月灯-3rd

釜瑪秋摩

第1話 新しい門出

 彼を初めて見たのは、大学の入学式が始まる前だった。

 始まる時間よりもかなり早く到着してしまったため、大学近くの喫茶店で時間をつぶしていた。

 近くに大きくてお洒落なカフェもあったけれど、壁面をアイビーで覆われた喫茶店の雰囲気に惹かれ、こちらに立ち寄った。


 いくつも並ぶボックス席の脇に、カウンター席があり、彼はそこに腰かけていた。

 同じ年ごろでスーツ姿。

 きっと、彼も私と同じ新入生なんだろう。

 彼の席から二つ空けて、私もカウンター席に腰を下ろした。

 ちらりと彼に目を向ける。

 ネイビーのスーツはスリーピース、淡いブルーの小紋のネクタイが爽やかさを感じさせた。


 ボックス席のほうにも、スーツ姿の同年代が何人も見える。

 友人同士で来ているのか、落ち着いた店内ににぎやかな声が、あちこちから響いていた。

 カフェ・オレを頼み、店員さんがコーヒーをたてている姿を眺めていた。

 今日は入学式のせいで騒がしく思うけれど、普段は静かな雰囲気に違いない。


(今度は日を改めて来てみることにしようかな……)


 喫茶店やカフェをめぐるのが好きだった。

 地元はもちろん、県内の観光地などにも足を運んでみることも。

 独特な雰囲気の中で、時間がゆっくりと流れているように感じて、それがただ心地よかった。

 時々は、こんなふうに落ち着かない様子のときもあるけれど。


 また、彼の方に目を向ける。

 スリーピースのスーツは珍しいんじゃないだろうか。後の就職活動を考えていた私は、黒のパンツスーツだけれど……。


 まるでスーツに着られているような私と違い、彼の姿は妙に馴染んでいる気もする。

 それに、コーヒーを飲む姿も様になっている。一体、どういう人なんだろうか。

 気になってつい目を向けてしまう。

 私と同じで一人のようだし、思いきって声をかけてみようか、などと考えてしまう。


 不意に彼の動きが止まり、本を閉じるとコートのポケットを探り始めた。

 携帯を手に画面をみつめ、ふっと口もとを緩めると、すぐにお会計を済ませて出ていってしまった。

 ドアのすりガラスに映った彼の姿が、大学のほうへ歩きだした。

 時計に目を落とすと、入学式の時間にはまだ少しだけ早い。


(誰かと待ち合わせでもしていたのかな?)


 目の前に出されたカフェオレボウルを両手で包んで口をつけると、ホッとため息を漏らした。

 やがて店内にいたスーツ姿の人たちが、次々とお会計を済ませて出ていくのにあわせて、私も席を立った。


 地元の駅から八つ目のこの大きな駅にはいくつかの大学があるけれど、小中高と仲の良かった友だちは、ほとんどが東京の大学へ進学していき、地元を離れてしまった。

 何人かは同じ大学だけれど、学部が違うせいで入学式の時間まで違ってしまった。

 一人でいるのは嫌ではないけれど、こんな場合はほんの少しだけ寂しいと思う。


 緊張したまま門をくぐり、楽しげに笑いあう人波に混じり、私は新たな一歩を踏みだした。

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