第2話 ある夜の出来事

 母が亡くなったのは僕が生まれた日だった、と聞いている。

 そのころ、両親は祖父の家から少し離れた大きな街に暮らしていた。

 母が亡くなり、一人で僕を育てることができなかった父は、実家であるこの店へと戻ってきた。


 物心がつくまでは、祖父母と父と僕の四人でこの家で暮らしていた。

 幼稚園に入るころ、祖母が亡くなり、父は仕事の都合で一人、東京へと引っ越していった。

 以来、僕はここで祖父と二人で暮らしている。


 なにか行事があるときは、ほんの少しだけ寂しさを感じたけれど、そんなときには店を閉めても顔を出してくれる祖父のお陰で、それは本当にほんの少しだけだった。


 それに――。


 そのころはまだ、父も月に二度は顔を出してくれた。

 東京で流行っているというおもちゃをおみやげに。

 おみやげももちろん嬉しかったけれど、父が僕を忘れずに会いに来てくれることのほうが、僕にとっては嬉しいことだった。

 だんだんと来る回数が少なくなってきた、小学生なった、その歳までは。


 ある夜、ボソボソと聞こえる声に、僕は目を覚ました。

 住居になっている二階の間取りは、階段を上がると四畳ほどの台所があり、そこを中心に右に二間、左に一間だった。右側の一部屋が僕の部屋だ。

 声は左側の部屋から聞こえてきた。

 ふすまをほんの少しだけ開けると、反対側の部屋から光が漏れているのがわかった。

 子ども心に、盗み聞きをすると言うのが良くないいことだとわかっていたけれど、僕は黙ったままで聞き耳を立てた。


「……だろうが」

「だけど俺は……親父にはわからないんだ!」

「馬鹿者、声が大きい」


 喧嘩をしているようなのが怖く感じる。なのに僕はふすまのそばから離れられないでいた。

 しばらく聞いていてわかったことは、父はまだ母を思っているということ、僕が母に良く似ているということ、僕が大きくなるにつれ嫌でも母を思い出すということ。

 そして、父は僕を見るたびに、僕が生まれたせいで母が死んでしまったと考えてしまう、ということ――。


「それは、あの子のとがじゃなかろうが」

「それはわかってるって何度も言ってるだろ?」

「だったらどうして……」

「わかってても駄目なんだ」

「だからおまえは悠斗を放り出すっていうのか?」

「親父、俺はね……見れば思い出してしまう。思い出せば考えてしまう」


 しんと静まりかえった中で、父の声は小さいのにハッキリと聞こえた。


「悠斗さえ生まれなければ、七海ななみは今も俺の隣にいたはずなんだと……」


 パンと大きな音がして、祖父が父をたたいたのだろうことがわかった。

 僕は急いでふすまを閉めると、布団へ潜り込んだ。

 少しして向かいの部屋のふすまが開き、床がキシッと音を立て、今度は僕の部屋のふすまが開いた。


 目をつむって寝たふりをしていると、布団がめくられ、大きな手が僕の頭をひとなでした。多分、父だ。

 息遣いだけが聞こえ、数分、父は僕の枕もとにいたあと、部屋を出ていった。

 寒くないのに体が震え、涙が出そうだ。泣いてしまうと起きているのがばれてしまうと思い、ギュッと目をつむってこらえた。


 以来、父が帰ってくるのは良ければ半年に一度、悪ければ一年に一度も戻ってくることは無かった。

 それでも父を嫌いにはなれなかった。離れていても月に二度、会いに来るたびに優しかったのを覚えていたからだ。

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