悲しいコミュニケーション


 『音楽と人』2010年6月号に

 わたしの好きなボーカルのインタビュー記事がある

 そこでインタビュアーがいう

 「叫ぶ」ってことが

 あなたにとってのコミュニケーションの手段なのかな、と


 “京さんの表現は悲しみとか怒りが元になってるんだけど、もともとその気持ちっていうのは人と分かりあえないとか、純粋ではないことに対する失望感みたいなものが吐き出されてるんだと思う。で、同じような思いを抱えている人たちが自分が出したくても出せない悲鳴を叫びをあなたが代わりに出してくれてるっていうか”


 インタビュアーはこれを

 きわめて純度の高いコミュニケーションだと言うが

 わたしも

 そう思う一方で


 もしわたしたち人間が

 なんらかの傷によってしか繋がれないのであれば

 それはなんて悲しいコミュニケーションなのだろうと思ったのだった

 そもそもわたしたち人間は

 何によって他者と繋がるのだろう?

 わからないけど

 傷を越えた理解で

 叫びを越えた媒体で

 わたしは人と繋がっていたい

 好きな人のことを

 いつまでも好きであり続けたい

 そんなふうなことを考えた


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