第3話 ぷぷぷっ。
◇◇◇
――王都「冒険者ギルド」
「やれやれ……。なにやってるんだ? リーシャのヤツ……」
ギルドの入り口の椅子に腰掛けたままポツリと呟く。
会話は全く聞こえないが、リーシャとネロの顔でだいたいは理解できている。
おそらく、ネロは本当に追放するつもりはないんだろうが、リーシャが余裕で了承したみたいな感じだろう。
せっかくSランクパーティーになったし、俺なりに気を遣ったんだが、必要なかったみたいだ。
まぁ……、嬉しすぎてさっさと逃げようとしたが、よくよく考えれば、あのパーティーは泥舟だし、早かれ遅かれこうなっていただろうな。
とりあえずリーシャとネロを見守るが、
あらら……。これは、手がでるか。
だんだんとリーシャが嫌悪感をあらわにしていく姿に苦笑し、
「《独奏(ソロ)》……」
ポワァア……
自分にしか見えない88の鍵盤を浮かべた。
自分への《バフ》は、指先(タッチ)に違和感が残るから嫌いなんだが、リーシャが俺と来てくれるならプラマイ0!
このパーティーでの「荷物持ち」はギリギリ耐えてやったが、本来なら肩に負荷をかけるような事も一切したくない。
もちろん、自分で剣を振るうなんてもってのほか。
俺は自分で戦うような事はしない。
冒険者が得る地位や名誉なんか俺にはどうだっていい。冒険者として英雄になりたいわけじゃない。
俺はあくまで『演奏(ほじょ)』しかしたくない。
――これを君に……。頑張るんだよ、小さなピアニスト。
そう言って"先生"に手渡された楽譜(スコア)。
『ノクターン Op. 9, No.2』
アイツらのお守りという苦行に耐えながらも見つけた2曲。
『エチュード Op.10 No.5 「黒鍵」』
『エチュード Op.10 No.12 「革命」』
世界にどれだけあるのかすら、誰も知らない"フレデリック・ショパン"が残したとされる、『古代の楽譜(エンシェント・スコア)』。
ピアニスト以外の者には、ただのボロボロの紙切れで、無価値同然かもしれない。
でも、俺には命をかける価値のあるものだ。
冒険者をしているのは、ただ世界を回るのに便利だからってだけ。
……敬愛する"ショパン"。
ショパンの美しい楽曲の全てが欲しい。ショパンの美しい楽曲の全てから学びたい。
俺は……、いつか、世界中に散らばっている古代の楽譜(エンシェント・スコア)を全て手に入れて、ショパンにも負けない楽曲を生み出し、独演会(リサイタル)を開くんだ。
俺は【ピアノ弾き(ピアニスト)】。
女神にピアノを弾く事を命じられた男。
ピアノを弾くことを託された男。
だが……、スキルなんて関係ない。命じられたからでも、託されたからでもない。
ーーポーンッ……。
長い耳のピアニスト。
先生が鳴らした「ピアノの音」を聞いたあの瞬間から、俺は「音楽」の力を信じている。
「ふっ……」
自由になって、初めての『音』は、自分自身への《音(バフ)》か……。
まぁ、それも悪くない。
スッ……
脱力と共に、そっと鍵盤に触れる。
どれだけアイツらがうるさくても、戦闘中だろうが、魔物が吠えていようが、俺の耳からは雑音が消える。
この瞬間がたまらなく好きだ。
俺はゆっくりと、だが確実に鍵盤に指先を沈める。
タラン、タータララッタンッ!!
指先に残る鍵盤の重みに目を細める。
単純な音の組み合わせ。
これは曲とは呼べない。
だが、今はそれで充分だ……。
《超加速》、《脚力》、《身体保護》。
単純なバフだが、ふわりと宙を浮くような感覚に包まれる。
ややスタッカート気味の和音。
その余韻を響かせるように、スッと上に飛ばすように鍵盤から手を離して、その余韻が消える前に、
タンッ……
現場に向かう。
コメカミに青筋を浮かべるネロがザッと足を踏み出し、リーシャの胸ぐらに伸ばしたその手を……、
ガシッ……
難なく掴み、リーシャに向き合った。
距離にして15m。
すっかり消えてしまった音の余韻と共に、俺の身体からバフが消える。身体に全能感は残っているが、もう全能のわけじゃない。
【ピアノ弾き】のバフは長時間続くものじゃない。音が消えれば、簡単に消える。
だからこそ奏でる必要がある。
「…………えっ?」
驚いたように目を見開くリーシャ。
珍しく感情が見える表情を「ハハッ」と笑い、
「リーシャ。俺と来い! 俺がお前を英雄にしてやる!」
手を差し出してみた。
リーシャが追っている「男」は、超がつく有名人。「アイツ」を屠る事ができれば、伝説的な英雄になる事、間違いなし。
「復讐させてやる」なんてプライベートの事を、こんな大人数の前で言うことは出来ないが、リーシャならこの言葉で意図を理解できるはず……。
まぁ、言葉通り受け取って貰っても構わない。"俺の旅"に同行すれば、嫌でも英雄になる。
「……"アル兄"」
リーシャはポツリと呟き、ほんのりと頬を染める。
……やれやれ。困ったヤツだ。
「お前の兄ちゃんじゃない」って、何度言えばわかるんだ!
兄弟って勘違いされて、「顔面の格差やばくない?」なんて思われなくないんだよ! ったく……。
などと、俺が苦笑すると、
「「「ぷっ、アハハハハハッ!!」」」
冒険者ギルドが笑い声に包まれる。
「え、"英雄にしてやる"だってよぉ! ハハッ」
「"演奏家様"は冒険者を舐めてるな!」
「1人じゃ何もできないくせに、こいつは傑作だぜ!」
各々、好き勝手言ってくれる。
まぁ、たしかに俺は冒険者を舐めてる。戦闘力の有無を躍起になって示し合うなんてバカみたいだ。
力を誇示する事で優劣を競うなんてバカみたいだと思っている。
1人じゃ何もできないのも、その通り! というより、俺の本業は演奏家だ。冒険者は副業。
1人で戦闘なんてバカな事をしたくないだけ。
ってことは、あれ?
全然、間違ったことは言われてないな。
俺は「ふっ」と笑みを溢す。
まぁ……、問題は冒険者連中じゃなくて、どうやら"コイツ"を本当に怒らせてしまったようだ。
カチャッ!
リーシャは眉間に皺を寄せ、素早く剣に手をかける。綺麗な真紅の瞳には、俺の背後で剣を振り上げたネロが写っている。
俺は掴んでいたパッと手を離し、自由になった左手を、腰元に追従している鍵盤に振り下ろす。
タタタ、タタタ、タタタ、タァーンッ……
左手は《デバフ》を司る。
ネロに聴かせてやったのは、シンプルな《速度低下》だ。
だが、親指、人差し指、中指。
3本の指を駆使して同じ音を繰り返す事で《弱化(デバフ)》を重ね、最後に右手の高音……《弱化強化(デバフバフ)》で仕上げるとウスノロの出来上がり!
俺はクルッと振り返り、ゆっくりと振り下ろしてくる腕をパシッと止めた。
「ごめんな、ネロ。リーシャも追放するなら、俺が貰ってくわ」
「ア、ルマ……テメェ……」
バッキバキのネロの瞳に少し苦笑する。
コイツがスキルを使い出したら厄介……なのか?
素行や性格はクズだし、剣技も大した事はないが、スキルは本物? いや、ぶっちゃけ、詳しい事は聞いてないが、こんなに傲慢になれるほどのスキルなんだろ?
"未来"を視る事ができる【未来視】を使用し始めたら、『曲』を弾かないと厳しいかもしれない。まぁ負けるとは微塵も思わないが、「冒険者ギルドで」ってのも、可哀想だしな。
俺のなけなしの優しさを無碍にするように、
グググッ……
ネロの腕は重くなってくる。
やれやれ……。
コイツ、マジで俺を殺す気だったのか。
こんな場所で……?
あぁー……怖い怖い。
腕が重くなったところで、素人に毛が生えた程度だ。俺の《バフ》がなけりゃ、所詮はこんなもの。
普段からピアノを弾き続ける体力をつけるために走り込みをし、『音』を探求し続けた俺の手の大きさと指先の強さは人並み以上だ。
不本意ながら、荷物持ちで鍛えられた筋力もある。ピアノに役立つかは微妙だが、今はありがたい。
笑い声が止まないギルド内。
徐々に顔を真っ赤にしていくネロ。
初めこそ笑っていたが、不思議そうにネロを見つめるゴードンとカリム。手で顔を覆ってニンマリとしている意味のわからないクレハ。
音の余韻が消えると、何が起こったのかわからない様子のネロは、深く、深く眉間に皺を寄せる。
「……俺を敵に回す意味をわかってるのか?」
「ふっ……、そりゃこっちのセリフだ、バカ」
あっ。やべ。
思わず、本音を言っちゃった。
「……テメェエ……」
低く呟かれたネロの言葉に思わず吹き出してしまいそうだ。
この場で、"やる"なら、《デバフ》を叩き込みまくってクソミソにしてやるが、ここで俺の有用性を披露してもマイナスでしかないし、シンプルにめんどうだ。
俺はやっと自由になったんだ。
やっとこのバカ共から解放されるんだ。
もう付き合ってられない。
「ハハッ……いやいや、冗談だよ。そんなに熱くなるなって」
「ふざけるな。もう許さねえぞ……」
「敵にまわしてるつもりも、争うつもりもないぞ? まぁ、ここはお互い、心機一転、頑張っていこーぜ!?」
「クソがぁ……」
「……それに考えてみろ。こんな大勢の前で、こんな"無能"に必死になってみろ。"先見の明"の名前に傷がつくぞ?」
俺は小声でネロに耳打ちするが、
「……殺してやる……」
ネロは低く低くつぶやいた。
あー怖い、怖い。
バカすぎて、オラつきすぎてて。
ハハッ、もう俺、失禁しちゃうじゃん。
アホすぎて!
俺はネロを嘲笑しながら、後ろにいるリーシャへと声をかける。
「おい! リーシャ! どうするんだ? 俺と行くか? 1人でまた始めるのか? 選択肢は2つだろ?」
「……え、あ、」
「ん? ハハッ、ネロに頭を下げるのも、」
「それは嫌。"アル"と行くに決まってる……」
リーシャの返事を聞いた俺は、再度、左手でターン、タタタンッと鍵盤を弾く。
ペダルも踏みこみ、充分に余韻を響かせるプレゼント。
バキッ、ガゴッ!!
ネロの足はギルドの床にめり込み、ほかのメンバーもその場に跪く。
「……くっ!! アル……マァ……!!」
「俺を追うなよ? 悪い事は言わないから、もう俺に関わるな」
「……ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
3つの音を組み合わせ奏でた、単純な《重力操作》だが効果は絶大。
今までお前たちを散々、救ってきた俺のお気に入りの音(不協和音)だが……、
……ぷぷっ……、ごめんな、うるさくして。
そんなに睨まれても……。
ふっ、音が消えるまで我慢してくれ。
「な、何してんだ? ネロたち……」
「いや、それよりさっき、"一緒に行く"って?」
「そ、そんなはずねぇだろ、『演奏家』だぞ?!」
ざわつくギルドも、仕方ない。
この音はネロたちにしか届けていない。
クルッ……
俺はまだ余韻が響いているうちに華麗に振り返り、「ふっ」と頬を緩めてスッと手を差し出す。
「……本当にいいんだな?」
「……うん」
リーシャはコクンッと頷き、俺と握手を交わすが、すぐにパッと手を離した。
……あらま。いつも通りの無表情か。
まぁ、急にはちゃめちゃな笑顔でもドン引きしちゃうがな。
俺は解放感を実感しながらギルドを後にした。リーシャは何かネロたちに声をかけたらしいが、すぐに後ろからはトコトコといつもの足音が聞こえる。
「……アル、マァア!! リー、シャ!」
どっかの誰かの叫び声、いや、うめき声は聞こえてないフリをした。
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