001「素人作家・坂本陽介」

 私、坂本陽介さかもとようすけの作家人生が始まったのは、今から7年ほど前である。


 その産声は文壇界隈に朗々と響き渡り、同業者達を戦慄させた。同世代の若手作家達は強大なライバルの登場に震え上がり、あぐらをかく大御所達は自らのポストを脅かされる未来に冷や汗をℓ単位でかいたともっぱらの噂である。


 産声の勇ましさそのままに、私と私の作品達はその実力を遺憾なく発揮。ウェブ上に小説をアップするや否や、瞬く間に書籍化、映像化、アニメ化とトントン拍子に話が進み、日本の文壇スターダムを駆け上がる……予定であった。


 しかし、認めたく無いが、現実は予想よりも「若干」下ぶれた推移をみせている。


 ありていに言えば、約7年の月日が経った今も、私の作品はいまだに日の目を見ていないのである。


 各種SNSのDMを開放し、仕事用のアドレスを表示しているにも関わらず、書籍化の話がくる気配は全くない。もちろん、アニメ化・コミカライズなどの打診も一切ない。それどころか、一か月の読者数は二桁にも届かない有様だ。


 書籍化作家、映像化達成作品、日に数万のPVを稼ぐ上位ランカーの人気シリーズ等々に埋もれ、生み出した自作達は誰にも読まれないまま深いネットの海に沈んでいた。今頃、不細工な深海魚たちについばまれて見るも無残な姿になっていることだろう。


 なぜだ。納得がいかない。

 世界はなぜ私のような才能をこれほど徹底的に無視するのか。


 世界よ!


 いや、敢えて当事者意識が芽生えるように「諸君」と換言しよう。


 諸君よ!


 どうして諸君はこれほどまでに見る目がないのか!!





「……どこからきてるのか分からないけど、相変わらずすごい自信だね」


 目の前に座る男、大熊太一おおくまたいちは朗らかに笑った。まるまるとした体躯からは想像もできないような軽やかな笑い声は、綿菓子のように柔らかく喫茶店の空気に溶け込んでいった。


「大熊……私の脳内を見透かしたかような発言はやめろ。根拠のない憶測ばかりしていると嫌われるぞ」

「いやいや、ヨースケは考えてること表情に出しすぎだって。モノローグがそのまま顔に浮き出てるみたいだもの」


 大熊はまた笑った。身体が揺れる拍子に顔中についた厚い脂肪がフルフルと震えたが、不思議と不快感はなく、巨大な赤ん坊が喜んでいるような無邪気さをはらんでいた。


「笑いごとではない! 貴様はこの危機的状況を理解していないのだ!」


 現状、投稿している作品へのフィードバックのなさに、私の執筆に対するモチベーションは日々下落する一方だ。退勤後や休日の短くない時間と少なくない労力を投入して精魂込めて作り上げた作品たちが無視され続けている現状は精神衛生上非常に良くない。


 今はまだ私の類稀なる克己心と今までの自尊心貯金を切り崩して耐え忍んでいるが、正直いつまで持つかは分からない。


 このままでは近い将来私の心と筆がボッキリ折れてしまう。それは私の今までの、そしてこれからの作品の書籍化、そしてその先のマンガ化・映像化をはじめとするメディアミックス戦略も雲散霧消することを意味する。


 それは国家規模の経済的損失であり、長らく続く不景気にとどめを刺すことになりかねない。流石の私も、そんな結末は望んでいない。使命感と責任感が続く限り精一杯抵抗はするつもりである。


 しかし……このままでは……。


「このままでは……執筆を続けられない」

「いいじゃない。辞めれば」


 誰に頼まれてるわけでもあるまいし、と大熊はこともなげに言った。既に私から視線を外しスマホをポチポチやっている。


「貴様 ……言ってはいけないことを言ったな!!」


 思わず荒い声が出た。喫茶店内に我々の他に客がいなかったせいか、思った以上に室内に声が反響した。

 

「え、だって辞めたって何も変わらないよ? むしろ世界中の誰も読まない素人の小説を、そんな危機的状況下のエッセンシャルワーカーみたいなモチベーションで書いてるヨースケの方がどうかしてるって」


 大熊の言葉一つ一つが、私の脳幹に強烈な衝撃を与える。

 コイツ……デリケートなことをズケズケと……!!


「やめろ! もっと言葉を選べ!」

「でも、事実じゃん」

「だから性質が悪いのだ!」


 事実は時として人を傷つける。

 いや、むしろ人を傷つけない事実などこの世に存在しない。


「めんどくさいなぁ……『辞める辞める』って気を惹こうなんて周回遅れのメンヘラみたいだよ? 今時みんなもうちょっと工夫するよ」

「何を言う! メンヘラでない小説家なんているわけないだろ!!」

「ていうか、そんなに自分の作品に自信があるなら堂々としてなよ」

「アホか! 本当に自信があったらわざわざ言葉にするものか! 大言壮語は不安の裏返しに決まってるだろうが!」

「決まってるんだ……」


 呆れたような声を出しつつも、大熊はケラケラと愉快そうに笑った。学生時代に知り合ってからずっとそうだ。この男は誰にどんな罵詈雑言をぶつけられようと、どんな窮地に陥ろうと、こうして無邪気な赤ん坊のように笑うのである。


 大熊の笑顔には奇妙な安心感があり、見ているこちらの毒気が抜かれてしまう。この男がいかに腹立たしい悪口雑言を吐き、私の脳が怒りで沸騰したとしても、こいつの表情を見ていると、お地蔵様にメンチを切っているかのような虚しさと徒労感が身体の奥底から溢れ出てくるのである。


 異様なまでに懐が深いのか、喜怒哀楽の怒と哀を感知する受容体が欠落しているのか。おそらく後者であろう。そして、後者であることを揶揄したところでこの男がケラケラ笑うのは目に見えていた。


 そして、そんな男であるから……。


「で、これが今回の?」


 ひとしきり笑い終わった大熊はテーブルの上に置かれた原稿の束に視線を落とした。


「……ああ。心して読め」


 そんな男であるから、私は新作が完成すると最初にこの男に読ませることにしている。


 それは、出会った学生時代のころからずっと変わらない。

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