悲しいコミュニケーション
『音楽と人』2010年6月号に
わたしの好きなボーカルのインタビュー記事がある
そこでインタビュアーがいう
「叫ぶ」ってことが
あなたにとってのコミュニケーションの手段なのかな、と
“京さんの表現は悲しみとか怒りが元になってるんだけど、もともとその気持ちっていうのは人と分かりあえないとか、純粋ではないことに対する失望感みたいなものが吐き出されてるんだと思う。で、同じような思いを抱えている人たちが自分が出したくても出せない悲鳴を叫びをあなたが代わりに出してくれてるっていうか”
インタビュアーはこれを
きわめて純度の高いコミュニケーションだと言うが
わたしも
そう思う一方で
もしわたしたち人間が
なんらかの傷によってしか繋がれないのであれば
それはなんて悲しいコミュニケーションなのだろうと思ったのだった
そもそもわたしたち人間は
何によって他者と繋がるのだろう?
わからないけど
傷を越えた理解で
叫びを越えた媒体で
わたしは人と繋がっていたい
好きな人のことを
いつまでも好きであり続けたい
そんなふうなことを考えた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます