Lesson1. 福井さんは給食が食べられない。

 町の名前がそのまま校名にすべりこんだうちの高校は歴史だけが自慢、といえば聞こえはいいが無駄に古く、昔から続くよくわからない決まりだとか校則がたくさんあり、「月に一度の給食の日」というのもなんなのか、憂鬱だった。昼休み恒例のバスケットボールができないのである。なぜって、固定メンバーの福井さんはいつも給食を食べきれない。体育館のバスケットコートはたいくつな僕らにうってつけの遊び場所で、速攻で昼ごはんを掻き込みなるべくはやくゴールを抑えないといけないんだが、この日はだいぶ出遅れてしまい、もう間に合わないだろうなあと嘆きつつ、ランチルームで福井さんが食べ終わるのを野間と一緒に待った。

「ごめんね、ごめんね……」

 福井さんはふるえる両手でメラミンのお椀をつかみ、青ネギの輪切りが浮いた味噌汁をぶくぶく啜りながら、出来のわるいゾンビみたいにうめいた。留年してるから来年にはハタチになるはずの男子が本気で泣いててびっくりする。

「福井ー、泣くなよお、うっといなあ」

 野間はいつもゆるくひらいた口元からドラキュラみたいな八重歯をのぞかせ、昔なじみのポニーテールをゆらし、福井さんのちからない猫背をばちこーんと叩いた。なぜそんなに全力なのか。あわれな福井さんがえずいて、落ちた涙がまっしろい給食用のロングテーブルの表面にぷっくら球をつくる。

「あんたたち、まだ残ってんの?」

 昼休みのランチルームには人がいなくて、二階までが吹き抜けの、群青のリノリウムが敷きつめてあるひろい空間に、おさない声がこだました。ふりかえると、担任のJKがいた。JKと名づけたのは、高橋くんだったはずだ。仲間うちにいつも新しいものを持ち込む彼は、仇名をつけるのもうまい。「JK」という名前の由来だが、「誰よりもJK(女子高生)っぽいから」ということらしい。JKはちっこくて、化粧もしていなくて、髪はもちろん染めてないどころか飾り気のないおかっぱで、ハムスターみたいにつぶらな目が愛くるしい。いちおうパンツスーツを着てるけれど、ぜんぜん似合ってないし、セーラー服を着せたらちょうどいいんじゃないかな。僕たちが高校に入学したときはすでにいたので、三十才近いはずだけれど、結婚はしておらず、浮いた話も聴かず、高橋くんがいつものノリで「処女かどうか賭けをしよう」と悪ふざけしたら、野間があのぶっちゃけた調子でJKに訊いて、「ご想像にお任せします」という薄笑いにブザービーターかっていうぐらい盛り上がり、JKとちょっと仲良くなって、三年生で担任になったときは嬉しかった。ちなみに授業は現代文を受け持ってる。一年と二年のときはダンディなしゃがれ声をしたおじいさんの先生で、おっとりした朗読がきもちよく、怒らないのをいいことに「シェスタの時間」と決め込んでいたのだが、三年でJKが現代文を教えるようになり、点数が一気に伸びたし、オススメしてくれた小説を古本屋でさがして買うこともあった。JKは、村上龍が好きらしかった。ハルキのほうが面白いと口をとがらせたのは甘井ちゃんだ。高橋くんはフィクションには興味がないと素っ気なく、野間はあせくさい少年漫画が大好き。福井さんは「漢字が多い」なんて当を得ない。

「ティーチャーがさあ、食べ終わるまで帰るなって言って」

 のどがつまったようになにも言えない福井さんに替わり、野間が咎めた。

 ティーチャーは英語の教師で、生活指導を兼任してる。高橋くんがつけた「ティーチャー」という仇名はそのままで面白かった。みんなティーチャーが嫌いだった。生活指導の教師なんて、嫌われて当然、という向きもあっただろうけれど、授業のときの、粘着質な「R」の発音が鼻につく。女子と男子を相手にするときで明確に態度が変わるのもムカついた。エンコーをしてるらしい、という噂があったが、ぶあつい眼鏡のおくの楳図かずおが描いた劇画みたいにぎょろんとした目がいかにも性欲つよそうだし、話としてはできすぎである。

 仲間うちでつけた仇名は、あたりまえに先生には言わない。野間だけはあっさりと言ってしまう。JKになら言ってもいいかなと僕も思う。

「ティーチャーには私が謝っておくから、あなたたちはもう行きなさい」

 JKはあきれた調子で言って、福井さんがぷっと笑った。先生なくせティーチャーと呼ぶのはおかしい。ただお前は笑うなよ、とはちょっと思った。

 帰りぎわ、振り返ると、JKが福井さんの残したものを残飯処理用のでかいバケツにざああと流していた。ふつうの所作なんだろうけれど、「もったいない」なんて頓着しないかんじがいい。いいよね、JK。先生らしくなくて。

 五限目は英語。いよいよ大学受験が近いので、実用的な英文法が黒板いっぱいに指南される。給食のことは忘れていたのか、ティーチャーは含みのなさそうな指さしで福井さんを当てた。福井さんはいつもどおりとぼけた回答をしていて、みんなの失笑を買った。六限目は倫理。なんとなく気がのらなくて、「コギト」のくだりを聞き流しながら、ぼんやりと教室を見渡す。背中、背中、背中。男子の背中、女子の背中、が、半分ずつ。このうちの何人が「やっている」のかなあ、と思う。窓際の席に座る野間は、めずらしく自衛隊機のいない、まっさおな空を眺めていた。ポニーテールは高い位置でくくられているから、しろいうなじがよく見えた。よく知っているはずのそれに、いつもより心を揺さぶられた。野間は、「やっているんだろうか」とか考えると、そんな資格もないのに、無性に腹が立ってきた。というか、資格、という言葉でいいんだろうか。僕たちはほんとうは、受験勉強じゃないことを学ばないといけないんじゃないか、そんな気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る