


「契約者は不在。ちょうどいいな。少し遊ぼうぜ」


 純白の悪魔は、先程僕の突進を避けた時のように、地面を蹴り跳躍した。

 僕は純白の悪魔に向けて口を開け、炎を吐く。


 亜人たちと同じように炎を使い、拘束するつもりだったが、炎は純白の悪魔に届くことなく、勢いを弱め消えてしまった。


「なんで!?」

 思わず叫んだ僕の顔面に、純白の悪魔の膝が入った。

 地面に倒れ込む。鼻を思い切り蹴られた。立ち上がった瞬間、ポタポタと鼻血が地面に垂れる。


『おいユイト! おい! 聞こえるか!』

「はい、聞こえます!」


 スフィさんの声が、バイオフォンを通して聞こえてきた。いや、さっきからも何度か聞こえていたのだが、現場で起こる対応に必死で、スフィさんに対して返事をできないでいたのだった。


『今どうなってる? さっきその亜人、カジャロプって言ったのか?』


 確か、まだ純白の悪魔が姿を表す前に、亜人がそんな名前を口にしていた気がする。あの時は突然で頭が追いつかなかったが、あの亜人の口から出た言葉は、スフィさんやルビーが僕やユカリに命令する時の文言と一緒だ。


 つまり、あの亜人が僕の前で下品に嗤う純白の悪魔、カジャロプの主人?

 だが、それだとカジャロプは自分の主人を思い切り蹴っていたことになる。


『ダ・シガーの考えそうなことだ。ルビーをお前の契約者にしたのとは全然違う。亜人なら使い捨ての悪魔のマスターには最適だ。悪魔に命令することで悪魔の力を底上げできるだけじゃない。訓練された亜人なら、悪魔に何をされようと文句を言わない』

「なんだよそれ……」


 僕はカジャロプを睨みつけた。その視線を受け、カジャロプはぐるりと首を回した。


「んだよ、来ねえのか? つまんねえなクソダボが」

 カジャロプは今度は大きく息を吸い込む。カジャロプの胸が大きく膨らんだかと思うと口を尖らせた。


「ブウウウ」


 カジャロプは僕に向けて息を吹きかけた。カジャロプの口から出た息は、瞬く間に地面を凍らせる。僕のいる場所に向けて地面から次々に氷柱が生えていく。


 僕は横に飛び退き、カジャロプの息からうまれた氷柱を避けた。


「おいおいおいおい、そこはさっきの炎をぶつけてくるとこだろ。クソつまんねえ野郎だなあ。ああん?」

 怒声を浴びせつつ、カジャロプは間髪入れずに僕にもう一度飛びかかった。


 腕を交差してカジャロプの蹴りから顔面をガードし、そのまま拳を振り上げた。


 僕の拳が腰に当たり、カジャロプは地面に膝をつく。


「いいぜ、その調子だ。おい、半獣! さっさと俺に命令しろや!」

 まだ壁に打ち付けられた衝撃が残っているのか、プルプルと足を震わせながら、亜人はカジャロプに向けて言葉を放った。


「契約者より悪魔カジャロプへ命じる。対峙せし山羊頭の悪魔を、殺せ」

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