鬼とかすみ~薬師の私は禁じられた山で優しい鬼に出会いました~

天城らん

鬼とかすみ

序 章 



――― 今年も桜は咲いている。

 

 娘は美しい黒髪を春風にかれながら、視線のはるか先にある大きな枝垂しだれ桜を見上げた。

 白にも近い淡い桜色をまとったその桜は、山の中腹にあり村の者には淡雪桜あわゆきざくらと呼ばれていた。




 娘は幼き日、母のぬくもりに抱かれながら聞いた桜の精の話を思い出していた。

『かすみ、淡雪桜あわゆきざくらの精はね人間の若者に恋をしたの。結ばれることはなかったけれど、今も桜の精は人間を見守っているそうよ』

 そう語った母は、娘が生まれる前に別れたという夫のことを思い出したのだろうか、少し寂しそうに微笑んだ。

 

 娘にとって、寝る前に聞くおとぎ話はかけがえのない幸せな記憶であった。

『おかあさん。わたし、淡雪桜あわゆきざくらの精霊にあいたいなぁ。

 でも、山には鬼がいるから行ってはいけないんでしょ?』

『そうね。村のあきてで山へ入ることがきんじられているのは、かすみも知っているわね』

『うん。でも、そんなに鬼はこわいの? 人をたべちゃうってほんとう?』

 震える幼い子を母は『母さんも、おじいさまもいるから大丈夫よ』とふふっと笑いながらやさしく抱きしめた。

 薬師くすしをしていた母からは、いつも清涼感のある薬草の香りがした。

 その匂いを吸い込むと、娘は安心してすうと眠くなった。





 淡雪桜あわゆきざくらへの憧れが抑えられない娘は、よわい十八になり母と同じ薬師くすしとなった。


 今年も見事に咲いた桜を見つめ、娘は鬼のいる山へ入る決意をした。




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