2.運命を切り開くには
ガチャリ、と鍵の音がした。まるで、ひとりでに開いたかのように。
——嘘だろ?
コハクの言葉を疑ってるわけじゃなかったけど、信じられない気持ちでいっぱいだった。まさか本当に、逃げ出すチャンスが訪れたとでも言うのか?
「なんだ、昨日の夕食まるごと残してるじゃないか」
扉を開けて入ってきたのは、両手でお盆を持ったクラースだった。昨日も部屋に来て食事を持ってきたっけ。
まあ、うん。そもそも扉が勝手に開くわけないよな。普通に朝食の時間だ。コハクが意味深なことを言うから、変に意識しちゃったじゃないか。
そういえば……、隣にいたはずの彼女がいなくなっている。どこに行ったんだろう?
小柄な女の子の姿を探してキョロキョロと視線をさまよわせるおれが怪しく見えたのか、クラースが声をかけてきた。
「お前聞いてるのか? 何やって——」
彼は最後まで言い終えることができなかった。
クラースが完全に部屋に入った途端、扉の裏に隠れていたコハクが背後から彼を襲ったからだ。
「うわあっ!」
すばやく足払いをしてクラースが体勢を崩すのを見ると、彼女は彼の身体に覆い被さる。当然手を離れたお盆や食器は音をたてて床に落ち、中に入っていた食べ物は散乱した。
一体、何が起こっているんだ。
華奢な少女が頭をぐいぐい押さえつけているところを唖然として見ていると、コハクは顔を上げて叫んだ。
「アサギ、なにやってんの! 早くこの子のポケットから鍵を奪って!」
はい!? 今、なんて言ったのかな。この子は。
「鍵、って……」
「今が絶好の機会でしょ。部屋から出るよ!」
「チャンスが訪れるって、このこと!?」
いやいやいや! これ、コハクが無理やりチャンスを作ってるでしょ。むしろねじ込んでるレベルだって!
「そうだよ。追いかけてこられては困るから、この子をここに閉じ込めて逃げるの」
どこから取り出したのか、コハクは白い布をクラースに噛ませてギュギュッと縛っていた。
これが精霊のやることなのか。
おれの知ってる精霊といえば人のことが大好きで、魔法を使う時だけじゃなくて毎日の生活でいろんな機会に助けてくれる存在だ。なのに、女の子の姿をした目の前のクルゥーメルという精霊は、おれと同じくらいの子どもを床に押さえつけている。
こんなの、この城におれをさらってきた大人たちと、あまり変わらないじゃないか。
「そんなの当たり前じゃん。コハクはアサギの味方だけど、この子の味方じゃないもの」
心の声がはっきり聞こえていらしい。コハクはおれが直接口にしなくても言葉を返してくれた。
力を込めて手足を縛っていく様子を視界にとらえつつ、彼女の言葉を聞く。
「アサギはお父さんやお母さんのところに帰りたいんでしょう? 銀竜を助けたいんでしょう?」
「……うん、帰りたい」
シルと二人一緒に、父さんと母さんのもとに帰るんだ。そしてノーザン王国へ行って、お姫さまの目を治す手助けをしなくっちゃ。
だっておれは、必ず行くと賢王さまに手紙を書いたんだ。助けになると。今だって、お城で待っているかもしれないのに。
「それなら、早くアサギも手を貸して。運命を切り開くには、まずキミの方から動かなきゃ」
おれの方から……?
「そうだよ。コハクは精霊だから手伝いはできるけど、運命に干渉する権利はないの。人族であるキミだけが行動を起こすことで初めて、運命を引き寄せることができるんだから」
頭の中で真新しい記憶がよみがえる。
祭りで賑わうジェパーグの王都ツクヨミ。どよめきや喧騒の中で、顔を綻ばせてシルはおれに言った。
——いつか、アサギにもなにかの壁にぶつかって、これ以上はどうしようもないと思える時がきっとくるだろう。
彼は人ではなく銀竜だから、肩に触れたてのひらから体温は伝わってはこなかった。だけど、あふれるほどの優しさは心に届いていた。
——その時はユークと同じように、あきらめずにできることから頑張ってごらん。そうすればきっと、アサギも運命を引き寄せることができるよ。
普段はおれの後ろについてくるだけだったり、たまに包丁を床に落としたりとちょっと不器用で頼りにならない時もあるけど。
時には立ち止まって、おれに大事なことを教えてくれる。まるで兄さんみたいに見守ってくれていたことも分かっていた。いつだってあの青い宝石みたいな目は、おれのことを心から気にかけていたから。
おれがあきらめてしまったら、どうなるのだろう。
きっと一生このお城からは出られないだろうし、銀竜のシルだって人に抗えず地下に囚われたままだ。
そして何年も、何百年もの長い間。おれは寿命が尽きるまで、シルは永遠に近い時間を暗い世界で過ごすんだ。こうなることが運命だったんだ、と自分に言い聞かせて。
なにが運命だ。そんなの、ただあきらめてウジウジしてるだけじゃんか。
おれは将来、カッコいい大人になるんだ。
大切なひとを守り抜く力を持った父さんみたいな、優しくて強い男になるんだ。
間違っても薄暗い部屋でメソメソ泣いて、ただ時間を過ごすようなカッコ悪い大人になんかなりたくない。
そんなの、絶対にいやだ!
「…………」
おれは、無言で足を踏み出した。
ずんずんと進んで、押さえ込まれているクラースのそばまで行く。
怪訝な顔をする彼をなるべく見ないようにして、しゃがみ込む。ズボンのポケットに手を突っ込んで鍵を探した。たいてい大事なものをしまうとすれば、おのずと場所は決まってくる。お盆を抱えていて両手はふさがるわけなんだし。
「……あった」
てのひらに伝わるひんやりとした感触。ポケットから引き抜いて確かめると、〝鍵〟は手におさまるほどの金属製の平らな薄い板だった。思い描いていた形状と違うけど、たぶんこれが鍵なんだろう。
その証拠に、口を布で塞がれているクラースが緑色の目をつり上げて抗議している。
「ごめん」
力づくで連れて来られたのがおれ自身だったからこそ、彼には悪いなと思った。セントラルの王さまはおれを部屋に閉じ込めたけど、拘束はしなかったというのに。
だからこそ、彼だけには伝えておきたかった。クラースとおれの置かれている境遇は似ていると思うから。
「クラース、やっぱりおれはあきらめるだなんていやだ。不可能でもなんでも、こんなところで運命を呪ってただ泣いているより、ずっといいと思うから」
返事は期待していない。そもそも口を塞いでいるからしゃべることはできないし。彼にはきっと恨まれるだろうけど、立ち止まってはいられない。
「コハク、行こう」
声をかけると彼女はクラースから離れた。隣にきて、ふんわりと微笑む。
「うん。一緒に、キミの運命を覆しに行こう」
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