第2話 退廃地区ティプトン

5.悪魔の使役

 大広間から外に出ると、見たこともない光景が広がっていた。


 外の街を覆う大きな鉄橋の下に、露店がいくつも立ち並び、人でごった返している。いつか映画で見た、アラビアのバザールなんかを思い出したけれど、雰囲気はまるで違う。


 ガヤガヤ賑わう喧騒の中、人以外にも奇妙なものがいくつも走り回っている。


 大きな卵にも見えるそれらは、地面から少し浮いて動いており、露店(かどうかも定かではないが)の前で止まると、細い管のようなモノを伸ばして紙幣を店の者に渡す。そして、代わりにそこで何かを受け取り、また別の露店へ行く、といった動作を繰り返している。


「お待たせしました」


 ルビーが僕とスフィさんから少し遅れて、建物から出てくる。

 僕と同じフードローブをルビーは纏っていたが、フードは被らず、ニット帽を被っていた。

 ちょうど、あのぴょこぴょこと動くうさ耳が隠れている。


 ふと僕たちがさっきまでいた建物を見上げる。それはドーム状の建物で、ヨーロッパの礼拝堂を思わせた。


「珍しいか」

 スフィさんの言葉に僕は頷いた。

「何もかも見たことないものばかりで」


「ここはティプトンの人間が生活品を調達する、交易場だな。人の往来が激しい。探せば色々なものがあるから、重宝させてもらってるんだ……と、待て」


 歩き出そうとする僕とルビーを、スフィさんが手で制する。


「なんですか?」

「静かに」


 商店街から、急に喧騒が失われた。

 往来で各々の取引をしていた者らは道の真ん中を空ける。


 その空けられた道を、ズンズンと歩いてくる一団があった。

 先頭を歩くのは、ヘルメットを被り、黒いジャケットを着た人物で、その後ろを数人の強面の男たちがゾロゾロと着いてきている。


「あれは?」

「しっ、静かにするんだ」

 僕が尋ねると、スフィさんがそう言いながらも、答えてくれた。


「なんのことはないチンピラ連中だよ。だが、奴らのバックにここらの商売を取り持ってるイリーナ商会がいるもんだから、皆気を遣っている。先頭にいるのがジャグジっていう、チンピラを束ねてボスを気取ってるクソ野郎だ」


 そのジャグジが一つの露店の前で足を止めた。


「よう、店主」

 ヘルメットのせいで変にくぐもっている気もするが、ジャグジは迫力のある声で露店の店主と思しき男に声をかけた。


「最近の売り上げはどうだ? 電貨も使えねえと難儀だよなあ。だが、紙の紙幣もあるだろ。これまでの延滞も含めて、占めて百万で勘弁してやる」

「す、すみません。まだ……」

「ああ!?」

 ジャグジの声に、ひぃっと店主が悲鳴を上げた。

「おいおい、俺は言ったよな? 次来た時に、払うもん払えなけりゃどうなっても知らねえ、と。このグズが! 誰のおかげで商売できると思ってるんだ!? ああ!?」


 ジャグジは後ろに控える男たちを見た。

「消してやれ」

 

 ジャグジの言葉に男たちは頷くと、銃のようなものを露店に向ける。

 店主はそれを見て、慌てて店から逃げ出した。


「やれ」


 銃から黄色い光線が発射された。

 光線は店に当たると、当たった場所から、パァンという破裂音と共に消滅した。

 ガラガラと崩れていく店の瓦礫にも男たちは光線を当てていく。すると、光線が当たっていく度に瓦礫も、パァンと破裂音を立てて消えていく。


「ちっ」

 僕の横で、スフィさんが舌打ちをした。


「じゃあな、クソじじい。次に来る時に金を用意してなきゃ、今度はお前を消す。店がないから商売ができない、なんて屁理屈は抜かすなよ」

 ジャグジが店があった場所から歩き出し、また道を進む。


 道の両端に避難している人々は誰もが、ジャグジの怒りの矛先が自分に向かわないように、小さくうずくまり震えている。


「あっ」


 ……と、何かがジャグジの足元に転がってきた。

 それはぬいぐるみだった。

 アザラシのようなぬいぐるみが、ジャグジの前に転がっている。


「りゅうちゃん!」

 道の端っこから、ぬいぐるみに向かって子供が走り寄ろうとしたのを、側にいる大人が抱き留めて止めた。


「やめて。今は静かにしてて」

 子供を抱き留めた大人は、震えながらぎゅっと更に強くその子を抱きしめる。

「痛いよ、ママ」


 ジャグジはぬいぐるみを蹴飛ばすと、二人身を寄せ合うその親子の元へと向かった。


「俺の往来を邪魔したのはお前か?」

 ジャグジの声に、子供が泣き出した。ジャグジは耳を塞ぐ素振りをすると、鬱陶しそうに手をひらひらとさせて、また男たちに命じる。


「気に食わねえ。こいつも消してやれよ」


 ――なんだって?

 僕は耳を疑う。


 だが、ジャグジの部下たちはためらうこともなく、その親子にさっきの光線銃を向けた。

 僕の脳裏に、さきほど跡形もなく消された露店が浮かぶ。


 ──待て。やめてくれよ。


「よう、チンピラども」

 今から目の前で起こる惨劇から目を背け、祈るように目を閉じた僕に聞こえてきたのは、スフィさんの声だった。


 ──見ると、スフィさんがジャグジの目の前で、ジャグジを睨みつけていた。


「あー、師匠! また勝手にそんな!」


 僕の横でニット帽の端を両手で深く引っ張りながら、ルビーが小声で言った。


「子供にまで手をあげるってのはほんとに胸糞が悪いな」

 スフィさんは僕の方を振り返る。


「いきなりで悪いが、力貸してくれるか?」


 スフィさんが、真っ直ぐな目で僕を見つめる。

 ──この後に、スフィさんがやろうとしていることが、何となくわかる気がした。


「我、スフィリーク・キュビュイズが悪魔カキザキ・ユイトに命ずる。その巨躯で奴らを蹴散らせ!」

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