3.精霊クルゥーメルのチカラ
さて、と。
鍵が手に入ったとはいえ、部屋を出るタイミングを見極めなきゃいけない。間違って城の大人たちに見つかれば、おれはたちまち狭い部屋に押し込まれてしまうだろう。
「今なら逃げ出せるよ」
扉の前に突っ立っているおれに、コハクはそう言った。
また心の声を読んだらしい。軽く睨みつけても反省した様子もなく、彼女は上目遣いで意味深に笑っていた。
「……たぶん見張りいると思うけど?」
だって、ここは一応お城なんだし。
「ふふ、そう思うでしょ? でも大丈夫なんだよ。今、味方の兵士はいないから」
嘘だ。今度は、絶対嘘に決まってる。いくら子どもでもおれだって、そんな都合のいい甘い夢は見ない。
まるっきり信じていなかった。コハクは半眼で見つめて突っ立っていると、彼女はため息をついてこう言った。
「ほら、早く行こ。絶対大丈夫だからっ」
背中を押されて急かされるまま、おれは半信半疑でドアを開けた。細心の注意を払って周囲を見渡す。
ところが。
本当に兵士はいなかった。廊下は無人で、物音ひとつなく静かだった。
「え……マジで?」
あっけにとられてそうつぶやいたら、コハクは待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。
「だから言ったでしょ。精霊は嘘をつかないんだよ」
正確なところを言うと、セントラル城内は完全な無人ではなかった。
導かれるままにコハクに引っ張られながら城の中を進んでいくと、声がたくさん聞こえてきたからだ。
だけど、おれたちはその大人達に見つかって追い回されることはなかった。
なぜなら。
足音や声をたてて大人達が近づいてくる前に、
「アサギはここで静かにじっとしていて」
と言って、決まってコハクは手近な部屋におれを押し込めてくれたおかげでやり過ごすことができたからだ。
まるで城の兵士達の動きを知っているかのようで、おれは不思議だった。
コハクって何者なんだろう。
辺りには誰もいない廊下をゆっくりと歩きながら、自分よりも小柄な女の子を改めて観察してみる。
袖なしのシンプルなワンピースをひらひらと翻しながら歩く彼女は、口元を緩めて機嫌が良さそうだった。スラっと伸びた手足は細くて華奢に見えるけど、もうおれはコハクが非力だなんて思っていない。さっきその手で、彼女はクラースを押さえ付けて縛り上げたんだ。
「そんなにコハクのことが気になる?」
心を読んできた。
うん。最初はともかく、今となってはコハクが普通の女の子じゃないってことは、もう十分すぎるほど分かってる。
そもそも、普通の女の子が一国の城の中に入り込めるはずないんだし。
「そりゃあ気になるよ。さっきから誰にも見つからずに済んでるのは、コハクが兵士達の動きを読んでいるからなんだろ?」
どうやっているのかは分からない。おれにも分からない不思議な力で、相手の動きを読んでいるのかも。
前にシルが言ってた。おれたち人族は、それぞれ持っている属性が髪と目の色に反映されるらしい。
だから、水属性の母さんは海色の髪だし、炎属性の父さんは紅い髪なんだって。で、無属性のおれやシル髪は銀色なんだ。
クルゥーメルという中位精霊だと自称するコハクは、一体何の属性を持っているんだろう。
にこにこ笑って、おれの手を握ってくれる小柄な女の子。耳も
ダメだ。全然、想像がつかないや。
藍色の髪といったら、風の属性が可能性高い。だけど、コハクははた目から見ても、完璧な
信じるって決めたし、疑っているわけじゃない。彼女はおれのために、子どもを捕まえるような危険な王さまのいる城にこうして乗り込んでくれているわけだし。
だけどさ。
こうして考えるまでもなくおれは、コハクのことを何も知らないんだよね。
「ふふっ。コハクは近くにいる人の心は読めるけど、人族の動きなんて読めないよ」
足を止めず、女の子の姿をした精霊は顔を綻ばせた。視線をまっすぐ前に向けたまま、おれたち人と同じように唇で言葉を紡ぐ。
「コハクは視えているだけなの」
「視える……?」
言っている意味が分からなくてそのまま聞き返すと、彼女はは勿体つけたように笑った。
「そう。コハクはね、少し先の未来が視えるんだよ」
抽象的すぎて、余計に理解不能なんだけど。おれはなにから突っ込んだらいいのかな……。
ただ、確信はないけど分かったことがある。
彼女は風の精霊じゃない。もしコハクが言っていることが本当のことなら、風の精霊が未来を読むことなんてできるはずがない。
「あのさ。コハクって、もしかして——」
ふと考えついたことを試しに聞いてみようと、声をかけた時だった。
おれは考え事に夢中で、突然足を止めたコハクに軽くぶつかった。けど、彼女はたいして気にしていないみたいだ。振り返って、花が咲いたように微笑んだ。
とたんに、ドクンと胸が高鳴る。
「アサギ、着いたよ」
「着いたって、ここは……」
まだ波打ってる心臓を抑えながら、目の前の扉を見上げた。
扉は木でできたドアじゃなかった。触ってみると冷たくて、つるつると滑らかで硬い材質でできているみたい。クラースから奪ったカード型の鍵と同じ材料みたいだ。ドアノブもないし、どうやって開けるんだろう。
おれが閉じ込められていた部屋も、時おり兵士をやり過ごすために駆け込んだ部屋も、木製のノブがある扉だった。だとしたら、この部屋は他とは違っていて特別なのかもしれない。
「ここに、銀竜が閉じ込められているんだよ」
おれの手を離して、コハクは扉にそっと手で触れる。
「シルが!?」
「そう。でも厳重に鍵がかかってるみたい。このドア取っ手もないし、どうやって開けたらいいのか分からないね」
試しにおれはドアを押してみた。もちろんビクともしない。子どもに過ぎないおれの力で蹴破れるはずもないし……。
どうしよう。コハクの言葉がほんとうなら、すぐそこにシルはいるのに。
「ドア、壊しちゃおうか」
「コハク……?」
華奢な女の子の力でどうにかできるはずがない。そう思うけど、彼女は自信たっぷりに笑っているものだから、なにか考えがあるのだろう。おれは様子を見ることにした。
一歩、後ろへ下がる。
コハクは両方のてのひらをドアに押し付けた。
次の瞬間、おれは息を飲んだ。
細い彼女の身体が白く発光し始めたんだ。そう、おれがコハクに名前を与えた時と同じように。
白い光はコハクの周りに淡く灯っていて、きれいだった。
風もないのに、藍色の長い髪がふわりと翻る。
「よし、終わり!」
満足そうにそう言ったのと同時、ガラガラと崩れる音がした。目の前の光景が信じられなくて思わず二度見する。
さっきまでおれとコハクを阻んでいた灰色の扉はすっかりなくなってしまっていた。
いや、違う。正確にはなくなってはいなかった。
新品のようだった無機質な扉は傷んだ金属片の小山になって、足元に転がっていたんだ。
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